11月も暮である。
明日からは師走。
本当に早いものだ。
去年の今頃がつい昨日のように感じられる。
今年の11月は何かとイベントの多い月だった。
それが慌ただしさを増して感じさせるのかもしれない。
なにかと落ち着いて取り組むこともなく過ごした一年だが、残された一か月は、せめて充実して過ごしたいものだ。
風ひと吹きあはれ追われて三の酉 素閑
三の酉ビルの合間の侘び暮らし 素閑
三の酉人付き合いを煩いて 素閑
三の酉洗濯に追わるわが妻や 素閑
11月も暮である。
明日からは師走。
本当に早いものだ。
去年の今頃がつい昨日のように感じられる。
今年の11月は何かとイベントの多い月だった。
それが慌ただしさを増して感じさせるのかもしれない。
なにかと落ち着いて取り組むこともなく過ごした一年だが、残された一か月は、せめて充実して過ごしたいものだ。
風ひと吹きあはれ追われて三の酉 素閑
三の酉ビルの合間の侘び暮らし 素閑
三の酉人付き合いを煩いて 素閑
三の酉洗濯に追わるわが妻や 素閑
風雅の弁えというものは大切なことだが、世知辛い世の中である。
そうそう花鳥風月の世界に浸っているわけにはいかない。
飯の心配もしなければならないし、税金の心配もしなければならない。
世の煩いにも悩みつつ、雅尽くしも味わうというのが丁度いいのかもしれない。
世の中、バランスが肝心である。
銭勘定に狂奔しているのも愚かだし、ミソヒト文字だけに精魂を傾けているのも、お前の食い扶持はどうなっているんだということになる。
まあ、妥協しつつ、譲りつつ、過ごしていくというのが世の中というものである。
ばせを忌や冬日さんさん照りにけり 素閑
翁の忌鼠這いずる天井や 素閑
寺の様いわくありげの芭蕉忌や 素閑
子の嫁する日を夢見るに芭蕉忌や 素閑
佐伯祐三という画家がいる。
芸大を出て画家になった。
実家は浄土真宗の寺である。
住職は兄が継いだ。
次男の彼は絵描きになった。
結婚し、パリに渡り、ヴラマンクに師事した。
当初、ヴラマンクは佐伯の絵を見て、あまりにもアカデミズムに過ぎると激怒したそうだ。
日本に戻った。
懊悩が彼の心を占めた。
家族を連れ、再びパリに渡った。
パリの街角や、郊外の風景を描き続けた。
絵具を叩きつけるようなマチエールである。
オーヴェール・シュル・オワーズにも行った。
オーヴェールの町役場は彼の代表作である。
オーヴェールはゴッホ終焉の地だ。
彼もゴッホのように精神を病み、結核に冒され、食を断って死んだ。
一人娘の奈智子も彼と同じ病に侵され客死した。
異端のフォーヴィズムとはいえ、サロン・ドートンヌの大御所を務めた師、ヴラマンクとは余りにも異なった軌跡を歩んだ。
天才は奇矯である。
平凡が一番良い。
凡庸すぎるが調子はずれのオカブはどうしたらよいのか?
敷松葉ひるの小雨に濡れにけり 素閑
石仏松葉敷きたる寺の端 素閑
敷松葉はらりと開ける引き戸かな 素閑
敷松葉おとなふ人も少なかり 素閑
敷松葉六十間を歩きけり 素閑
このところ、運動のために三軒茶屋や下北沢に行くときには、徒歩で行くことにしている。
とにかく、糖質ダイエットをしても減らない体重。
衰えいく体力。
どれをとってもいいことがない。
しかも、三茶へ行く上り下りの道で、息が上がって、足腰が重たくなって、ふーふーいいながら歩いている。
これでも学生時代は50k超のリュックサックを背負って、険しい山岳地帯を歩き回ったアルピニストであったはずなのだが・・・・
やはり年寄りの冷や水は良くない。
座布団に座って茶でも飲んでいればいいのである。
余命をば南天の実に問はずとも 素閑
かの山に実る朱きは南天か 素閑
南天を雀一羽が愛でしかな 素閑
南天棒といへど朱く染まる実や 素閑
荒れる風ただ南天の立てるまゝ 素閑
南天に知らぬ天竺胡の町や 素閑
月日の経つのは早い早いと、ここのところ毎年のように言っている。
今年も、もうすぐ師走だ。
改めて月日の経つのは早い。
そは、まさに無駄に馬齢を重ねているということ。
本当に、世の中に貢献するとか、せめて実のあることをなして日を過ごすことができないかと、いつも思う。
しかし、それも無理なことは判っている。
こうして独り言ちながら、老いてゆく。
しかし、これも大半の人間の定めであろう。
そんなに悲観することもない代わりに、ゆめゆめ自らの老練、老獪、老達を誇ってはならない。
若い人たちに対して、恥であること、失礼であることこの上ない。
こまごまは十一月に済ませけり 素閑
やさしげに十一月の午後の陽や 素閑
しづかなり十一月の啼く鳥や 素閑
茂き樹も枯れ果てたるや十一月 素閑
ひと時の十一月の午後の茶や 素閑
京都は、春夏秋と訪れたことがあるが、冬の京都だけは行ったことがない。
ニュースによると、訪日観光客に人気のあるのは、もはや京都ではなく大阪だそうだ。
中国系や東南アジア系の人々には、京都の取り澄ました雰囲気よりも、大阪のダイナミックさが受けるのだろう。
冬の京都で一回は食ってみたいのが老舗『大市』のマル。すなわちスッポンだ。
昭和天皇は河豚を食ったことがなかったそうだ。
君たるもの一つくらい食わないものがあった方が良いという、侍従たちによる配慮だそうだ。
オカブは昔、河豚は食ったことがある。
もちろんコースである。
大昔のことゆえ、どんな味わいだったか忘れてしまったが、えらく美味いものだったという印象は残っている。
しかしスッポンは食ったことがない。
聞くところによると、これもえらい美味いそうだ。
一度食ってみたい。
金と暇があればの話だが・・・・・
群青の大島の影冬に凪ぐ 素閑
冬凪に帆影遥かも眼近なり 素閑
冬凪の明日は下田か熱川か 素閑
冬の凪電車ゆらゆら通りけり 素閑
こう言ってはなんだが、オカブは、小人閑居して不善をなす、の典型である。
教会では、ある役員とぶつかって、牧師と役員会とは喧嘩状態。
カルト問題が片付いたら、大人しくしていようと思っていたのだが、成り行き上、こんな羽目に陥ってしまった。
まあ、人の世もままならない。
教会というものも、地上の人が作り上げた組織・機関である。
それを維持・運営していくのは会社など、俗世間のそれと全く変わりはない。
その中で軋轢も生まれ、憎悪も生まれ、対立も深まる。
どこの教会でも、似たようなことが繰り広げられている。
だから、純粋に心の平安をキリストの道に求めようという人は、安易に教会の門をくぐらない方がいいというのが、オカブの勧めである。
教会に根を下ろし、長く在籍するにはよほど信仰が確固たるもので、奉仕の精神が充溢している人でないと務まらない。
オカブなど駄目である。
大根を漬けて世過ぎも侘びにけり 素閑
老ひゆきて大根漬ける独りかな 素閑
すさぶ心沢庵漬けて夕迎へ 素閑
かつて「高等遊民」なる言葉があった。
おそらく、家が豊かで、職業に就かず、自分の道楽に飽かせて日々を過ごしている類を言うのであろう。
しかし、彼らは社会に寄生しているばかりではなく、豊饒な文化の担い手でもあった。
高等遊民的な文学者の最たる者は、多分、萩原朔太郎であろう。
彼は前橋の富裕な医者の息子だった。
昔は高等遊民的な職業というものもあった。
医者とか教師の類である。
彼等は、それなりに社会的に高い地位にいたにもかかわらず、その昔は余暇が有り余るほどあった。金もある程度はあった。
だから二足の草鞋を履けた。
その代表的なのが夏目漱石、斎藤茂吉や水原秋櫻子である。
今や、医者と教師は忙しい職業の代表格である。
とても余技を磨いている暇などない。
だから現代は文化が退化している。
サブカルなどというまがい物が跋扈している。
しかし、こんなことに悲憤慷慨する前に、まずは額に汗してパンを稼ぐことである。
今日は勤労感謝の日!
やまひ去り床出て勤労感謝の日 素閑
遠き山影濃し勤労感謝の日 素閑
疾き風に追われ勤労感謝の日 素閑
麦飯を歓び勤労感謝の日 素閑
妻子とも猫も勤労感謝の日 素閑
オカブの人生の振出は営業だった。
オカブが営業に向いていたかどうか、今となっては分からない。
一社目から逃げ出し二社目も営業だった。
二社目の経営が傾き三社目も最初は営業だった。
しかし、何故か、途中からなし崩し的に企画の仕事をするようになった。
企画と言っても、それほど大きな会社ではなかったから、雑然としたゴミダメのような仕事から、経営企画的なことまで、謂わば会社の遊撃手的な役割で仕事をした。
三社目が合併・統合で再編され、四社目でオカブのマーコムとしてのキャリアが確立した。
しかし、それほど規模の大きくない会社で、マーコムの仕事は男性社員に割り振られることは稀である。
だいたい、これは能力のある女性の仕事である。
オカブはキャリアの限界を感じた。
外資も数社経験したが、なんらキャリアアップにはつながらなかった。
結局、サラリーマンに見切りをつけて、今はこの様である。
人間落ちぶれるのは早い。
しかし、オカブは今の境遇をそんなに悪いものとは思っていない。
なによりも自営はサラリーマンと違って自由がある。
大変結構なことである。
塗炉縁猿も口上申しけれ 素閑
柿の葉の朽ちたるばかり塗炉縁 素閑
夜しんしん釜の音高し塗炉縁 素閑
オカブ商会の会計年度の前半が終わろうとしている。
あまりいい数字が出なくて苦虫を噛み潰したくなるが、まあ、なんとか潰れずに持ちこたえた。
いまのところ負債は全くないので、現金さえショートしなければ潰れることはない。
経営的に冒険しようにも、しようがない。
零細企業の悲哀を味わっているようだが、中途半端な規模になると、否が応でも非常に危ない橋も渡らなければならない。
まあ、気楽が一番である。
波郷忌や偽りの無きを取り柄とす 素閑
借命忌天帝驚く山おろし 素閑