昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

2012年大晦日

2012-12-31 08:59:00 | 日記・エッセイ・コラム

 今年も終わりですね。
皆様にとって今年はどんな年でしょう。今年の一文字は「金」だそうですが、私にとっては「滞」!なんとも鬱陶しい、歯切れの悪い一年だった。政権も変わったことだし、なんとかこの暗雲を来年こそは吹き飛ばしてほしい。
さて、今日は朝から事務所の片づけ。山となった反故紙や書類と闘う。夕方までがたがたやっていたが、ついに断念。
晦日蕎麦の準備にかかる。エルさんは深夜までバイト。まったくこの子は大晦日までハードワークだった。
今年は、天麩羅は隣に住む叔母が作ってくれた。ばーたんは一足先に今年の垢を落とす風呂。かーたんと一緒に水入らずで年越しそばを食べる。別に細く長く生きようとは思わないのだが、まぁ世の習いだ。ここは妥協しよう。

古紙に埋もれて食うや晦日蕎麦     素閑


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8時からN響の「第九」演奏。
指揮のロジャー・ノリントンの「ピュア・トーン」のコンセプトは分かるのだが、ヴィブラートをかけないということに慣れていないオーケストラの演奏家陣は、不自然に固まってしまって、ぎこちない演奏だった。特に弦楽器が弾きづらそうだった。ヴィヴラートは自然な息吹であり、音楽に音楽性を与える源泉である。ヴィブラートなしのノリントンのメソードには賛成できない。こういう指揮者はオケと半年くらいリハをやらないと、まともな舞台はできないのではないか?しかし、ソロ歌手陣はよかった。成田勝美さんはちょっと苦しそうだったが、バリトン歌手は出色の出来。今年の第九は彼で持ったようなものだった。
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「第九」が終わり、「こうもり」のDVD鑑賞。今年も、カルロス・クライバー指揮、バイエルン歌劇場のシルベスター公演のもの。毎度飽きもせずだが、この公演は「こうもり」の決定公演なのではないか?オルロフスキーのブリギッテ・ファスベンダー、ロザリンデのパメラ・コバーン、アデーレのジャネット・ペリーと史上考えられうる最高の配役だ。特にファスベンダーは至上のオルロフスキーだ。クライバーも楽しそうに振っていて、大晦日気分満点。お勧めのDVDだ。しかし、ウィーンで一回でもシルベスターに「こうもり」を見てみたいものだ。
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「こうもり」がシャンパンの歌で幕を閉じたところで、東急ジルベスター・コンサート。茂木健一郎がうざかったが、カウントダウンの「威風堂々」はよかった。指揮者がルパートをかけまくっていたと言っていたが、曲の終わりと2012年23時59分59秒がぴったり。来年は幸先の良い年になりそうだ。

あけましておめでとうございます。


イブ明けてクリスマス

2012-12-25 07:32:00 | 日記・エッセイ・コラム

昨日のクリスマス・イブの打ち上げでは飲んだ。二日酔い気味で10時過ぎに起床。
海外関係の取引業務が中心のオカブの仕事では、海外の取引先が一斉にクリスマス休暇に入るこの日は制度的には休業にしているのだが、25日決済の会計関係の業務が集中するため休みとはいってもおちおち休んでいられない。昼に銀行に行って今年の支払いと入金をきれいにしてくる。
帰りに下北沢で、家族にささやかなクリスマス・プレゼント。かーたんにはほんの心ばかりのピアスを買ってあげた。
ちなみに我が家のクリッペ(キリスト降誕のシーンの人形のセット)はスウェーデン製。十数年前の一月のストックホルム出張の際、買ってきた。
この日が来ると今年ももう終わるんだなあという感慨が押し寄せてくる。
青々とした冬空の下、明るくもかぼそい陽の光に照らされた、気の抜けたような街を通り抜け、我が家の事務所へ。
伝票を整理し、かーたんとケンタッキーのフライドチキンで夕食。西欧人には、日本人がクリスマスにこれを食うのが信じられないということだが、まあ日本のクリスマスなどこんなものだろう。
これで今年もお別れである。
大晦日までさようなら。
良いお年をお迎えください。

降誕祭夜明けて世間が始まりぬ     素閑
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2012年クリスマスイブ燭火礼拝

2012-12-24 07:16:00 | 日記・エッセイ・コラム

今年も訪れました、この日。 クリスマス・イブである。ほとんどのキリスト教の教会では、この日の夜、日が落ちてから、燭火礼拝(キャンドル・ライト・サービス)なるものをやる。「礼拝」という言葉がついているが、普段の日曜日の礼拝は、その教会の教会員を中心とした、クリスチャン向けの礼拝で、牧師の説教もクリスチャンであることを前提に進められる。
しかし、イブの燭火礼拝は一種の「お祭り」である。
これは、信徒も素人さんもいっしょくたに巻き込んで、主イエスのご降誕を祝おうという趣旨の礼拝がほとんどの教会で行われているのではなかろうか?
だから、素人さんにも分かり易いように、そして感性に訴えかけるように礼拝のプログラムが組まれる。大体は聖書朗読とクリスマスキャロルの賛美が中心になる。そしてかなり凝った構成になるので、事前のリハーサルが必要である。幸い、今年のイブは祝日の振り替え休日だったので、午後3時から礼拝の「遠し稽古」が行われた。
礼拝の「稽古」とは、なんのこっちゃい?といぶかしがる謹厳なクリスチャンの方もいようが、うちの教会では、聖書朗読と会衆賛美に加えて、楽器の演奏、独唱、聖歌隊の奉唱などが組み入れられるので、本番のスムースな進行のために、どうしても事前のリハーサルが必要なのだ。
リハーサルが終わりみんなで軽食を取って、午後6時から太子堂の商店街に繰り出してキャロリング。本来「キャロリング」とはイブの礼拝が済んでから、静やかに信徒の家を回って、その門口でクリスマス・キャロルを合唱するというものなのだが、うちの教会では、燭火礼拝の宣伝のために、大々的に目抜き通りで路傍伝道をやってしまう。
7時に礼拝開始。かーたんはいつもオルガニストと独唱者と聖歌隊指揮者の役目。オカブはフルートの独奏。
前奏はバッハのパストラーレ「羊は安らかに草を食む」をかーたんのオルガンとオカブのフルートで演奏したのち、アイちゃんとジュリー夫人のルカによる福音書の朗読とキャロルの会衆賛美を織り交ぜた進行。礼拝堂内の明かりが消され蝋燭の灯が会衆に渡される。この点燭はエルさんをはじめ、某ミッションスクール出身の三人娘の役目。
暗い礼拝堂内で、会衆の蝋燭が揺れるさまはイブにふさわしい、ロマンティックな雰囲気である。本来、プロテスタントの礼拝はそういった感性に流されるのを拒むものなのだが、この日は特別・・・・ミーちゃんハーちゃんのために思いっきりロマンティックにしてやる。
説教はやせひぐま先生の担当。今年の説教題は「キリストの降誕」。実に分かり易いストレートな内容の説教だった。しかし、先生・・講壇に上がるときはワイシャツの第一ボタンを留めていただけませんかねぇ?
会衆で「諸人こぞりて」を斉唱した後、祝祷、そして閉会唱「主よわれらを祝し」の聖歌隊の奉唱。そして礼拝終了。
派遣の挨拶の握手とメリークリスマス!の嵐で会衆はなかなか会場を去りがたい。
一通り会場がはけたのが午後9時前。
そして楽しい打ち上げ。これも謹厳で保守的なクリスチャンには目をつぶっていただきたいが大量のシャンパンとワインとビールに食べきれないほどのご馳走。今年もイブが終わったという感慨に浸りながら美酒を酌む。
打ち上げが終わり、やったーうーまんらと二次会に三茶の「ごはんや」に繰り出し、帰宅したのは夜中の3時。
よいクリスマスだった。

聖夜の灯友と祝うも厳かに     素閑
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「まんまるの木」でクリスマス・コンサート

2012-12-09 05:53:00 | 日記・エッセイ・コラム

知友のオージー、チャールズ主催のクリスマス・コンサートが、三宿の「まんまるの木」であった。かーたんも出演するので、オカブは荷物運びとして聴きに行くことになった。
チャールズの所属する教会のメンバーが5組、それぞれ賛美を中心にオリジナル曲、ポピュラー曲、ゴスペルを交え披露した。キャロラインが大きなアコーディオンを持って登場。シャンソンを中心に4曲ほど披露してくれた。その後、かーたんのご指導を受けるチャールズのポップスのボーカルソロ。そしてかーたん。「くりすます・はれるや」とグノーのアリアから。ちょっと発声が悪かったそうだ。まあ、素人にはそんなに気にならない。
そして、かーたんのキー・ボード伴奏で、みんなでクリスマス・キャロルのメドレー。盛り上がった。
その後、軽食が出て歓談。楽しかった。
「まんまるの木」は今年で閉店するそうだ。近くの手ごろなコンサート会場だったのに残念だ。チャールズはイースターにやるコンサートの会場探しに今から奔走しなければならない。
またみんなで会おう。

友と妻人恋しけれ師走かな     素閑

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教会学校

2012-12-02 05:36:00 | 日記・エッセイ・コラム

今日からアドベントである。アドベントとは待降節、キリスト教界においては、イエス・キリストの誕生を待ち望むクリスマス前の4週間を言う。
その第一週の重要な日になんと教会学校の礼拝の説教の番に当たってしまった。
先週まで旧約聖書の学びをやってきて、先週の聖書箇所はヨエル書だった。今日の聖書箇所はマタイ:16章13節から23節。ペトロが信仰告白をする場面である。通常の教会学校の礼拝であれば聖書の記述をなぞって、説教するのが一般的であろうが、今日はせっかく待降節なので、旧約と新約、そして新約の新しい契約の意味噛み砕いて説明した。「噛み砕いた」つもりが、かなり難しい内容の話になり、自分でそれに気づいて、途中から修正しようとするのだが、うまくいかず、緊張して話の進行が滞ってしまった。
まあ、こういうこともありよ。
へろへろになりながら説教を終わったが、子供たちは結構熱心に聴いていてくれたそうだ。感謝。

待降節鬢の白髪が気になりぬ     素閑Happybirthday21sold_2