昨日は東京地方は今夏一番の猛暑だったそうだ。
冷房の効いた部屋に一日閉じこもっていたのでテレビで報じるまでそんなことはつゆ知らなかった。
今日は昨日の雨が残るはっきりしない天気。
これは猛暑とは違うが、これはこれで不快だ。
伯父が白血病という。
ばーたんが今日、見舞いに行ってきた。
率直なところ、そう長くはないという。
しかし、伯父も86だ。天命と言えるかもしれない。
エルさんは今日は移動教室の下見。
かーたんと昼食の素麺を食いながらそんなことを話した。
秋湿り終の病の報せ聞き 素閑
昨日は東京地方は今夏一番の猛暑だったそうだ。
冷房の効いた部屋に一日閉じこもっていたのでテレビで報じるまでそんなことはつゆ知らなかった。
今日は昨日の雨が残るはっきりしない天気。
これは猛暑とは違うが、これはこれで不快だ。
伯父が白血病という。
ばーたんが今日、見舞いに行ってきた。
率直なところ、そう長くはないという。
しかし、伯父も86だ。天命と言えるかもしれない。
エルさんは今日は移動教室の下見。
かーたんと昼食の素麺を食いながらそんなことを話した。
秋湿り終の病の報せ聞き 素閑
かーたんが歯医者に行っている。
オカブも歯医者にはご無沙汰だが、本当は歯医者にはいかなければいけない状態だ。
右上顎が歯頚が根治しないまま詰めたので歯槽膿瘍だ。
また左下顎は抜歯したまま歯を作っていないので歯茎がだんだん弱ってきている。
本来急を要するところなのだが、オカブは歯医者が大嫌いだ。
歯医者個人が嫌いなわけではない。太子堂の行きつけの歯医者に三茶近辺で出くわすと「お待ちしてますから」と声をかけられ「必ずお伺いします」と返答している。
しかし実際のところ口の中をいじられるのは絶対に嫌だし、ましてや歯を削られたり抜かれたりするのは身の毛もよだつ。
まあ放っておこう。
今日も暑い。34度ほどもあろうか?冷房の中で管を巻いている。
秋気ありどこまで続く空なれや 素閑
今日、かーたんとエルさんがお出かけしているので夕飯はオカブ一人で。
どこかに繰り出してぱーっととも思ったが先立つものがない。
西友に晩のお惣菜を買いに行った。
鯖寿司と助六。398円と298円也。
非常にサイコロジカルな値付けだ。
暑い中を三茶から帰ってきた。
暑い暑いと言っても空はすっかり秋気を帯びていた。
鰯雲何万尺のかなたかな 素閑
ついこの間梅雨が明け、暑い暑いと愚痴を述べ、夏盛りなどと思っていたら、暦の上ではもう立秋である。
暑いのには変わりはないし、夏の風物はたけなわなので特に、感慨は感じないが、最近、日の暮れるのが早くなったことが微かに心に触れている。
しかし時の経つのは早いものである。早いと言えば昨日、正月を祝ったような気もする。
歳を取ると月日が進むのはさらに早くなる。
『門松は冥途の道の一里塚目出度くもあり目出度くもなし』一休、との心境はまさに我がことのようだ。
しかし、いつまで生きていても仕方がない。
少子高齢化の時代だ。
若い人に負担をかけぬよう、早々に死ぬのがよいと思う今日この頃である。
秋立ちぬ珈琲まろき味わいか 素閑
今日も朝から暑い。
昨日から調子が悪くて、それを押して半徹夜の仕事をしたのでますます調子が悪くなった。
マンションの掃除のバイトはかーたんに行ってもらった。
朝からゴロゴロしている。
どうも最近、勤怠の緩急の差が激しい。
少し普段通りの平均に均した生活に戻さねばならぬと思う。
朝よりの端居した果て蟻ひとたり 素閑
昼過ぎに教会に行って礼拝をサボって役員会にだけ出た。
会計や次期牧師の招聘や老朽化した建物の改修やらの議題で議論した。
毎度毎度の並行した退屈な会議である。
おっと!カルトを追い出したら途端に気が緩んできましたな。
役員会が終わると、例によって週次の会計作業がある。
なんとか、こなして冷房の効いた会議室で涼んでいて、かーたんとここで夕飯を済ませちゃおか?ということになった。
かーたんは西友に弁当と総菜を買いに行く。ついでにビールも。
いや不謹慎でしたな。
腹一杯になって、夕暮れの三茶の街を通って家路についた。暑い。昼間の熱気がまだ残っている。
自転車を押す腕がよろよろして汗が滴る。
やっとのことで家について部屋に籠るとクーラー全開にしてぶっ倒れた。
暮れゆける川辺たたずむ柳かな 素閑
ゆっくりしていて床に根が生えた。
そろそろ教会に行かねばならない。
なかなか涼しい冷房の部屋から出るのは勇気がいるが仕方がない。
どうも因果な性分である。
炎天に出でんと麦湯飲み干せり 素閑
暑い。
外に出る気がしない。
今日は教会である。
しかし礼拝はサボることに決めた。
午後は役員会があるので、どうしても行かなければならない。
それまで冷房の効いた部屋で、休んでおこう。
夏霞丹沢に向け水を打つ 素閑
日曜日である。
教会である。
しかし暑い。
今日は役員会である。
会計担当なのに会計資料が仕上がっていない。
数字合わせに徹夜であった。でも終わらない。
開き直る。
ブログを書いている。
ただひたすら焦るも諦めもあり、暑さだけが身に染みる。
観覧車子らを乗せたり原爆忌 素閑
オカブは、この地に生まれ、この地に育ち、ほぼ、この地で生活してきた。
卒業した小学校は、世田谷区立花見堂小学校である。
この小学校は、昭和35年に開校して、今年で開校57年になる。
そして開校57年目の今年、統廃合されて、閉校することになった。
昨年、閉校式の案内が来たので、懐かしい母校が閉じる姿を見ようと、出席の返信を出しておいた。
校門の脇にあった築山がなくなっていた。これは、オカブたちが2年生の時、児童自らが、土を運び、作ったものだった。トンネルもあり、築山の上には、雲梯があった。
体育館の脇にプレハブのBOPの建物がある以外は、母校の外観はそのままである。
ここで、1年生の運動会の朝、校門のスロープで転んで膝に、怪我したこと。
砂場で友達と相撲を取っていて、投げられて、鎖骨を折り、数か月間、右上肢にギブスをはめていたこと。
体育館で行われた学芸会で、主役を務めたことなど、様々な想い出が去来する。
式は、来賓挨拶。
児童への閉校証書の授与。
児童の呼びかけ。
児童の吹奏楽による演奏。
そして、この体育館を練習場所としていた、都立国立高校のブラバンの演奏。
教職員の離任式などが行われた。
最後に、全員で校歌を斉唱して、幕を閉じた。校歌の時は少し、ホロリと来た。
同期のダイタラボッチとA君に会ったので、環七のガストで3時間余り話し込んだ。
旧友の話題などが中心である。
やがて、桜が咲く季節である。
春の陽に照らされ閉じる花見堂 素閑