昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

秩父吟行2018年3月(その参)こでまり

2018-04-04 23:49:43 | 秩父旅行2018年3月

今朝は昨日の寝不足の反動か、8時近くまで目が覚めなかった。
蒲団から出て、すぐに朝食に行く。
朝食の内容は、昨日とさして変わらず。
しかし、今朝はビールを飲まなかった。

今日は、帰京の日、宿を出る日である。
なんとなく、けだるい気分と、寂しげな気分が混ざり合う。
昨日、かーたんと相談して、帰りは秩父鉄道で長瀞に寄り、東武東上線で帰京しようと決めていた。
朝食の後、最後の湯に飛び込んで、着替え、荷造りをして、チェックアウト。
幸い、9時半に宿のマイクロバスが、和銅黒谷駅まで送ってくれるという。
助かった。
あそこまで歩くことを考えて、いささか憂鬱になっていたところだった。

和銅黒谷から、羽生行の秩父鉄道に乗る。
この非常にローカルな駅ともお別れだ。
長瀞駅で降りて、早速、長瀞渓谷に向かう。
岩畳は見事だったが、見慣れてしまえば何ということはない。
観光名所として喧伝している割には、見ごたえのない風景だった。
しかし、春の陽光に照らされてゆったりと流れる荒川は、のどかだった。
川下りの舟や、ラフティングをしているグループが次々と川を下ってきた。
途中の四阿で、とっておきの缶ビールを空けた。
何も飲物を持ってこなかったかーたんは恨めしそうな顔をしていた。
岩畳の道端にこでまりの花が咲いていた。
咲き誇る姿は見事だった。
なべ穴も観た。
水が溜まっていて、底まで覗けなかった。

岩畳を一巡りして、往還の土産物屋や飲食店の商店街を通って、長瀞の駅まで来た。
かーたんは宝登山に登りたそうで、ロープウェィで登ることを主張する。
山に登り慣れているオカブは、そんな丘のような山に登っても興が薄いのは判っているから、強硬に反対する。
まぁ、参道まで行ってみることにしようということになり、歩き出す。
そこで、かーたんはかき氷を食うことを主張する。
それを聞いて、オカブはわが耳を疑った。
確かに、今日は暑いが、なんで長瀞くんだりまで来て、かき氷風情を食わなければならないのかと・・・
しかし、今回の旅行はかーたんを労うことが目的なのと、さっき宝登山を諦めさせた手前、この、かーたんの、かき氷説には従わざるを得なかった。
次にオカブがもっと驚いたことがあった。
地図を見ながら、参道沿いのかき氷屋まで行ってみると、なんと行列ができていて、待合用のベンチまでしつらえてあるではないか?!
ここはかき氷専門店である。
かき氷を食うのに行列!?
他の店は閑散としているのに・・・
なんとも奇妙な光景を見たような気がした。
しかし、暫くして、考えは変わった。
行列を成しても食おうという、かき氷はさぞかしうまいものなのだろうと・・・
待つこと30分弱。
やっと店に入れた。
ここで、オカブはいままでの不明を恥じることになる。
オカブが頼んだのは、葡萄と桃とオレンジのシロップのかかったやつ。
どうせ瓶入りの毒々しいのがぶっかけられているのだろうと思ったが、そもそもここのシロップは注文ごとに絞る果実からの生絞りである。
しかも、そもそもシロップは「ぶっかけられて」いない。
ご自分でお好みで・・・というようにポットに入れられている。
子供の頃、「ぶっかけられて」いないポットに入ったライスカレーをどれ程、食いたいと思ったことか!
では早速、御味見を、と山もりの氷に、厳かに桃のシロップをかけて、丁重にスプーンで掬う。
そこで、さらにブッたまげた!
これが、あのかき氷か?!
綿菓子のようにソフトで、ふわっととろけて、クリーミーな・・・うんっ、もうっ、何と言っていいか分からない。
とにかく凄いものを食った気がした。
このかき氷は、秩父の天然氷を用いたもので、天然氷でなくてはあの食感と味は出せないらしい。
お値段1,200円にも納得。(かき氷が1,200円!!!などと驚かない)
かーたんは小豆に蜜がついた奴。
1,500円也。
大大満足の、かき氷であった。
これを食うためだけに、東京から長瀞まで来る価値がある!
お店は『阿佐美冷蔵』。こういうと変だが、かき氷屋らしからぬ店名である。
また来るで~。

かき氷のように淡くほのかな思いを胸に抱いて、店を出た。
参道はちょっとした桜並木になっていた。
七分咲きだった。

駅まで戻って、まだ時間はあるし、昼を食べるにはお腹が空いていないこともあり、帰りの途中、川越に寄っていくことにする。
とにかく寄居まで出て、東上線に乗り換える。
「川越市」の駅に着き、まず喜多院に行こうと歩き出してほどなく、蔵造の街の標識が出ていた。
かーたんは、まず、そちらに行くことを主張する。
まぁ、蔵造の街並みと喜多院はどちらも行くつもりだったから、かーたんの主張を受け容れる。


蔵造の街の街並みは思ったより見事だった。
かーたんも夢中。
川越の名物は?と聞くから適当に芋だろう、と答えておいた。
すると、俄かにお腹が空いてきた。
しかし、この街並みは飲食店がほとんどない。
もう2時を回り、ランチタイムのビジネスアワーのある店はそろそろ閉店の時間だろう。
途方に暮れていると、またまた行列の出来ている蕎麦屋が目に入った。
躊躇なく行列の後ろに並ぶ。
待つこと30分余り。やっと順番が回ってきた。『寿庵』(蔵のまち店)
ここも素晴らしい店だった。
頼んだ川越の銘酒のアテの板わさが絶品。タイやヒラメを材料にしているのではないかと思えるほど美味だった。
抹茶蕎麦の味も蕎麦好きのオカブを唸らせるものがあった。
かーたんは割子蕎麦三段重ね。
今日は大変、運がいい。


暑いので、蕎麦屋の後、涼むために向かいの団子屋に入った。
団子屋のつもりが、甘味処でもあり、軽い食事もできることが分かった。
『甘味茶房かすが』という店だ。
ビールがあったので、地ビールの『COEDO』ビール。『ベニアカ』を。芋で作ったビールだ。
かーたんは芋のパフェ。
ビールはシメイの瓶のようなもので出てきた。
確かに、説明にあるように、黒ビールのような味わいだ。
しかし、川越は本当に芋尽くしだ。



甘味処を出て、蔵造の街並みを行ったり来たりして、お土産を買い込む。
時の鐘を見て、喜多院に急ぐ。もう暮れかけている。



喜多院に着いた頃は、もう薄暗くなっていた。
夜の花見客が、境内で場所取りをしており、周りには焼き鳥や焼きそばの屋台が並んでいた。
もう、この時間では、お目当ての五百羅漢は見れないと、諦めていたが、門の柵の間から僅かばかりをのぞくことができた。

喜多院を出て西武線の本川越駅に向かい、駅周辺で夕飯を食べて帰宅するつもりだった。
しかし、道を間違え、あっちをうろうろこっちをうろうろ。
国道に出て、本川越行きのバス停があったのでバスを待ったが、来たバスは満車で乗れない。
仕方がないので、真っ暗の国道をとぼとぼ歩く。
歩いた歩いた。
1時間半近く歩いて出てきたのは、東上線の川越駅。
かーたんもオカブもヘトヘトだった。まるで足が棒のよう。疲れた~!
駅前のビルに食堂街があったので、行ってみる。
あまり重いものは食べたくないので、結局、入ったのは『築地玉寿司』
オカブは平目の造りでビールを飲んで、小肌と紋甲烏賊をつまんだだけだったが、かーたんは一貫づつとは言え、海老、勘八、雲丹、イクラ、雲丹・イクラ手巻き、中トロ、大トロとガンガン食う。
満足して店を出、東上線、副都心線回り、渋谷経由で帰宅した。
よく呑んでよく食ってよく歩いた旅だった。
お疲れ様でした~。

こでまりの群れ越え鳩の降り来たる   素閑

こでまりを揺らす微風はながる川   素閑

はてさてもこでまり摘んで何に挿す   素閑

古き塚仔細に供なゆこでまりや   素閑

こでまりの園におさなご毬遊び   素閑

岩の間にこでまり日に群れ白と咲き   素閑

こでまりや妻とはるひの川遊び   素閑

花は散りこでまり白く咲きにけり   素閑

燦燦の昼のこでまり岩畳   素閑

こでまりや佳人の忌日に陽のそそぐ   素閑

こでまりの宿を流るる横瀬川   素閑

長瀞のこでまり都で思ひたり   素閑



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秩父吟行2018年3月(その弐)霞

2018-04-03 23:53:31 | 秩父旅行2018年3月

28日の朝。
昨晩は、昼間の寺巡りで、疲れすぎていたのかよく眠れなかった。
未明に風呂に入りに行き、また寝て、7時過ぎに目が覚めた。
すぐに朝食。
ビールを1本飲んだ。
かーたんは何も言わなかった。
さすがに、もう諦めているのであろう。
朝食は、素朴だが充実していた。

朝食のビールが効いたのか、また眠くなって9時くらいまで眠った。
よほど昨晩の寝不足と、昨日の疲れが身に応えたと見える。
かーたんと相談して、今日は、宿でのんびり過ごそうということになった。
目覚ましに、ラウンジで珈琲を飲む。
ブルーマウンテン。
美味かった。


珈琲を飲んで、また風呂に行く。
この好天の日に昼風呂は心地の良いものだ。
誰もいない湯で、旅心地を満喫した。



ただ、宿でぐだぐだしていてもつまらない、とかーたんが言うので、宿の近くを散策することにする。
まずは、昼飯。
『湯の宿和どう』の直営の和菓子処『栗助』の食堂に行ってみることにする。
国道を渡って、すぐの『栗助』でお土産を物色したりして、食堂に入ると、もうご膳類のメニューは品切れで、蕎麦しか出せないという。
蕎麦で結構なので、と申して、席に着く。
秩父の蕎麦粉を使ったという蕎麦は、もちもちしていて美味かった。



『栗助』を出て、和同開珎の遺跡と、その麓の聖神社に行ってみることにする。
車の疾駆する国道を、和銅黒谷駅のそばにある、聖神社までひたすら歩く。
聖神社は和同開珎の所縁の神社ということで、金運向上のご利益があるらしく、宝くじに当たりますようにとか、時流を映して仮想通貨で一儲けできますようにとか、書かれた絵馬が奉納されていた。



しかし、今日は昨日に増して暑い。
暑さにやられて、かーたんには申し訳ないが、和同開珎の銅の掘削遺跡の見物はパスさせてもらって、来た道を戻る。
のどかな田園風景と言いたいところだが、車の往来が激しくて、散歩を寛げなかった。
しかし田舎の佇まいは都会では味わえないものであるのは確かだ。



宿に帰り、また風呂に入って、ビールなどを飲んでいるうちに夕食の時間となった。

霞たちおらが野良みちどろ畑   素閑

里山の芽も萌えなむと草霞   素閑

野地霞む観世音の吐く息や   素閑

小天使土より昇り霞たつ   素閑

せせらぎの光よりたつ霞みかな   素閑

永き恋叶ひもしよふ春霞   素閑

山里の苦き思ひや霞たつ   素閑

蓬髪の寒山霞の空蝉か   素閑

野の家の垣の千種や霞かな   素閑

こつじきの僧もひねもす霞かな   素閑

まふまふと霞にまがふ薬師の湯   素閑

すねものといふ肩書や霞たつ   素閑


夕食は吟味された会席。
尤も、我々のような細民が泊まれるような宿はたかが知れているが、コストを考慮して、これだけ洗練された料理を出す経営努力には敬意を表したい。
さんざん食って、さんざん飲んで、食休みをして、また風呂に入り寝てしまった。



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秩父吟行2018年3月(その壱)遍路

2018-04-02 23:30:41 | 秩父旅行2018年3月

かーたんと3月27日から29日まで秩父旅行に行ってきた。
3月の末の決算だ、新年度だ、新入社だ、だの糞忙しい時期に旅行など良い身分だなどと言う勿れ。
オカブ商会は5月末決算だし、官公庁関係のことは一切やっていないので、年度末、新年度はあまり関係ない。
吟行と言うほどのこともないのだが、そこはかの作句もなしてきた。
そこで、池袋から朝10時半のレッドアロー号に乗って秩父へ出発。
車中では、酒盛りをする間もあらばこそ、1時間40分であっという間に西武秩父に着いてしまった。


秩父に着いて、先ずは昼飯。
駅前の観光案内所で、「秩父そばの会」なるパンフレットを貰ってきた。
30余りの秩父の蕎麦屋がリストアップされている。
さあ、どこがいい?とかーたんに聞くと、『おお村』という店がいいという。
それでは、と秩父神社を目当てに、秩父鉄道御花畑駅を巡って、『おお村』に向かった。

秩父の街は戦災に遭わなかったのか、古色蒼然とした家並みが多い。
秩父神社への道すがら、そうした古い家々を眺めるのは、楽しかった。
しかし、今日は天気が良い。
汗ばんでくる。

秩父神社の神域は清浄だったが、どうもオカブは神社という所に興味が湧かない。
アニミズムの延長の社殿や境内が、仏寺に満ちている人間臭さを感じさせないためであろうか?
三々五々、観光客や地元の人が参拝していた。

かーたんが、数ある蕎麦屋の中で『おお村』を推したのは、バラエティに富んだセットメニューがあるから。
この人は、どこでもセットメニューが好きで、本格的な蕎麦には興味がないようだ。
しかし、『おお村』で味わった蕎麦と酒は美味かった。
奇をてらわない、いわゆる「町の蕎麦屋さん」の出す蕎麦の味わいにも好感が持てた。
飲んだ酒の『武甲』は甘口の酒。
しかし、甘ったるくない、きりりと締まった甘口の酒だった。

さて、お腹も出来て、秩父のお寺詣りと行くことにする。
目当ては四番の金昌寺で、ここの石仏群と慈母観音を見るのが、今回の秩父訪問の大きな目的の一つ。
その途中の幾つかの寺の札所を巡って、遍路の真似事をしようという寸法である。
秩父鉄道の線路を渡り返して、国道に出て、秩父道の駅などを過ぎて、まず十一番常楽寺へ詣る。
いかにも地元の人に支えられた田舎の山寺、といった佇まいである。
境内に山吹の花が咲いていた。
手向けの花のようでなにか哀しい。



十一番を詣り終えて、十番、大慈寺へ向かう。
国道に沿って歩くが、多分、秩父セメント関係の大型のトラックの往来がひっきりなしだった。
畑に出ていた地元の人が、危ないからこちらを通りなさいと裏道に案内してくれた。
大慈寺には、高い急な石段を登って行かなければならない。
かーたんは、そんなお付き合いは御免だ、とばかりに石段の途中に腰を下ろして、ギブアップ。
オカブ一人で詣でてきた。
凄い山寺である。



大慈寺を出て、五番、語歌堂に向かった。
横瀬川にかかる大きな橋を渡り、対岸へ出た。
それから、恐ろしく長く歩いたような気がする。
田園の中を長閑に歩くならまだしも、途中に自動車教習所や、大規模な近代的な幼稚園がある。
しかし、やはり田舎であった。
広い畑が風景の殆どを占めている。
秩父セメントの原料の石灰岩の採取で山体がえぐられた武甲山は無惨であった。
この山は、日本武尊東征の折、むこうに見える山、すなわち「向こう山」と名付けたのが「武甲山」に転化したものという。
だから、尊が山中に甲冑を納めたから「武甲山」となったというのは、後付けの尤もらしい俗説らしい。
「向こう」が地名になった例は他にもある。
関西の武庫川、武庫之荘などはそのケースと聞いている。



しかし、語歌堂は遠い。
しかし、なんとはなしに見てみたかった。
「語歌堂」という名称の響きに惹かれた。
なにか、ひどくメルヘンチックなものを感じた。
やっとのことで堂に着いた。
語歌堂は期待を裏切らなかった。
人家の裏手、畑の中にぽつねんと孤立して建つ、小堂宇。
想像していた祠のようなものよりも大きな建物だったが、愛らしい佇まいだった。
語歌堂は無住だった。
墓地を伴わない寺が、こんなにも清々しいものとは思わなかった。


金昌寺に向かう途中、愛らしい野辺の地蔵を見た。
懐かしかった。
日本人の原風景とも言うべきか・・・

語歌堂から金昌寺までは、それまで歩いた距離に比べれば、程なかった。
金昌寺で、初めて観光客に出くわした。
寂れた山寺であるにも関わらず、ひどく俗化したものを感じた。
「俗化」というのは、これまで巡ってきた小さな寺と比べてという意味であり、そうした色眼鏡で見れば、素朴な石仏群も、慈母観音も十分、観光資源としての役割を果たしていると言える。
金昌寺の山門には大草鞋が掛かっていた。
秩父遍路の道中、脚が健やかなようにという願のようだが、これは余計だ。
しかし金昌寺も、思い出深い。
境内の桜が美しかった。
七分咲きだった。
桜のせいで、金昌寺は鄙びた、というよりは華やかな印象が強くなった。



慈母観音は惜しげもなく胸を拡げて慈悲を垂れていた。
こうした感傷的なモチーフの中にも、昔の人は救いを求めたのであろうか?
慈母観音の脇には、たくさんの絵馬が掲げられていた。
不妊の人が子が授かりますようにといった内容が多い。
嬰児殺人や児童虐待のニュースが少なくないというのに世の無常を感じる。
どうも、金昌寺に来てネガティブな想念ばかりが湧いてくる。
金昌寺を出て、今夜の宿に向かう。
和銅鉱泉『湯の宿和どう』である。
ここから、宿までは、10キロ近くある。
とてもこれまでの疲労で歩けそうもない。
バスを利用することにする。
国道に出て、金昌寺前のバス停で、1時間以上バスを待って、皆野行きに乗る。
しかし運転手に聞いてみると、このバスは宿の最寄り駅、和銅黒谷には行かないという。
バスの終点皆野まで行って、秩父鉄道で和銅黒谷まで行くことにする。
皆野で30分ほど電車を待ち、和銅黒谷の駅に着いた時には、日はとっぷりと暮れかけていた。

宿に着き、先ずは、風呂。
残照を望む露天風呂に入り、心身を癒した。
風呂から上がり、ビールを飲む。
液体は、この上ない美味さで五臓六腑に染み渡った。
ほどなく食事の時間。
この宿は部屋食である。
膳に溢れるご馳走にひもじいお腹も満足した。



花なれば遍路の時のかざしかな   素閑

へんろみち野辺の仏の笑い顔   素閑

明るさや秩父遍路ののづら果て   素閑

遍路来て短き生の破片かな   素閑

我もまたいずれ泉下の遍路かな   素閑

なまぐさきことばかりなり遍路かな   素閑

盛名の輝ける友もいて遍路かな   素閑

このところ横着になり遍路出づ   素閑

仏心も仏性もなき遍路かな   素閑

春へんろ茫々たる野のほとけかな   素閑

(季題の「遍路」は、本来、四国八十八か所、ないしは小豆島八十八か所巡りを言うのであるが、ここでは秩父巡りも入れていただくお目こぼしを願って・・・)


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