この一週間、ある政治学者とネットで議論している。
主題は、北朝鮮情勢、アメリカ国内政治、中国情勢などだが、ここでつくづく思うのは、現代日本の我々はいかに古いフレームワークの中で思考しているかということである。
この政治学者は、かなり保守的な方向性を持つ方だが、こういう人が、この偏狭な日本の知的空間の中からよく出てきたな、と驚きを禁じ得ない。
「古いフレームワーク」「偏狭な日本の知的空間」とは、日本の学壇、思想形成、論壇、法曹、政治状況、行政、教育、社会形成などありとあらゆる分野を強力に支配しており、それをオカブは「朝日・岩波史観」と呼ぶ。
では、それは具体的にどのようなものを指すのか、どのように定義されるのかと言われると答えに窮するが、オカブは、それが主に朝日・岩波の出版物によって伝播された日本を覆う偽善的・欺瞞的な「ヒューマニズム」に基づく価値観と感じている。
これが「人権」「平和」「反戦」「平等」「人間の尊厳」などの甘い単語と相俟って、日本人の心理や価値観を支配し、支配される側の日本人は思考停止を強制され、選挙や世論形成などで、可視的にそれらの価値観が実態を伴って社会に表面化する。
だから現代日本人は安保法制、森友・加計学園のような事象に出くわすと、朝日・岩波史観に基づいた情報を無意識のうちにメディアから選好的に受信し、自ら問題の本質を論理的に思考しないまま、朝日・岩波史観に基づく自らの深層心理に存する価値判断基準によって直感的に反応するのである。
思えば、朝日・岩波史観は戦後において戦中・戦前の皇国史観、反動政治に対する反省から生まれ、大内兵衛、丸山眞夫らの理論的支柱によって体系化され、それはある意味、戦中・戦前の日本の問題を総括するツールとして一定の意味を持っていた。
しかし、それがいつしか日本の「国家」理念の主流となり、メディアの論調も、大学教育を含む教育の方向性も、政治思想もすべて朝日・岩波史観に基づかなければ排除されるという独裁的状況に至るようになった。これは、学壇における主流の学説、大学教育の実態、司法試験の正答基準、公務員の採用基準などによって実体化しますます支配力を強める。
昨今、「日本の右傾化」なるものが朝日・岩波陣営によって危機感を以て指摘される状況を迎え、ようやく一部の日本人が逆に「朝日・岩波史観」のドグマの存在を意識するようになった。冒頭にあげた政治学者なども、こうした環境の中で自らの論説を構築してきたのだろうが、オカブはこうした動きが決して喜ばしいと思っているわけではない。
ただし、朝日・岩波史観が古臭い欺瞞に満ちた「空気」の「暴力」を振りかざし、日本人に思考停止を強制し、他の言説を一切認めないという独裁的言論空間を独占しようとするに至って、日本人はそれに対する異議申し立てを行ってもいいのではないかと思っている。
オカブは日本人はすべて保守的指向になるべきだと考えているわけではない。そこには多様な言論があっていいのであり、その中には極端に言えばプロレタリアート独裁的な思想も含まれると考えるのが自然だと思っている。
だからこそ、朝日・岩波史観の排他的・独裁的な社会全体を覆う精神基盤に対しては異議申し立てを行うべきだと考える。
昨今のように、合理的思考が求められる安全保障問題に日本が直面するにあたって、ドグマ的かつ先験的な言論空間を再検討しても良いのではないか?
秋曇り思い煩う果ての空 素閑
俳句・短歌ランキング