昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

大晦日なりけり

2009-12-31 00:49:00 | 日記・エッセイ・コラム

とうとう今年も今日をもって最終日となった。オカブのように年寄りの部類に入る人間にとっては、年が改まるということはそれだけ感慨深いものがある。「門松は冥土の道の一里塚目出度くもあり目出度くもなし」と詠んだ一休の心境に相通ずるものがある。昨日、今年の会計の締めの作業で朝まで仕事をしていたので、今朝は10時過ぎまで寝ていた。しかし、今月分の自分の給料も満足に払えていない。どうなることやらである。くよくよしても始まらない。来年に期するばかりである。わずかながらも新規ビジネスで売上も上がった。まあ、よしとしよう。6時過ぎに、毎年オカブの担当となっている年越し蕎麦つくり。サミットで一匹280円也の海老天を買ってきた。オカブはお銚子がついた分、海老天はなし。いや、ケチでそうしているのではなく、蕎麦っ食いの矜持としてオカブは蕎麦と天麩羅を一緒に食わないことをポリシーとしているのだ。いいかげん、酔いも回ってきたところで8時から大晦日恒例の第九。結論から言うと、今年の第九は近年にない名演。指揮の大御所、クルト・マズア、ソロの福井敬、福島明也と大物をそろえたキャスティング。そしてN響もマズアのトレーニングがよほど効いたのか無様な場面を見せなかった。そして福井、福島のテノール、バリトンの掛け合わせはお馴染のもので安心して聴いていられた。さらに、合唱は国音に加えて東京少年少女合唱団が入ったのがいい。思うに国音のソプラノの声質の太い歌手をアルトに回したのではないか?その結果、あれだけ透明感のあるハーモニーが完成されたのだろう。第九が終わって、「こうもり」のDVDをかけながら、「クラシック・ハイライト」を続けて見る。ズービン・メータ指揮のウィーン・フィルの東京公演のベートーヴェンの録画を聴いて、ちょっと第九のN響の演奏に比較感からがっかり。さすがに世界の最高峰とはまともに勝負できないようだ。「こうもり」とテレビの「カルメン」がごっちゃになってきたので、残念だがDVDを止めた。シンシナティ響の「新世界」があまり長かったので、途中から東急ジルベスター・コンサートにチャンネルを換える。今年のカウントダウンはホルストの木星。今年は曲の終わりがぴったり23:59:59に合った!

 

新年おめでとうございます。

 

     鍋を煮つ床を拭きつつ晦日かな     素閑

 

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年の瀬にあたって

2009-12-30 18:13:00 | 日記・エッセイ・コラム

2009年もあと一日を残すのみとなった。今年は、社会・経済・政治のうえで激動の年だったが、オカブにとっては特に変わり映えのない年だった。変わったことといったら、会社を設立したことくらいだが、今までとは違って金勘定を厳密にやらなければならなくなったこと、そして稼いだ分がすべて自分の金にはならなくなったことが変化といえば変化だろうか?貧乏暮らしは相も変わらずである。来年を予測することは難しいが、政府の金融政策にドラスティックな処方が見られなければ、経済のデフレ傾向に改善の兆しは見られないだろう。為替については外貨準備高と来年度の新規国債発行高がキーポイントだと考える。前者が低水準で、後者が高水準だとしたら、円高基調が一変して、円安に振れる可能性もある。もっとも、輸入業者のオカブとしては、このまま円高が続いてくれるほうが目先はありがたいのだが、国内市場の需要が刺激されなければ売上はジリ貧である。国内景気に為替はどういう方向で影響するのか見極めたいところだ。夕方、かーたんと年末の買い物に下北沢に出かける。暮れの食品や日用品などを買って帰る。帰り道に、今年最後の贅沢をしてやれと、カフェ・レストランに入り、ケーキセットというのを食べてきた。ミックス・ショートケーキ480円にコーヒーをつけるとコーヒーが300円。つましい歳末の贅沢ではあった。

 

   年の瀬の風は冷たし細き民     素閑

 

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我が家でクリスマス

2009-12-25 12:37:00 | 日記・エッセイ・コラム

教会関係のクリスマス行事が一通り終わると、やっと我がホームでも年末モード突入だ。そこでうちでは25日にささやかなクリスマス・パーティーをやることにしている。Floでクリスマスケーキを買ってきて、ご馳走は西友のチキンのもも焼き。どちらも24日過ぎだから多少安くなっていると思ったら、正価のまま鎮座ましましている。どうも、この不景気で、セール品に目をつける人が多くなって、25日の商品の売れ行きが良いため、各業者も25日に安売りをしなくなったというような事情のようだ。エルさんが塾から帰ってくるのを心待ちにし、祝宴開始。シャンパンとジュースで乾杯し、今年を振り合える。うちは大晦日が夜中まで慌しいから、クリスマスの晩がちょうど今年の思いを語るのにふさわしい場かもしれない。エルさんは来年大学受験。マイペースでのんびりやっているが、模試の成績などで見ると進境著しいらしい。まあ頑張ってもらいたいものだ。かーたんも今年一年ご苦労様でした。まあ、来年も頑張るぞお。例年はオカブ商会の初決算である。どのような数字が出てくるか。まあ、こんな零細企業の業績なんか簡単に読めるのだが・・・・期待は大きく持とう。

 

  妻子集い笑顔で迎えり降誕日     素閑

 

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クリスマスイブ燭火礼拝

2009-12-24 12:04:00 | 日記・エッセイ・コラム

クリスマス礼拝に続いて、24日の晩にはクリスマスイブを祝う燭火礼拝というのが普通の教会では催される。何度も何度もご苦労なことだという声が聞こえてきそうだが、まさにその通りで、クリスチャンにとってもこの季節は嬉しく喜ばしいとともに、とってもしんどい季節でもあるのだ。そうこう愚痴をこぼしている暇があらばこそ、クリスマスイブはあっという間に来てしまう。燭火礼拝は礼拝の中でも式典の色彩が強いので、万事遺漏がないように、事前に何度も打合せがもたれ、リハーサルも行われる。そのなかでいろいろな企画が提出され処理、実施していかなければならない。そのスケジュールをこなして行くめまぐるしさといったら何にたとえていいやら。オカブは企画係だから、仕事がわっと集中する。暮れの忙しいのに・・・と言いたいところだが暇人のオカブだからこそできた芸当かもしれない。イブの夜は太子堂の街の街頭のキャロリングから始まる。そして夜の7:30から礼拝開始。前奏でかーたんのオルガン伴奏でヘンデル、メサイヤの中の「主はわが牧者」のテーマをフルートで吹く。その後、聖書朗読と賛美の礼拝形式が続き、牧師のメッセージ。かーたんの独唱による奉唱。聖歌隊の奉唱賛美は「ああベツレヘムよ」と「さやかに星はきらめき」そして、閉会唱の「主よわれらを祝し」。礼拝が終わり会衆同士が握手をして「メリー・クリスマス」と祝福しあう。会場出口では教会学校生徒がキャンディのプレゼント。これで教会のクリスマスの行事が一通り終わったことになる。お疲れ様でした。終了後、関係者が集会室に集まってご苦労さん会。いろいろなご馳走が手品のように出てきて大変豪勢な会だ。ちなみに異論もあろうが、オカブの教会は、教会施設内でもお酒を飲んでいい教会。信徒には固く飲酒を禁じている教会、信徒同士では酒席を持たない教会、教会内では飲酒しない教会など、教会のお酒に対するスタンスはさまざまだが、オカブは自らの教会のお酒に対する寛大な姿勢に大いに賛同するものである。そこでワイン、シャンパン、ビール、ウィスキーと痛飲する。ご苦労さん会が終わって、有志はカラオケに流れた。長い一日が終わった。皆様のクリスマスはいかがであったろうか?素晴らしいクリスマスをお迎えください。

Merry Christmas!

   聖夜かな家路を急ぐ人せわし     素閑

 

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クリスマス礼拝

2009-12-20 11:23:00 | 日記・エッセイ・コラム

一般のキリスト教の教会では、待降節の第四週目の日曜日をクリスマス礼拝としている。この日に蝋燭が四本立っているリース、アドヴェント・クランツに四本すべての蝋燭の火がともされる。現在のキリスト教の形態は、長い2000年余りの年月を経て形づくられてきた。だから、一般的にいま教会でなされていることが、古代イエス・キリストの時代の教義に基づいているとは限らない。アドヴェント・クランツはもとより、クリスマス・ツリー、またクリスマスが12月25日に祝われるということも後世に付け加わった、キリスト教の決まりごとである。しかし、このような後付の行事などは、聖書の教えに照らして決して矛盾することではない。光の子であるイエス・キリストの誕生を、古代の冬至の日であった、12月25日に祝うということは、なんとふさわしいことであろうか。教会では信徒がこぞって高らかに、そして厳かにクリスマスの礼拝を捧げる。クリスマス礼拝、あるいはイブに行われるクリスマス燭火礼拝は、イザヤ書のイエスの出現の予言から説きだすことが多いようだ。礼拝の後は、午後から祝会。愛餐会とも称して、会衆が食事をともにしてクリスマスを祝うとともに交わりのときを持つ趣旨のもの。オカブの教会の愛餐会はポット・ラックといってみんながご馳走を持ち寄って食卓を整える。食前の祈りがあり、しばらく食事タイム、そして附属幼稚園のお母様方のトーンチャイム部による素晴らしいトーンチャイム演奏、新受洗者の歓迎タイム、幼稚園職員によるページェント、教会学校生徒による賛美、プレゼント交換と例年になく盛りだくさんなプログラムだった。ちなみに祝会の司会はやったー・うーまんとオカブが努めさせていただいた。よき集会だった。皆様が素晴らしいクリスマスをお迎えになられるように・・・・

 

   いざ祝えしもた屋の町降誕祭     素閑

 

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初冬の駒場公園

2009-12-17 14:13:06 | 日記・エッセイ・コラム

渋谷まで用事があるので、歩いていった。交通機関を使わないのは経費節減策の一環である。穏やかな小春日・・・と言いたいところだが今朝の冷え込みは厳しかった。道を歩きカバンを持つ手が悴んでくる。しかし、晴れ渡った良い天気。冬晴れの青空の下を歩くのは気持ちが良い。渋谷から帰る途中、若林通りの駒場から駒場東大前へ出て、駒場野公園、そして旧前田侯爵邸のあった駒場公園へわざわざ回り道をして、行ってきた。暮れの多用な折に忙中閑ありのひと時である。駒場野公園では、林の中で冬の漂鳥が飛び交い、さえずる様が快かった。稲刈りがとっくに終わって、稲株が蕭々と枯れた茎を晒しているのはあわれだ。ここはもと東京教育大学農学部があった跡地である。駒場公園。ここには、もう何回も訪れているが、前田侯爵の屋敷跡を東京都が譲り受け、日本近代文学館とした。昔は展示館は侯爵邸の洋館内にあったのだが、建物の維持管理が大変であるのか、敷地内にコンクリート建築の別棟が建てられ、展示品はそちらで見ることができる。ただし、入館料100円也。駒場公園は水曜から日曜、および祝日に開園している。侯爵邸の洋館内の豪奢な部屋を見ていると、鹿鳴館時代にタイムスリップしたような気分だ。もっとも建物自体は昭和初期の建造。しかし豪勢なものである。今、格差社会とか富の一極集中とか言われているが、昔の金持ちは今とは桁が違うという印象だ。ただ、昔は、いわゆる欠食児童とか娘の身売りとか、貧困にまつわる哀話があったが、それでも現代のように住居も、また文字通りの食糧にも行き詰った生活を強いられる人口の比率は低かったのではないか。どうも、昔と比べて生活は便利にはなったが、昔のほうが生活に余裕があったように思えてならない。国民の余裕ある生活水準を維持するには、国家の政治・経済に関する有効で現代の国際状況に即した政策が不可欠である。どうも、この辺にいまの民主党政権に見識があるかどうか疑わしい。それに、現在の経済不安に即効性のある対策といったら、まず第一次補正を凍結するなどといった愚策はとれなかったはずだ。現政権は国民生活以上に政局を重視している現われである。いや余計なことを申し上げました。帰宅して、営業活動とは関係のない書類仕事が山ほど待っている。オカブ商会に陽の当たる日が来るのはいつことか?

 

   日向ぼこ貴人の館声なけり     素閑

 

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クリスマス賛美礼拝

2009-12-05 15:25:00 | 日記・エッセイ・コラム

エルさんの通う学校、ということはかーたんの母校でもあるのだが、その学校が毎年、この季節に恒例として主催している行事「クリスマス賛美礼拝」に行ってきた。学校が主催というが、厳密には学校と、PTA、それにOG会が主催者になっている。卒業生には年に一度、クリスマスの時期に顔を合わせる機会。かーたんはほとんど毎年出席しているという。そこで付き合いの良いオカブもかーたんと一緒になってから、もう十回近くも行っている。せっかくたまに一緒に外出するのだから、家を少し早めに出て、自由が丘の界隈を冷やかすつもりだったが、途中で雨が降ってきて、急いで会場のある学校に駆け込む。この日は、入試説明会も同時にやっていて、1時まで会場に入れない。そこで、PTAの方々が用意してくださった待合室にて、かーたんとエルさんの進路のことなどについてつれづれを語り合う。礼拝は同窓会長の挨拶に続いてパイプオルガン前奏、聖歌隊奉唱、会衆賛美、教職員による奉唱、プロの歌手である卒業生の独唱、ギター・マンドリンの合奏、ウィンドオーケストラによる演奏、ハンドベル演奏とプログラムが盛りだくさんに続く。そして学院長先生のメッセージ。最後に全員で「ハレルヤ・コーラス」の合唱。ミッション・スクールならではの素晴らしいクリスマス・プレゼントとしての集会だった。礼拝が終わり、ラウンジに会場を移して茶話会。かーたんはかつてのクラスメートや、担任の先生、エルさんの部活の顧問の先生らと歓談。学院長先生からも声をかけられてとても心温まるひと時だった。この学校はミッション・スクールということを抜きにしても、生徒、教職員、保護者が一体となったアット・ホームな素晴らしい学校であると思う。よい一日だった。

 

   賛美歌や氷雨を解かす聖なる灯     素閑

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