昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

イナダ

2010-05-18 05:18:00 | グルメ

かーたんが晩飯のおかずにイナダを買ってきた。丸のまま買ってきた。下北沢の『オオゼキ』で一匹598円だったそうだ。「捌いてもらってきたらよかったじゃん」と言ったが、丸のままの魚の姿を見せたかったと言う。その意気やよし。しかし中くらいのブリほどの大きさである。かーたんがこれを料理できるか心配だったが、なにやら台所でごそごそやっていたら「できたよー」と呼ぶ声。見事に刺身と塩焼きが完成していた。心配は杞憂に終わった。存分に食った。ビールも開けて宴会気分。今日はエルさんも学校から早めに帰ってきたから、宴会に加わった。さんざん食い散らかして飲んで眠くなったから、二階に上がって寝た。目を覚ましたらテレビで楽天戦のダイジェストをやっていた。また寝た。翌朝4時に目が覚めて、起きてブログを更新した。イナダのお陰でなにか強烈な印象の一夜だった。

 

  夏の宵丸のイナダを割きにけり    素閑

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渋谷へ

2010-05-15 04:12:00 | 日記・エッセイ・コラム

かーたんのお供で渋谷へ行ってきた。6月の発表会も間近いので、舞台衣装のドレスを仕入れに行くことになったのだ。昼ごろ家を出て代沢十字路からバスで渋谷へ。折角来たのだからと、おのぼりさん気分でスペイン坂などを冷やかして回る。喉が渇いたので、道玄坂のサーティワンでアイスクリームを食べたらますます喉が渇いてしまった。さて、どうもオカブは女の着るものには疎くて、ましてや音楽会用の衣装といわれてもどれがよいやらトンと見当がつかないのだが、一応、ご意見番兼荷物持ちとして付いていった。シブチカで馴染みの店に入る。ゴテゴテした水商売風というか曲馬(古い言葉を知ってるねー)の衣裳風の服が並んで陳列されている中から、適当に舞台用に使い回しができるものを選んでいく。高級店で売っているような高価なドレスが買えないから、どうしても安物のどぎつい色合いの商品の中から選ぶしかない。結局、オカブのお薦めもありベージュのと深紅のと白のとをお買い上げ。ここの商品の中でも比較的お上品なものを見繕ったつもりだ。お昼でも食べるかと、マークシティに入り、『ライオン』と『つばめグリル』のメニューを見比べ、『つばめグリル』のほうがいいね、と相成った。まずはビール、そしてつまみに田舎風パテ、かーたんはハンバーグつばめグリル風にオカブはいつものアイスバイン。鯨飲馬食してお腹が一杯。そして、かーたんは『zoff』でメガネを作った。かーたんがメガネを作るのは十数年ぶり。前回メガネ選びに失敗しているので慎重にフレームを物色する。しかし、かーたんがメガネをかけるとどれも学校の先生のような顔になるからお笑いだ。検眼をして、会計を済ませると40分ほどで出来上がるというので、マークシティの中をぶらつく。『コールドストーン・クリーメリー』というアイスクリーム屋さんで、店員さんが歌を歌いながらアイスクリームを作っている。アイスクリームを作るといっては変だが、要はクリームにフルーツやトッピングを練りこんでいくのだ。これを練りコテのリズムと歌にあわせてやる。このパフォーマンスが面白いのでかーたんが一つ注文して、ついでに『スイカの名産地』の歌をリクエスト。オカブも釣られて、アイスと歌を注文。楽しい店だった。『zoff』でメガネを回収して6時過ぎバスにてご帰館。

 

   赤青と行き交う夏着鮮やかに     素閑

 

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倉渕(三日目)

2010-05-08 18:45:00 | 旅行記

さて、倉渕の最終日。もろもろの事情を考え合わせ、少し早いが、11時37分落合発のぐるりんで帰ることにする。からりと晴れた五月晴れ。朝方Hの好意で榛名山神社に案内してもらった。榛名山神社というと東京人にはちょっと縁が遠いようにも思えるが、参道の石柵の寄進者の名前には、オカブ家からも程近い三軒茶屋や上馬在住の方の名も刻まれていた。さて、オカブはこの関東の名刹をとんとご存じなかったわけで、昨日の榛名湖もそうだが、こんな山深い奥になんと開けた一大山岳道場が存在しているのは驚きの一言であった。しかし、榛名湖も榛名神社も伊香保からの道が表口で、倉渕からの往来はあまりないというHの言だった。山道を車で登っていくと、人家が両脇に現れ、それはこの神社の講の宿坊であった。それがかれこれ七八軒もあったろうか。とにかく大規模な神社である。急勾配の参道の坂道をヒイコラ登っていくと、石畳が尽きて、今度は急な石段になる。石段の曲がり角の要所要所にはいわく因縁付の建造物や、瀧、岩などがあり退屈しない。途中にお土産を売る茶店などもあり、サービスに漬物を出すなどビジネスマインドも旺盛で榛名神社はなかなか侮れない。さて石段が尽きた奥社に着き、Hがこれがご神体だというに、頭の上を優に40mはあろうかという縦長の大岩の上にこけしの頭のごとく砲丸上の大岩が載っている。そこに注連縄・御幣が祭られご神体となっているのだが、なるほど、これほどの奇勝なら昔の人だったらきっと伏し拝みたくなるだろうと納得するほどの、驚くべき自然の造形である。まあ、謹んで参拝させていただいた。この朝早いのに神社に参拝する善男善女があまたいて、中にはHがあれは歴女だろうとするような若い女性のグループの参拝客などもいた。また麓まで戻ってきて、蕎麦や川魚料理を供する食堂や土産物屋などを横目で見ながら、駐車場にとめてあったHの車の車上の人となる。まだ時間が早かったのでH邸に帰り、茶など飲んで時間をすごした。そして、Hに落合まで車に乗せてもらって、再会を約し別れを告げ、「ぐるりん」で高崎へ。列車の接続もよく20分ほどで小田原行きの湘南スカイライナーに乗り込んだ。3時間後には自宅で、荷物をといてHから土産にもらった、筍と蕨の下処理をかーたんに命じ、すっかり寛いでいた。

 

   初夏の岩清水の音の快き     素閑

 

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倉渕(二日目)

2010-05-07 17:58:00 | 旅行記

さて、倉渕の朝は明け、早起きのHが階下でパソコン作業などをしている音を寝ぼけ眼で聴きつつ、いつのまにか起床。朝食を摂り、今日の課業である、切り出した竹の焼却作業。9時頃作業開始。都会では焚き火などもはや贅沢なもので、一般人が勝手にできるようなものではないが、ここの山の中でも、野焼きはご法度とのお達しがお上から回ってきているという。しかし、まあ目立たない程度にちょぼちょぼと(実は盛大に)古竹を燃やす作業に精を出す。最初はもちろん焚き火などものめずらしさも手伝って、夢中になってやっていたのだが、竹を折るのに一苦労して、やがて足腰は痛くなってくるは、強い火勢に攻め立てるはで閉口した。しかし、火というのは人間の精神の均衡や安定を保つのに欠かせないというのが山登りをしていた頃からのオカブの持論で、キャンプファイヤーや火祭など、火に絡ませた古今東西のセレモニーのなんと多いことよ。そこで体は疲れたが、心は火に当たって実に和んだ次第。さて、今朝は朝からどんよりとした曇り空だったが、昼前からぱらぱらと雨が落ちてきた。次第に雨脚も強まり、雨を騙し騙しの焼却作業。一通り燃やし尽くしたのを見計らって、作業終了。田舎の仕事は暢気というか、肉体労働だと連続作業では身体がもたない。それからHの敷地で筍堀と山菜摘みをした。筍は初心者だと結構掘るのが難しく深く掘り取ることのできたのはわずかばかり。山菜摘みはタラの芽、山独活、そして蕨。特にHの蕨田はこの都会では貴重な山菜の宝庫で、たちまち一抱えも蕨が取れた。それにしてもHがこぼすには、山菜を狙った闖入者が後を絶たず、特にタラの木からタラの芽を片っ端からもぎ取っていき、木を枯らしてしまう不心得者がいるということだ。昼食はK夫人お手製の美味しい山菜入り焼きそば。そして午後はH夫妻が榛名湖まで案内してくれた。雨に煙る山上の湖もいいものだ。途中の道筋はつつじ、水仙、山桜が満開で実に豪勢なドライブだった。そして榛名湖温泉で汗を流す。熱い湯に雨にぬれた手足を伸ばし、実にいい気分だった。露天風呂に浸かって湖面を眺めると、雨とともに山霧が水面を隠したり見せたりしてなかなかの趣のある風景を楽しんだ。そして、家に帰るとK夫人が採ったタラの芽、独活で天麩羅を、筍は若竹、蕨は炒り煮と結構な山菜尽くしの晩餐でもてなしてくれた。もちろんHと酒になったことはいうまでもない。この上はH家のご好意に存分に甘えることとしよう。帰京する明日の好天を願って十一時頃就寝。

 

   榛名山湖畔の湯に落つ五月雨や     素閑

 

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倉渕に行ってきた

2010-05-06 14:58:00 | 旅行記

群馬県は倉渕というところに行ってきた。高崎からバスで榛名山麓を行くこと約1時間。山深い榛名川の谷筋に人家が点在する地域がある。これが倉渕だ。ここには一昨年も行ってきた。大学時代の友人Hが一念奮起、自らが建てるセルフビルドの家で奮闘していて、微力ながら壁起こしの手伝いに、サークルの先輩らと出かけていったのだ。この制作過程は以下のに詳しい。http://pub.ne.jp/tabikarasu/ご自分の手で一から家を建てる事に興味を持っている方はご一読されてはいかが?さて、現代は、自分で家を立てようとする人がいる一方、文明の利器という奴で、地理的移動に関してはずいぶん便利になった。渋谷を10時過ぎの湘南スカイライナーで起つと、高崎に着くのは12時前。30年も前、谷川岳に登るのに、上越線でちんたらちんたら走った頃とは隔世の感がある。さて、Hの住む倉渕へは、高崎市が群馬バスに委託運行している「ぐるりん」という結構な定期バスがあって、これだと、わずか運賃300円で行ける。しかしもとより本数が少なく、次のバスは14時半発。だからといって不便を囲っていてはいかん。せっかく、遠くまで出てきたのだから観光というか、物見遊山というか、ようは「ぶらり旅」の要領で街歩きなどをしてみるに限る。しかし、高崎という上州の中心都市は存外、観光資源に乏しくどこか見てやろうということにしても、なかなか見てやる対象が見つからん。そこで不本意ではあるが一昨年も来た、駿河大納言徳川忠長の墓所のある大信寺へ行って、暇を潰すことにする。大信寺は高崎駅西口から徒歩十五分ほど。閑静な住宅街のに囲まれている。寺は幼稚園も経営していて、寺の本堂脇の幼稚園の敷地を通って墓所へ入る。徳川忠長の来歴についてはこちらをご参照願いたい。http://homepage2.nifty.com/fledermaus/~kurabuchi2008-1.html大信寺では忠長公の墓塔の他に歴代住職の卵塔、守隋彦三郎の墓などを見た。一昨年あった鄙びた六地蔵は、真新しい現代的で小ぶりなものに取って代わられ実に残念だった。それにしても今日は暑い。早々に寺見物を切り上げて、腹ごしらえへと参ることにいたそう。日本人は旅に出るとなぜか蕎麦を食いたがる。オカブは大の蕎麦好きだから異存はないのだが、普段、蕎麦など見向きもしない連中も、なぜか旅先では蕎麦を食う。だから、日本中の観光地には名代の蕎麦屋が目白押しである。不思議な現象だ。今回入ったのは、大信寺の裏(といってもこちらのほうが大通りに面しているのだが・・・)に位置する『もりや』という蕎麦屋。カレーライスやカツ丼も供するいわゆる町の蕎麦屋だ。ここのいいところは、安いことと分量がはんぱなく多いところ。盛り蕎麦450円を二枚にビールジョッキ一杯400円、日本酒冷400円、締めて1700円。特に日本酒はでかいグラスになみなみ注いで持ってきた。しかも盛り蕎麦には山菜の天麩羅の箸休めもついている。満足満足で高崎駅に向かう。高崎駅からぐるりんで市内を通り抜け、烏川を渡って、山道をうねうねと登っていく。懐かしい土塀の家などを通り過ぎ、目的地の落合でバスを捨てる。Hが軽トラックで迎えに来てくれた。互いに久闊を述べるまでもなく新装成ったH宅へ。H邸は、この山里ではとてつもない豪邸といっていい佇まいで、コテージ風の装いの都会で見てもしゃれた風格。とにかくこの家を一人で建て上げたHに脱帽。一休みした後、明日降雨が予想されるため、建築中の焼き物の工房のほうの屋根にビニールシートを掛ける作業。そのうちK子夫人も勤務から帰ってこられた。作業を済ませ、下界のスーパーに買出しに。食料品などを仕入れる。夕食はもちろん、Hと再開を祝してビールで酒宴。HとBS録画の廣川健太郎氏の谷川岳一の倉沢第三スラブ冬期登攀を記録した番組などを見て、昔日の山に青春をぶつけた日々のことなどをしのんだ。そして童心に返り、花火などをして楽しんだ。盛りだくさんの一日に眠気もいや増し、十時にベッドで就寝。

 

   山里の夕べの風も夏となり     素閑

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