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昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

二期会公演『トリスタンとイゾルデ』を観てきた。

2016-09-10 23:45:35 | アート・文化

東京文化会館に、東京二期会とライプツィッヒ歌劇場のジョイント公演の『トリスタンとイゾルデ』をかーたんと観てきた。
2時開演の19時終演という大作。
もちろんワーグナー作曲だが、オカブたちが特にワーグナーものを好きだということではない。
タイトル・ロールのトリスタン役、ブライアン・レジスターは体調が優れないということだったが、確かに声が抜けきっていないようだった。ワーグナーのヘルデン・テノールで声太さのオケには決して負けない力強さが感じられなかった。不調の故だろう。
イゾルデの横山恵子も、オケが盛り上がってくると声負けしてしまう。演技も少し硬かったようだ。ワーグナーはあのように演ずるものなのか?
マルケ王の清水那由太もあまりいい出来ではなかった。
しかし、クルヴェナールの大沼徹は今回の出色の熱演。素晴らしいバリトンの朗唱で他を圧していた。
ブランゲーネの加納悦子も役作り、歌唱ともに高いレベルのものを魅せてくれた。
指揮のヘスス・ロペスは客演というハンディを乗り越えて、オケの読響をそこそこ纏めていた。
衣装と大道具は最低限ということか?まあ、興行的に何とかするには抑えるところは抑えねばならんということは理解できる。
まあ、今回はレチタティーヴォだけの楽劇で、しかも長時間の大作ということで、聴く方も忍耐と、ワーグナーへの理解も含むそれなりの鑑賞力、そしてエネルギーが求められたであろう。しかし、これだけの大公演を鑑賞して、満足感は一杯だった。
7時にオペラが跳ね、今晩のスッペは若林のフォルツァ・ドンナ』を押さえてある。
渋谷から成城学園前行きのバスで若林一丁目。
ここのレストランの料理の数々もオペラの美声に勝るとも劣らない傑作である。
しかも庶民的お値段であるところが嬉しい。
太子堂の住宅街を抜けて、11時前にご帰館。

秋の日の悲劇よ叫べ滅ぶとも   素閑


 


かーたんが歌の練習を再開した。

2016-06-12 20:09:51 | アート・文化

かーたんの大腸がんの手術の退院から2日が過ぎた。
術後の経過は極めて良好で、みるみる回復していくのがオカブの眼から見てもわかる。
とにかく、手術の傷の回復のためには、かえって務めて運動したほうが良いというので、一昨日から二人で散歩がてら三茶に買い物に行ったりしている。しかし、「散歩がてら」といっても、かーたんの食餌療法の有機人参やら、林檎やら、白桃の缶詰やらをたんまり仕入れ、それを担荷するのはすべてオカブだから、オカブにとってはいい運動どころか、過酷な道中だ、
それと、かーたんは今日から歌の練習を再開した。
始めは声出し、発声練習、そして『ルサルカ』のアリア。最高音の音を伸ばすのがちょっときついが、なんとか通しで歌えたらしい。
練習の後は、また二人で三茶まで買い物。
早くなんとか全快してほしい。

空低し梅雨空破る恋の歌   素閑


浄化されたドストエフスキー『罪と罰』

2015-04-22 12:09:59 | アート・文化

『罪と罰』というドストエフスキーの小説のタイトルを知らない人は少ないだろう。
しかし、それを完読したという人も、また少ないだろう。
オカブも冒頭と終わりの部分しか読んでいない。
一体、ドストエフスキーという作家の作品は極めて昏い上に文章が晦渋を極めているので、名作の名をほしいままにしていながら、読者に敬遠されている。
しかし、数十年前に読んだ記憶をたどれば、冒頭の、暑さの坩堝の底の夏のサンクト・ペテルブルグの描写や、主人公、ラスコーリニコフの殺人を犯さねばならないという偏執狂的な妄想に駆られる場面ががまざまざと思い起こされる。この冒頭はカミユも影響を受けたことであろう。ペテルブルグの夏とオランの夏を比べてみると両者の呪われた主人公の背景を成す舞台装置の共通性が見られる。
ラスコーリニコフには全くの人間的な希望から突き放された、ただ観念の上での自己の指向するところのものを成し遂げようとする、「孤独者」の姿がある。
ラスコーリニコフは自己の偏執を実行し、金貸しの老婆を殺害する。しかし、その行為とラスコーリニコフには逃れえない「罪」が覆いかぶさってくる。
カフカなら、彼は絶望的な虚無の中で死ぬか、不条理のただ中に埋没する小説の最後を用意するのであろうが、ドストエフスキーは作品を絶望では終わらせなかった。
この膨大な小説の進行を語ることはできないが、小説の最後の部分でラスコーリニコフが犯行を自供し自首して、判決を受けシベリアに徒刑に出発しようとするところ・・・・これまでラスコーリニコフの支えとなってきた貧しい娼婦のソーニャとの別れと新生への誓いがこの小説の結論を象徴している。
ここには、絶対的な何者かによる救済の手が差し伸べられており、作品の最後に希望の兆しを垣間見ることが出来る。それは神ともいえるし神以外の何かともいえる。
読者である私たちはこの結末を読んで何がしかの救いを得るのである。
ドストエフスキーがこの小説を絶望によって終わらせなかったところに、彼の「希望」に賭ける想いと、「救済」への信頼、そして、それらのものがあるが故に、作品をシニカルな日常の中に置くのではなく、昏い暗鬱とした空気の非日常性に包ませて、わずかな光明に縋る「希望」と「救済」の偉大さを浮き彫りにしていると言えよう。
ここにドストエフスキーがもたらす魂の浄化がある。

春愁や明るき陽のさす町の辺で   素閑 

          


年末のシュニッツェル・パーティー(ウィンナ・シュニッツェルとサーモン・マリネのレシピ公開)

2014-12-29 22:26:57 | アート・文化

年の瀬であわただしい12月29日に二人の歌姫が我が家に集まった。
先の長い話ではあるが来年の11月23日の勤労感謝の日に開催する自主コンサートの打ち合わせと、かーたんを交えて旧交を温める忘年会を家でやろうという次第である。
このコンサートはオーストリアワインの販売業者とコラボでやるため、テーマはオーストリア・・・・とりわけウィーン。ウィーンゆかりの作曲家の歌曲、オペラ・アリア、オペレッタ・アリアを中心に歌を聴いていただいて、コンサート終了後はオーストリアワインのミニパーティー&試飲会がある。オーストリアワインは日本では非常にマイナーだが、グリューナー・ヴェルトリーナの炭酸味を帯びた独特の味わいは何物にも代えがたいのでワイン通の方にはぜひお試しいただきたいところ。このコンサートに向けて三人の声楽家がこの日演目の曲決めをしようというのである。
オカブはこの催しで裏方を務めることになっているが、音楽会の内容についてはノータッチなので席に加わることはない。しかし、裏方として同時に開かれる忘年会の料理役をかーたんから仰せつかった。だから料理を作っただけであるが、逆に料理に関しては専任でやったので、ここでそのレシピを公開しようと思う。
ところで来年の11月23日のコンサートにご興味のある方はオカブまでお知らせください。チケットをお送りいたします。一枚、4,500円です。

年の瀬や厨仕事に追われる身   素閑 

まずは、サーモン・マリネからである。玉ねぎである。薄切りにして、塩でもんでタッパーに入れ水を入れてさらし、冷蔵庫に二昼夜入れておく。

サーモンは生サーモンを冷凍して解凍したもの、刺身用サーモン、スモークト・サーモンといりいろ試したが、スモークト・サーモンが一番高価だが一番無難である。生鮭を使う場合は寄生虫の心配があるので調理に十分注意する。冷凍するだけでは少し心配な面がある。このスモークト・サーモンは横に二分に切って使う。

切ったサーモンをタッパーに敷く。

その上に水で晒してよく絞って水を切った玉ねぎを敷く。サーモンと玉ねぎを交互に重ねていく。

 

重ね終わったサーモンと玉ねぎ。ケッパーの実を上に添える。

市販のマリネ液をひたひたになるまで注いで冷蔵庫で一昼夜置く。マリネ液を自作する場合は砂糖大匙5、絞りレモン液大3個、酢大匙3、塩一つまみの要領。

出来上がり。タッパーからマリネ液をよく切って器に盛る。お好みで野菜、ゆで卵などを添える。お正月料理などにも良い。

次にシュニッツェルである。肉である。スーパーで5枚610円の特売ロース切り身である。本場の高級品は仔牛の肉を使う。しかし日本では仔牛の肉など庶民の手に入るはずもない。成牛の牛肉を使うとうまくいかない。日本人の細民は豚肉を使う西数である。

 

 

肉が容易で来たら肉叩きで、肉がペラペラになるまでよくたたく。肉叩きがない場合はビール瓶などで代用しても良い。この工程は非常に重要でとにかく薄く延ばすことである。肉に穴があいても気にしない。

肉に塩・胡椒をする。本場ものでは全く塩味のついていないものもあるが、日本人の感覚からすると多少味があった方がいいような気がする。

あとは衣をつける工程である。まず小麦粉。成否のカギはよくふるって細かくして玉にならないようにすることである。

次にセンメル・ブレーセル。カイザー・センメルというドイツ・オーストリアのパンの特殊なパン粉である。はっきり言って、このセンメル・ブレーセルが入手できなければシュニッツェル作りは諦めたほうがよい。センメル・ブレーセル無きシュニッツェルはただのトンカツと化す。よくレシピのサイトではフランスパンをすり鉢ですってなどと書いてあるが、そんなものではあの味は出せない。
オカブがウィーンを訪れる折は帰りに必ず5箱ほどのセンメル・ブレーセルが土産の荷物に入っている。アンカー社製のものが品質が良い。ウィーンの彼処にあるアンカーのサンドイッチショップやユリウス・マインルなどのスーパーで手に入る。リンク・シュトラーセ・ギャルリーエンには置いていない。
日本でもドイツ製の「ライマー」200gカツレツ粉という商品名で、虎ノ門のウィングエース株式会社というところが輸入しているものをカルディー・ファームで売っていたが今は扱っていないようだ。
あと福岡の方のドイツ・ベーカリーで通販をしているようだ。 

センメル・ブレーセル。普通のパン粉よりはるかに粒が小さい。

後はトンカツを作る要領で。小麦粉の衣をまぶす。

とき卵をからめる。

センメルブレーセルをまぶす。まんべんなく衣がつくようすり込むようにして厚くまぶす。

ひたひたのサラダ油で揚げる。ここで分からないのだが本場ものはごく少量フライパンに敷いたラードで揚げ焼きにするという。揚げ焼きであのような完成形に至るのかよくわからない。こんど挑戦してみるか?

出来上がり。レモンを添えて熱々を召し上がれ。ボナペティ。


コミックオペラ『Rita』の公演に行ってきた

2013-07-26 12:50:00 | アート・文化

かーたんの知人がプロデュース、演出、主演するドニゼッティ作のオペレッタ『Rita』の公演に行ってきた。会場は代々木上原のMUSICASA。120人も入ればいっぱいになってしまう小ホールであるが、音響は非常に良い。
筋はイタリアのベルガモにあるオーベルジェ『アルベルゴ・リタ』の女主人、マルガリータ・・・この女、亭主のベッペを顎で使い、ベッペは辟易としている。そこへ数年前の大火事でマルガリータが焼け死んだと思っている元亭主のガスパロが、結婚証明書を手に入れてきれいさっぱり過去を清算しようとホテルに客としてやってくる。マルガリータはこれもまたガスパロが船で遭難して水死したと思っている。思わず生きているお互いを見つけたご両人。ガスパロとベッペはマルガリータを相手に押し付けようと大騒動の末、ベッペはマルガリータとのよりを戻してハッピーエンドとなる。
舞台は多田羅迪夫先生のバリトンが圧倒していた。演出、台本は洗練されていて、軽妙な笑いをとるのに十分。まあ、こういうエンターテイメントとしてこういう行き方もありかな?という印象。
帰りに下北沢の天下寿司で鱈腹詰め込んでご帰宅。

喜歌劇の笑いに忘る炎暑かな       素閑

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オーチャードホールで『ジゼル』を見てきた

2013-06-29 07:57:00 | アート・文化

発表会が終わって、かーたんがお休みの最終日、二人でバレー『ジゼル』を見てきた。これは熊川哲也が主宰するK-バレー・カンパニーの公演だが、土曜のマチネはアレブレヒトは宮尾俊太郎。ちなみにジゼルは荒井裕子、ミルタは井上とも美、ヒラリオンは遅沢佑介。バレーはペザント・パパドゥもグラン・パパドゥもスケール大きく舞台を狭く感じさせるほどの躍動感で繰り広げられて満足だった。2幕のウィリーの森はウィリー達の競演が華やかに、おどろおどろしく迫ってきて迫力満点。ミルタの井上とも美は数々の難技を見せてくれた。ヒラリオンの遅沢佑介も好演。
それとバレーに勝るとも劣らないピットの完成度の高さ。素晴らしい演奏を聞かせてくれた。

梅雨の晴れ間バレーの席の扇かな     素閑

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二期会創立60周年記念公演『マクベス』を観る

2013-05-02 23:18:00 | アート・文化

表題の通り、『マクベス』をかーたんと観てきた。
今日は仕事を早めに切り上げ、5時に家を出てかーたんとバスで渋谷へ。渋谷から銀座線で上野は東京文化会館へGO!
6時半に開演。まずは魔女たちがロフト・ハウスのような舞台で魔宴をしているところから始まる。巨大な冷蔵庫のようなクローゼットがあったり、大道具のヨルク・コスドルフはなかなか凝っている。そこへマクベスとバンコー登場。マクベスとバンコーの衣装は、ブルーのベレー帽を被ったコマンド部隊の制服のようだ。マクベスとマクベス夫人はスコットランド王を簒奪する野心にかられる。二幕でダンカン王に扮する加賀清孝御大登場。今回はマクベスに暗殺されるためだけの出演でバリトンの美声は無し。
ダンカン王を暗殺し王位を簒奪したマクベスとマクベス夫人は、自らの地位を脅かすものの出現を恐れ、バンコーとその妻子をも刺客に命じて暗殺する。
四幕。マクベス夫人が狂死する場面。マクベス夫人の石上朋美は前から気になっていたがフルボイスの高音部がかすれてもうひと頑張りといった印象。しかし狂乱の場面のアリアではピアニシッシモが中心なので、安定してこなしていた。マクベスの今井俊輔もフルボイスで歌うと声が揺れて多少不安。それに対してバンコーの斉木健詞はバスであらが目立ちにくいからか無難な歌唱。さらにあらさがしをすれば、この演出であるならば、女声合唱はもっと華やかな艶のある音色を響かせてもいいのではないか?
そして最期。マクベスがマクダフに倒され、民衆の歓喜の歌で終わる。
それにさらに付け加わる魔女たちの最終場面。終曲を食卓の上に乗せたラジカセで聴いているところで幕を閉じる。
合唱とレチタティーヴォとアリアだけで構成されるベル・カントによるイタリア・グラン・オペラの真髄は細かいところを除けば如何なく発揮されていた。
ちょっとカーテンコールの際のブラヴォー隊がうざかったが・・・(二期会動員によるものであろう)
ペーター・コンヴィチュニーの演出は斬新でユニークかつコミカル。シェークスピア物のヴェルディとしてはなにやら楽しげな、哀しみや怖れよりも笑い出したくなるような『マクベス』であった。
客席には高丈二、多田羅迪夫らの二期会の大御所が顔を並べていたが、ここで観客席にビッグ・サプライズ!!!なんとあの白鵬関が若い衆二人を連れて、一階席左手中ほどの特別席で観劇しているではないか!これには皆、びっくり。幕間では観客の握手攻めに遭っていた。関取衆もオペラを見るんだなあ、と妙に感心。
帰りは、銀座線で表参道半蔵門線乗り換え三軒茶屋に出て、いつものフォルツァ・ドンナでオカブの一足早い誕生祝いをしてもらう。久しぶりのこの店だったが、料理は相変わらず美味かった。舌にとろける料理にビールをガンガン。今日はかーたんの要望で健康を考え野菜系を中心に注文する。しかし、甘味のドルチェはしっかりいただく。
家に着いたのは午前一時近かった。

悲歌劇を終わりて若葉闇に入る     素閑

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フェニーチェ歌劇場日本公演2013「オテロ」を観てきた。

2013-04-19 10:37:00 | アート・文化

フェニーチェ歌劇場日本公演を渋谷のオーチャードホールで観てきた。
この歌劇場はヴェネチアに拠点を置き、ヴェルディ生誕200年を祝う今年、演目の「オテロ」は十八番中の十八番であろう。それだけに歌手は厳選された粒ぞろい。どれも甲乙つけがたい。まずは安定感を見せつけた。オテロのグレゴリー・クンデ、デズデーモナのリア・クロチェットの歌唱力は素晴らしい。クロチェットの「柳の歌」は、出色の出来。ただ、ちょっとソプラノ・ドラマティカを歌うのには声の芯が弱いような気がする。
イァーゴ役のルーチョ・ガッロは3年前の新国立劇場のオテロ公演でもイァーゴを演じていた。前回もそうだが今回も好演していた。ただ、今回はもっとイァーゴを憎々しげに演じていればもっと劇が盛り上がったと思う。
指揮はチョン・ミョン・フン。ピットも頑張っていた。
大道具は最低限といったところで、衣装は18世紀のそれに合わせたもの。2010年の新国立劇場の「オテロ」公演では、水と火をふんだんに使った舞台設定だったので、今回のものが少々ひけて見える。合唱団も引き連れての公演なので予算も大変なのであろう。
フランチェスコ・ミケーリの演出はオーソドックス。オテロの枠から外れない安心してみていられる舞台だった。
ローカルな歌劇場の公演と侮っていたが、どうしてどうして、オペラ・セリエの大名演であった。

公演が終わって、渋谷でお食事。マーク・シティの「つばめ・グリル」に入った。ビールを痛飲して、アイス・バインなどを馬食し11時近く。バスで12時前にご帰館。

夏近し召す色淡く歌劇果つ     素閑

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2013年1月3日ニューイヤー・オペラ・コンサート

2013-01-03 08:49:00 | アート・文化

今日から仕事始め。厳密に言えば昨日の深夜からだが・・・海外の取引先とメールの交換。電話会議。
煩雑なことこの上ない。
そして今朝は、税務署に提出する源泉徴収関係の書類の整理。
ああ、嫌だ嫌・・・いえ、なんでもありません。
おせちの残りの夕飯を済ませて、7時からニューイヤー・オペラ・コンサート。
トップバッターは福井敬さんの「アンドレア・シェニエ」。相変わらずの福井節が目立つ。
またまた林美っちゃんがカルメンをやっていたが林美智子は可愛すぎて、カルメンの妖艶さを演じ切ることが出来ない。

腕枕賀状に手つかず杯重さね     素閑


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そして、今年も出色の木下美穂子。最高の出来といいたいところだが、大分痩せてしまって、音色も声量も落ちたようだ。この力の下落は気になる。
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そして実力No.1と思しき、藤村実穂子。「トリスタンとイゾルデ」からアリアを。普段メゾの藤村がソプラノに挑んだのに無理があったか、手放しでブラーヴァとは言いにくい。どうしてしまったんだろう?
その他、森麻季がソロを歌わなかったり、幸田浩子が演なかったり今年のニューイヤーは演出は例年になく派手だが、首を傾げるところが多々あった。
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しかし、フィナーレは「シャンパンの歌」。この曲で大団円を迎えると景気も良くなる。大変結構。今年のV字回復に期待を寄せる気概が「シャンパンの歌」から湧いてくる。

おめでとおおおおお!!!!!


東京文化会館プラチナソワレ・小林道夫・工藤重典コンサート

2012-11-16 08:28:00 | アート・文化

久々に東京で工藤重典さんがコンサートを開くという。久々に聞きたいので7月にチケットを入手しておいた。そこで巡り巡って今日が訪れた次第。
工藤重典さんの岳父、横井敏明氏はオカブが若かった頃、一緒にラグビー観戦に連れて行ってもらったほど懇意にしていただいた。そもそものお近づきというのが、下北沢のおでん屋で隣り合わせに座ったところ、フルートの話題が出ていたので図々しくも、話に割り込んでいったという次第。下北沢のグランド・ピアノが2台置いてあるレッスン室のあるお宅にもお邪魔した。横井氏は京大で染料化学を勉強され、フジテレビのプロデューサーになったという異色の経歴の持ち主。奥様はピアニストで、ご自身もチェロをよくなさる。そして御嬢様が工藤重典氏夫人の雅子氏。懐かしい話である。
さて、今日の公演、実は工藤氏が主役ではなくてチェンバロ奏者の小林道夫氏がメイン。工藤氏はゲストという立場。しかし、ステージはやはりチェンバロ=伴奏、フルート=独奏、という力関係のために、工藤氏のほうが目立っていた。
ところで工藤氏の演奏、演奏の正確さやテクニックの確実さでは当代一流のものがあるが、音の艶、そしてホール一杯に響かせるソノリテのスケールの大きさが欲しいところ。いまは小さくこじんまりまとまっているという印象が強い。
曲目はJ.S.バッハの、C.P.E、J.Cのソナタから一曲づつ。アンコールの最期は管弦楽組曲二番のポロネーズだった。
アメ横の回転寿司に入り、ビール一杯でご帰館。

木枯らしや銀笛奏でる音楽堂     素閑

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