昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

秋され

2017-08-31 18:00:00 | 俳句

このところ暑かったり涼しかったりの繰り返しである。今年は猛暑が続く、ということはなく、ただただ雨の多い夏だった。
今日もはっきりしない空模様。気温は東京地方のこの時期としては異常に涼しい。寒いくらいだ。
まだ8月、といっても31日だが、とはいえ本格的な秋になってしまった。気まぐれな今年の天気なので、また残暑がぶり返すかもしれないが・・・・
これも地球環境変化による異常気象のなせる業か?
なんとはなしに、というか成り行きで秋になっていくような気分だ。
かーたんが今日、副鼻腔炎の診察・治療で耳鼻科に行ってきた。なんとか完治したようだ。
良かった。
ただ、この後、何回か診察に来てくれとのこと。いかにもすっきりしない今日この頃である。夕飯は、かーたんがラタトゥイユを作ってくれた。

 秋されの妻は医者へと行き通い   素閑

 


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八月果てる。

2017-08-31 17:00:35 | 俳句

8月31日。
今日で8月も終わりだ。
一年12か月にそれぞれの月の終わりはあるのだが、8月の終わりは長く楽しかった夏休みが終わるので、学生さんにとっては特に感慨深いものがあるだろう。
特に、この思いに関しては「休暇果つ」という季語があるくらいだから、大いに重い情趣なのだ。
ただ、オカブの大学時代は、10月の6大学野球の始まる直前まで休みだった記憶があり、本格的に勉強に取り組むのは早慶戦が終わってからだった気がする。
そして、秋も深まった最初の講義の席で、今日が締め切りの夏期休暇中の課題のレポートを必死に書いていたのも苦い思い出だ。
しかし、最近の大学生は、土曜が休みになったこともあり、夏休みは、かなり早く切り上げられるようだ。
8月に入ってからやっと夏休みになり、9月早々に授業が始まるのだから、おちおち休んでもいられない。
今や、大学生も気楽な稼業ではないようだ。
だから8月の終わりの感慨は、昔の大学生には当て嵌まらないのであり、実際は小中高生らが覚える感興だろう。
9月1日に児童生徒の自殺が相次ぐという。衝撃的な出来事だが、これが現代の世相の一端だ。
ただ8月の終わりというのは、それだけ人の心に重いものを持つということは確かなようだ。

 

海山よ八月果てる残り香や   素閑

 


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相撲

2017-08-31 13:13:30 | 俳句

我が家の近辺は、東京の片隅で、なんの変哲もない住宅地だが、色々と面白い文化的背景を持っている。
まず、ご近所に文学者の旧宅が多いということだ。
オカブが覚えているだけでも、壷井栄林芙美子森茉莉加藤楸邨萩原朔太郎三好達治坂口安吾丸尾長顕萩原葉子田中英光柳田國男葛西善蔵らがオカブの家から徒歩10分の間にかつて居住していた。
文学者以外にも、東条英機佐藤栄作竹下登坂田道太、そして中島みゆきなべおさみ柄本明らがかつて住み、あるいは今も住んでいる。なべさんは落ち葉時になると北澤川緑道を掃いているし、柄本さんはよく下北沢のセルフ・カフェにいる。どちらも顔が合えば軽くあいさつを交わす。もちろん、こちらが誰だか向こうは知る由もない。
そういう意味では、なんとも色濃い町だ。
ちょっと遠くて、歩いていくというにはしんどいが、世田谷線の宮ノ下の世田谷八幡宮は世田谷の一ノ宮だ。
秋の例大祭には奉納相撲が行われる。
九月になれば祭りのシーズンだ。
歴史の浅い東京の山の手では、祭りと言えば八幡宮の秋祭りだ。
子供も喜ぶ季節となる。

 

草相撲綿菓子のほうを喜べる   素閑

 


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このしろ

2017-08-31 09:07:20 | 俳句

「このしろ」とは鮨屋でいう「小肌」のことである。
小肌は江戸の人間の好物であった。
特にこれを酢漬けにしたものは、当時の人間としては涎の出そうな馳走だった。
これが食べたいばかりに、僧から還俗した人がいたほどだ。
しかし、これを珍重したのは庶民階級で、武家階級は、この魚を焼くことが「この城」を焼くに通じることから、忌み嫌ったという。
魚としての旬は冬である。だから関東では小肌の粟漬けはお節料理に欠かせないものとなっている。
しかし、俳句の季語としては初秋である。なぜかは解らない。
けれど、今はもちろん一年中食える魚であるから、オカブは鮨屋に行くと、どんな季節でも、ゐの一番に小肌の握りを注文する。
鮨屋に行って、これをやると一仕事終えたような気分になる。

 

このしろや若き板前奮い立ち   素閑

 

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虫売り

2017-08-31 08:33:03 | 俳句

俳句の季語には不思議なものがある。
もうとっくに廃れてこの世に存在しないものでも、立派に現代の季語として扱われ、歳時記にも載っているものも、たくさんある。
夏の季語だが「竹婦人」「飯饐える」などは今の一般の人には何のことかさっぱり分からないだろう。
まあ、昔こうした季語を詠み込んだお歴々に敬意を表するのと、昔を懐古して、あるいは浮世離れした前時代的なものを、かえって現代的な感覚で詠もうという前衛的な作家のために残されているものと思うことにしている。
この秋の季語の「虫売り」もその一つである。
カブトムシならデパートで売っている。夏休みの宿題に追われた子供が、今頃、目の色を変えて、デパートに押し寄せていることだろう。
しかし俳句の「虫売り」はカブトムシを売らない。
「虫売り」が売るのは秋の「啼く」虫である。
オカブも、いい歳になるが「虫売り」など見たことがない。
かろうじて小泉八雲の短編『虫の音楽家』で、その昔のおぼろげな姿を見聞するのみである。
それによると「虫売り」は明治時代には立派な稼業として成り立っていたらしい。
主に昔は田園だった葛飾辺りから、東京の都心・下町に来て虫を商っていた。
今、すでに八雲の本は手元にないので、曖昧な記憶しかないのだが、虫ごとの値段の相場と時期によるその移り変わりが、巧みな画家による精緻な絵とともに詳しく書かれていたと思った。
それによると鈴虫などのありふれた虫は安く、轡虫、馬追などが高価だったような気がする。
虫売りは行商である。写真にあるような荷を背負って街々を売り歩いたことだろう。
そういえば、オカブが幼い頃、今はなくなった太子堂の縁日で、アセチレン灯に照らされた露店が籠に入れられた虫を売っていたような気がする。しかし、そうした虫売りは俳句の虫売りではない。俳句の「虫売り」はあくまで行商の業者である。
ぐずついた天気だ。
通勤するサラリーマンなら満員電車に乗るのが、特に苦痛に思える日だろう。
明治は遠くなりにけり、である。

 虫売りや分譲マンション建ち並ぶ   素閑


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鈴虫

2017-08-30 20:00:24 | 俳句

一昨日、教会の仕事がきついとぶーたれて頭にきて買った酒が、焼酎2ℓパック×1、バーボンウィスキー2ℓ瓶×1、ラム720ml瓶×1。
どう?凄いでしょ?
西友から自転車の荷台に乗せて押してきた。
従って酒には当分困らない。
従って呑むときにはしこたま吞めるということだ。
雨は降っていても、夜が更けてくると虫の音が高らかだ。
特に庭に面したリビングにいると、様々な虫が啼く声がすだくようだ。
ここで、バーボンのロックを傾けて虫の競演を聴く。
楽しげでもあり、物寂しげでもある。ただ台風が近づいているので、少し落ち着かない。
知らないうちに夏が終わる。知らないうちに秋がやってくる。知らないうちに秋が更ける。
そして60を過ぎた齢の身、確実に冥途に近づいていく。
2017年の秋である。

雨繁く軒下で啼く鈴虫や   素閑



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秋曇

2017-08-30 17:26:26 | 俳句

どうも今年は天候が安定しない。
関東地方では、8月の末近くまで長雨が続いて、猛暑の予報を見事に外れさせた。
台風5号が近づいているそうだ。
夏の長雨が止んだと思ったら、すぐに台風シーズンだ。
今日は、朝は日が顔をのぞかせていたが、昼から雲の多い空模様に。
ギラギラとした炎暑の日が少なかったのも、今年の夏の印象を薄めているのかもしれない。
梅雨時も不快なものだが、秋のジメジメした天候は清涼の陽気を期待していただけに更に不快に感じる。
初秋はこれに残暑が加わって、健康を損なう原因にもなる。オカブも今年はそんなに暑くもなかったのに夏バテ気味だ。
とにかく、すっきりした秋がくるまでの辛抱だ。

秋曇植え込み藪蚊の立てこもる   素閑


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2017-08-30 14:35:08 | 俳句

今日はエルさんはプール当番と二学期の授業の準備で学校に行った。
かーたんは午後からレッスンと、本番に向けての歌の練習。
仕事部屋にいるから、人は意識しないものの、大の男が家にいるというのはオカブとしては自らが粗大ゴミ化しているな、と思えてくる。
従って、宿六よろしく、自分の飲食も、自分で賄う。
どうも情けないが仕方がない。
しかし、こういう生活は昔から慣れている。
どうも人から珍重されるような人物ではオカブはないようだ。
外に出て遊ぶ金もないので、自然、家の中に引きこもっている。
月末最終日が過ぎたので、当面暇だ。従って、仕事に追い立てられることはない代わりに、なにやら仕事をしない罪悪感に追い立てられる。
椅子を立って、台所に行き茶を飲みながら、ボンヤリしている。

昼過ぎて虫の音ひとつ残りたり   素閑


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2017-08-30 13:10:50 | 俳句

オカブは梨と言う果物が好きなのか嫌いなのかよく分からない。
考えてみれば、特別美味いものでも、不味いものでもない。
特に特徴のない、自らを主張しない果物である。
しかし、オカブの人生の一時、オカブの母であるばーたんが、秋になると必ず朝、梨を食わせてくれた時期があった。
特に朝食らしい朝食を取らないオカブの朝ご飯は秋になると梨と牛乳とチーズと珈琲であった。
だから、いまでも梨と言うと好きと言うほどではないが一抹の懐かしさを感じる。
今日『きゃんどる』のママさんから貰った梨を食った。
ほんのりと程よく甘く郷愁のようなものを伴う味がした。

 

梨の実をかぶりつくやら刻むやら   素閑

 


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秋の田

2017-08-30 10:26:57 | 俳句

ブログに一句投句するのに鬼怒川温泉のことを書いたら、また旅行に行きたくなった。
金はない。でも行きたい。別に鬼怒川でなくてもパリでもウィーンでもいいのだがとにかく雑然とした日常から離れたい。
こんなもやもやした気持ちがオカブを覆う。
「仏蘭西に行きたしと思へど・・・」とのたまうたのは佐伯祐三だっけ?
日本を代表する画家でなくとも旅に出たい。
尤も、オカブが旅行に行っても酒を吞んで帰ってくるだけなんだけどね・・・・
まぁ、旅と酒の歌人、我が母校の先輩、若山牧水の足元にも及ばないオカブとしては東京の片隅で埋もれているしかないわね。

秋の田の浪花千栄子の鉄看板   素閑


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