2017年も終わろうとしている。
今年の正月だ、とお祝い気分になっていたのが昨日のようだ。
その間、春、夏、秋とあった訳だが、記憶は全てすっ飛ばしている。
今年の、感慨?う~む。無である。
母とかーたんは夕方まで立ち働いている。
年越しそばは毎年オカブの役。
写真は1週間ほど前、三茶の『お山のすぎの子』で撮ったもの。
6時過ぎから、毎年お馴染みの、カルロス・クライバー指揮、バイエルン国立歌劇場の『こうもり』のジルベスター公演のDVDを観る。
第九を聞いて、『東急ジルベスター・コンサート』のカウントダウン。広上淳一指揮でムソルグスキーの『展覧会の画』。
ちょっと0:00:00より早かったかな?
Happy New Year!
寝床にておほつごもりの過ぎてゆく 素閑
夜回りの木を聞き更けぬ大晦日 素閑
雲低く足爪凍ごゆ大晦日 素閑
大晦日妻の夕べに芋煮たり 素閑
遠雷の渋谷の歓声大晦日 素閑
大晦日今年もやっと生き抜きて 素閑
晦日蕎麦あるたけの銭を払いとす 素閑
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忘年会があった。
昔の知悠の集まりである。
何時もながら、こじんまりした会だが、この程度の集まりの方が、落ち着くし和む。
年恰好も近い連中で、もうあらかた人生の酸い甘いを味わった面々なのでかえって気安い。
この会にも、この先あと何年出られるか・・・・
老醜の果ての妄念である。
年忘れ口上申すも大儀かな 素閑
煮崩れた鍋の果てなる年忘れ 素閑
語るのは過ぎしことのみ年忘れ 素閑
芋煮しめのみもまたよし年忘れ 素閑
章魚と烏賊迷う箸なる忘年会 素閑
雪模様白き靴跡年忘れ 素閑
大鳥居曲がった角の年忘れ 素閑
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今年も、あと数日である。
普通は、どの家も、眼も回る忙しさであろうし、我が家もそうなのだが, 全く働き手として当てにされていないオカブとしては、忙しいというよりも、居候のようで居心地が悪い。
老人だからと言えば、そうなのだろうが、まだ足も立つし、手も動く。
ただ、心が年末の忙しさを鬱陶しがって受け付けない。
いつも暇なのだから、年末くらい働けばいいのに、と自分でも思う。
去年の年末は、エルさんと信濃に行った。
この上なく楽しかった。
こういう暮の過ごし方は大歓迎なのだが・・・・
こうして年が過ぎ、老いていく。
ことほげる事もなしとは師走かな 素閑
悄然と娘と師走の千曲川 素閑
裏の家師走に新居建てにけり 素閑
師走にぞ今年に別杯交わしたり 素閑
浮き立ちて来る人思ふ師走かな 素閑
信濃路の師走の山の裳裾引き 素閑
関となる公案透せず師走かな 素閑
暮も押し詰まってきたが何もしていない。
リビングの窓拭きしか仕事の割り当てがないと、この前書いたら、地下のドライエリアの掃除が回ってきた。
口は禍の元である。
しかし、どちらの、割り当てもいつやるか決めていない。
どうせ、碌なことではあるまい。
と、同時に、大した造作もない仕事であることは間違いない。
とは言うものの、手を付けるのは億劫だ。
歳を取ると、年末年始は山芋のように埋もれて居たい。
注連売りの妻子はいかに過ごし居り 素閑
注連作り新たな光山に照り 素閑
朋友の注連作る家に生まれたり 素閑
古びたる木台に清き注連の藁 素閑
雪になり御坊に捧ぐ注連を綯う 素閑
海荒れて沖出る舟や注連を綯う 素閑
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2017年もあとわずか。
2018年はどのような年になるか・・・・
オカブは専門家ではないので、予想めいたことはできないが、問題点は指摘できる。
◆景気・経済問題:景気の腰折れがないか?特に労働市場の逼迫が、このまま継続するか?
◆金融問題:短期金利は小幅な段階的上昇を続けるか?景気下降の折、バッファとしての余地を残しておけるか?
◆北朝鮮危機:戦争はあると思っていた方が良い。戦争があるという現実の前提の下で、具体的な戦争回避策も生まれる。
◆天皇生前退位・皇室問題:意外と国政に影響しない?ただし憲法をはじめ、法的整合性は保持しておいた方が良い?
◆永田町関係:憲法改正・九条改憲発議に踏み切れるか。二項削除か三項加憲か?
タブーの政治に入り込んだが、オカブの思いついたことは、ざっとこんなところ。
来年が終わる頃は、大した変化はなかった歳だなあ、と思っている可能性が一番高いし、そうあってもらいたいが。
ただし、世の中は目まぐるしく変化し、遷り変っているのは確かだ。
冬薔薇の窓に続くや眠る山 素閑
草庵に眠る山路を辿りたり 素閑
山眠り東都の巷呻きたり 素閑
バス待てる田舎医者あり山眠る 素閑
炭焼きの里に降りけり山眠る 素閑
麗人の眠る山里嫁ぎたり 素閑
何もせずに年の瀬を過ごしている。
年越しの仕事と割り当てられたのは、リビングの窓拭きくらいだ。
最早、男手として当てにされていないようだ。
喜んでいいのやら・・・・
まぁ、すっかり老人になったので、奥で静かにしていなさいということか?
昨日の晩は、一家でクリスマス・ディナーを家で摂った。
かーたんの手作りである。
オーストリアワインのセクトと貴腐ワインを空けた。
教会で、クリスマスイブを祝うので、どうしても家でのクリスマスの晩餐は25日になるのが、我が家の常だ。
記念に、こちらも写真を載せておく。
冬更けて炭団現るを待ちにけり 素閑
火の明かり炭団の果てのおほ戦 素閑
炭団付けとにかく餅を焼きたしと 素閑
裏町の小路の奥の炭団売り 素閑
大日向炭団とともに干されけり 素閑
炭団とり雪だるまの眼と子に教え 素閑
石油缶脇に炭団の置かれけり 素閑
炭団つぎ暖かき冬を喜べり 素閑
昨日というか一昨日は、クリスマスであり、クリスマスイヴだった。
教会で、朝の礼拝があり、午後の祝会があり、夜は燭火礼拝だった。
昨年のクリスマスはカルト問題で、氷のように緊張していたが、今年はこじんまりと和んだクリスマスだった。
全ては遷り変り、歳は暮れていく。
押し詰まり納豆食らふ夕餉かな 素閑
納豆に轟く渓の滝の音 素閑
納豆を供せる越後の民宿や 素閑
日は暮れて納豆売りの凍え声 素閑
納豆を食へば夜気も染み渡り 素閑
納豆食ふ昨日はクリスマスなれや 素閑
納豆をまず一献と出されたり 素閑
この日曜日、教会で、クリスマス礼拝と、クリスマスイヴ燭火礼拝があった。
キリスト教徒にしても、一般の方にしても、クリスマスに教会に行けば信仰的に恵まれるかというと、そんなことはない。
教会にとっても、世間一般と同様に、クリスマスはお祭り的要素が強い。
恵まれたというなら、それは多分に情緒的な面からであろう。
信仰とは、感性的側面と、理性的側面を併せ持つ。
一面からでは、信仰は完成しない。
オカブは、夜の燭火礼拝で前奏のヨハン・セバスチャン・バッハ作曲”Weihnachts-Oratrium" BWV248から、アリア”Schlafe, mein, LIebster, genisse der Ruh"をフルートで吹いた。
その他、会衆賛美の讃美歌のテーマを吹いて合わせた。
礼拝の後は、軽い打ち上げがあり、夜も更けて解散した。
この荒れた世の寒い夜に、一片の暖かさがあった。
では、皆様 Merry Christmas!
魚屋の聖誕祭の売り声や 素閑
しみじみと手帳を燃やすクリスマス 素閑
目力のある男かな聖誕祭 素閑
日本海時化の出漁クリスマス 素閑
知らぬ街夕べに道問ひクリスマス 素閑
簫として黙す聖樹やクリスマス 素閑
むずかれる子を励ませり聖誕祭 素閑
明日、というか、もう今日はクリスマスである。
今年のクリスマスは12月24日。
すなわちクリスマスイヴとクリスマス当日が重なったのである。
クリスマスは25日ではないか?と訝る向きもあろうかとは思うが、キリスト教会ではアドベントの第一主日から4週目の日曜日にクリスマスを祝う。
今年は、それが24日であったということ。
だから、普通はどこの教会でも、今年は、クリスマスとクリスマスイヴを同日にやるので、盆と正月が一緒に来たような忙しさであろう。
尤も、一般の教会ではイヴの晩に蠟燭をともして、礼拝する燭火礼拝というのをやるのだが、一部の教会では、昼間の礼拝で蝋燭を使ってやったりして、夜の部は無しというところもあるようだ。
オカブの教会では夜の部もある。
昼間は礼拝の後の午後、愛餐会と称して食事を共にする祝会もある。
普通、どこの教会でも、昼、夜とも、一般の人飛び入り参加大歓迎だから、お時間が空いていたら、行ってみてはいかが?
社会鍋買い物袋に手が混んで 素閑
社会鍋シミュレーションと云ふ学人 素閑
社会鍋セーターの毛玉目立ちおり 素閑
社会鍋人夫は飯場に憩ひけり 素閑
社会鍋午前二時に目覚めけり 素閑
おとがひは常にせはしく社会鍋 素閑
社会鍋電球の下家族四人 素閑
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ウィスキーを飲んだ。
ビールが値上がりしているからである。
ビールの値上げは、報道では過剰な安売りをしている量販店のみを対象にしているとあったが、確実に一般のスーパーの小売価格にも影響している。
日本ほど、ビールの値段の高い国はないだろう。
10年ほど前まで、頻繁にヨーロッパに行っていた頃、あちらで買う500ml入りのロング缶のビールが日本円で160円ほどであった。
日本の約三分の二の値段である。
日本では260円はする。北欧各国以上である。
だから、日本のビール業界は発泡酒だの第三のビールだのと邪道に走り出した。
それに対して酒税の改正は、「日本のビール文化を守る」という趣旨ではなかったのか?
オカブは日本のことを好きでも嫌いでもないが、こんなにビールが高いのでは逃げ出したくもなってくる。
もう、ビールは気軽に飲める酒ではなくなった。
いずれ、ウィスキーも値上げになるだろう。
カストリの密造酒でも作るか?マフィアみたいに・・・・
染み入りて山の端の夕陽冬至かな 素閑
鳥も去り残され一人冬至かな 素閑
水の輪の冬至に消える池の岸 素閑
焦げ過ぎて焼き結びの味冬至かな 素閑
自転車で冬至の往来駆け抜けり 素閑
往き過ぎる顔も異なる冬至の日 素閑