鬼怒川温泉旅行二日目。
爽やかな晴れた朝だった。
5時に目が覚めた。
昨晩はぐっすり眠れた。
起き抜けに風呂に行く。
露天風呂に入る。辺りは、まだ闇の帳から抜け切れていなくて、次第に光が差してくるさまが、何とも言えず情趣深い。
朝ぼらけ春の浅きに昇る湯気 素閑
風呂から上がると二度寝した。
朝食は8時である。
朝食にビールを飲んだ。1本だった。かーたんに止めておきなさいと言われたが敢えて飲んだ。2本飲みたかったが、さすがに、それはかーたんが許さなかった。
宿の朝食は、なんということもない平凡な物だったが、充実していた。
春なれや名もなき山の朝がすみ
これは、オカブが詠んだものではない。食事処にかけてあった軸にある句である。芭蕉の作である。さすがに佳句である。
こんな、ことを書くのも、この宿が四季の移ろいに細やかな気を配った心尽くしのもてなしをしている事を知っていただきたかったからである。
今日は、ゆったりとした時間を贅沢に持て余して、のんびりと鬼怒川温泉の街まで行ってこようという計画である。
ついでに鬼怒川温泉の名店『二八そば』で蕎麦を食って来ようというのもオカブのプランに含まれている。鬼怒川の蕎麦屋は「大黒家」という店が群を抜いているというネットでの下調べの結果だが、水曜が定休ということで、次に評価の高い『二八そば』にした。
朝食後、ゆっくりラウンジで珈琲を飲んで、おもむろに出かける。
晴れた街道沿いの道を行って、途中から吊り橋を渡って右岸に出る。
右岸の鬼怒川に来ると、いつも気になっている古めかしいレトロなお蕎麦屋さんがまだあったので記念にパチリ。
鬼怒川のゆるキャラ、鬼怒太を描いた看板のある階段に続く橋を渡り返して、再び左岸へ。
ホテル街を通り抜けて、やがて鬼怒川温泉の駅に着く。駅前には足湯などがあり、温泉情緒を醸し出している。
さて、時刻も昼時だ。なにか食おう。さて、何を食うか?当然、オカブは蕎麦を食うことを主張する。
しかし、かーたんは蕎麦は嫌だという。折角、栃木に来たのだから、栃木牛が食いたいという。オカブは、ここにそんなものは無いと反論する。鬼怒川で夫婦の間でひと悶着あった。
しかし、ここはオカブが折れて、温泉街を、それらしき店を探して歩く。
ピザ屋があった。栃木牛はありそうもないのに、かーたんはここがいいと、決めてかかる。まぁ仕方がないと入る。
オカブはメニューも見ずにまずは生ビール。
さて、とメニューを眺めていると、な!なんと!栃木牛のハンバーグがあったのだ!
当然かーたんはそれ。
オカブは生ハムとチーズの盛り合わせでビールを飲む。
そこで、かーたんと相談して、ここを出たら、名代の『二八そば』に入って、オカブは蕎麦を食う、かーたんはデザートの何とか言う菓子を食おうということになった。 要は昼飯を二回食うことになる。なんと馬鹿なことを!と読者は思われるだろうが、お許し願いたい。
まぁ、かーたんも、ここの栃木牛ハンバーグには満足したようだし、次はオカブがいい思いをさせてもらうことにしよう。
ピザ屋を出て、鬼怒川温泉の駅に出、陸橋で線路を渡り、左側の国道を歩く。
30分弱ほども歩いただろうか?
目指す、『二八そば』が国道の左側にあった。
駐車場などもあり、思ったより、大きな店だ。
昔の国道沿いのドライブインと言えなくもない。
店内は混んでいた。
女将と思われるおばさんが、大わらわで立ち回っている。
オカブは当然蕎麦である。かーたんの分と言う名目のも合わせてざる二枚。
それにビール。ビールのアテに湯葉の刺身。
かーたんは「花がすみ」という蕎麦湯を材料に作った和菓子。
ビールを舐めつつ、湯葉をつつく。ここの湯葉はなかなか風味があり絶品。
ここの蕎麦は色が白く、独特の風味。今まで味わったことのない系統だ。美味い。しかし、ちょっと腰が弱く、オカブの採点は80点。
かーたんに聞いたら「花がすみ」なる菓子は、なかなか美味かったそうだ。
さすがに、腹が一杯になり、三々五々、宿への帰りの道を歩く。
国道沿いにてくてく歩く。
天気は少し曇ってきた。
しかし、暖かい。
周囲の山々が木の芽吹きで鹿毛色に染まっている。
蕗の薹山里の野良そぞろ行く 素閑
この辺りでは、冬と早春と陽春がごっちゃになっている。
長い戻り道を歩いて宿に着く。
早速、風呂。
汗がにじむような陽気だったので、湯が心地よい。
ひばり鳴く春陽にゆるり湯浴みかな 素閑
古妻や弥生湯宿で艶めかし 素閑
湯から上がると、部屋でまたビール。これが絶品、言葉もない。しかしよく飲む。
夕食まで飲み続けた。
夕食は6時半。
なんと今晩の夕食には栃木牛のしゃぶしゃぶがついていた。かーたんの喜んだこと喜んだこと!この人の牛肉好きは異常である。東京生まれの東京育ちであるオカブが牛肉らしい牛肉を食ったのは、大学に入って吉野家の牛丼を食ったのが生まれて最初だというのに。昔は牛肉は関西人が食うものと思っていた。
また酒になったのは言うまでもない。しかし一滴も飲まないかーたんは酒の相手にならない。手酌で黙々と飲む。ビールが尽きて酒になった。不思議と酔わない。かーたんのストップがかからなければ一升でも飲んでいたことだろう。
三月の旅の旨酒夜もすがら 素閑
とにかく、ぐーたらぐーたら飲んでばかりである。これが学校の大先輩である若山牧水のような文豪なら、まだ雅趣もあろうが、オカブは屁でもない駄句を詠むだけのただの大酒のみの無能である。また、若山牧水にしても葛西善三にしても萩原朔太郎にしても、酒を愛する文人は惜しまれて若死にするものである。オカブのように、人に蔑まれながら、還暦まで馬齢を重ねるような愚人は、本当に世の中にとって不善をしかなさない。我ながら何のために生きているのか分からない。
飯を鱈腹食い、酒を鱈腹飲んで部屋に帰り、一休みして、寝る前に、また風呂に入った。夜の露天風呂も情趣深い。
春宵一刻値千金というが、早寝早起きのオカブはうつらうつらとなり、深い眠りに落ちた。
雪洞の灯影もおぼろ山の湯や 素閑