昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

八月としては異常な涼しさ・・・ランチ@『きゃんどる』

2017-08-16 17:53:42 | まち歩き

お盆も明けた。
秋の収穫に向かって、これからスパートをかけなければならない。
しかし、我が家はここで少し一休み。
風邪が明けた、かーたんが美容院に三茶にでかけたのと待ち合わせて、すずらん通りの『きゃんどる』でランチ。
もちろんいつものAランチ。今日はヒメジのポワレとポークのロースのピリ辛風。
美味しかった~!
もちろんビールも付ける。
ホント、このお店は最高。
かーたんがキャベツを大量に仕入れたので、このお店で出す前菜のサービスのサワー・キャベツの作り方をご主人に聞いたところで、色々な話に華が咲き、つい腰が長くなった。
かーたんは風邪が治ったとはいえ、咳が残って、鼻がグズグズする。
早く完治してほしいものだ。
しかし、雨天とはいえ今日は涼しい。3時で21℃の気温だ。
8月としては異常な低温。
小雨の降る中を西友に行って、晩のおかずを買って帰宅した。

秋めくや五時のチャイムの谺かな   素閑


俳句・短歌ランキング

土曜日に三茶の『きゃんどる』でランチ

2017-03-18 20:38:58 | まち歩き

まあ、いつもいつも食い物ネタで飽きないものだと自分ながら思う。
しかし、庶民の日常など、非常に退屈至極なものなので、食い物ぐらいしか、見ず知らずの他人と共有できる情報は、そうざらにない。
というわけで、今日も食い物ネタ。
しかし、今日は、三茶のドコモショップにスマホの購入の相談をしに行くという、一大プロジェクトがある。
かーたんと三茶に出かける。
その前の、腹ごしらえ。
いつもの『きゃんどる』へ入る。
マスターと女将さんに迎えられ、今日は混んでいるので二階へ。
いつものAランチ、珈琲、サラダ付き。
もちろんビールも。
今日、 コミケの印刷の入稿締め切りで、間に合わず、自分でコピー、製本して会場に持って行くことになったエルさんのことなどを、食事の席で話し合う。
今日は暖かい。しかしぽかぽか陽気というには、まだ風は冷たい。
しかし食事は大変結構。
食事を済ませ、世田谷通り沿いのドコモショップへ駆け込む。
あのー、今月、タブレットの契約が切れるんで、スマホにしてもいいかなって、考えたりしてるんですけれども・・・
このプランだと月額料金がこのくらいで、容量はこうなって、本体価格は分割にするとこうなって、月々のお支払いは・・・
うん、成程、そう無理をしなくても買える!
結局、iPhone7にした。
かなり遅いスマホデビューである。
まあ、良い。
折角、手に入れた宝物を、懐でなでなでしながら家路についた。
すっかり街は暗くなっていた。

街の辺の小鳥もうららかに鳴く   素閑 



目黒天空庭園に行ってきた。

2015-04-26 22:51:23 | まち歩き

目黒天空庭園に行ってきた。
前日がかーたんがコンサートで一日居なかったので、日曜の午後、お散歩と洒落込んだわけだ。
かーたんが教会から帰ってくるのを待って、家から北澤川緑道をたどる。
緑道の花壇には、それこそ百花繚乱、いろいろな花が咲き誇っている。普通に通り過ぎてしまっては、何という光景でもないのだが、注意して観ていくと、その美しさに圧倒される。そんな花々をカメラに収めながら、ゆっくりと歩を進めていく。 やがて三菱電機の工場脇、三菱東京UFJ銀行の計算センターの裏を抜けて、246の池尻大橋へ。
歩道橋に続く家具屋さんのビルのエレベーターで上階へ。歩道橋を渡り対岸へ。ここから天空庭園は始まる。この「天空庭園」というのは、首都高のジャンクションが新設されたのを機に、古いジャンクションを利用して造成された、まったく新しい発想とコンセプトの公園。お役人としてはいい仕事をしたものだ。
頂上近くのベンチに陣取って、お弁当をぱくつき、ビールを飲む。抜けるような青空のもとなかなかいい気分だ。
小一時間過ごし、帰路へ。
かーたんが甘いものが食べたいというので、大橋の「エクセルシオール・カフェ」へ。かーたんはケーキ・セットの、イチゴのクリームケーキ、オカブはノンカフェのコーヒーがあったのでノンカフェのカフェラテ。オカブのような不眠症患者にとっては、外出先にノンカフェがあるとありがたい。しかしヨーロッパのカフェやレストランでは常識なのだが。
帰りは疲れで重い足を引きずって、5時過ぎにご帰館。

花は盛り儚くも咲け春果てぬ   素閑 

        

        

        

        

        

        

   246池尻側にある歩道橋に昇るエレベータ               歩道橋から見た天空庭

        
   歩道橋を渡り高速道路の下を抜けて                  天空庭園に出た

        

        

        
    

 




満開の花見。

2015-04-01 20:35:47 | まち歩き

先週から、桜が満開になって本格的な花見ができるのはいつかいつかと待っていたが、今日あたりが満開の見ごろのようだ。幸い天気も春爛漫の晴天。これは花見日和である。仕事の合間を縫って北澤川の緑道へかーたんと花見に出かけた。
見事な花の饗宴である。
ぬばたまの光のどけき春の陽にしずこころなく花の散るらむ
今を盛りの桜の花もすぐにはかなく散ってしまう。この無常感が日本文化の根底の土壌となっているのではないか?
橋のたもとでかーたんと長屋の花見ならぬ、ささやかなサミットの弁当と缶ビールの宴席。隣近所では、平日というのにバーベキューやら鍋物やらの盛大な花見の宴を張っている連中がちらほら。 

               

              

              

              

弁当はオカブが牡蠣弁当、かーたんが焼きそば。 豪華宴会をやってる連中と比べたら極めて慎ましい、小宴だ。
花見は、30分ほどで終わった。
この先、桜の満開を何度見られるだろう。ふとものの哀れに囚われた。

桜咲く我と合わせて散華かな   素閑 


羽根木公園に梅見に行ってきた。

2015-02-15 14:14:33 | まち歩き

春浅き日曜の昼に近くの羽根木公園に梅見に行ってきた。
かーたんは今日はコンサート出演でオカブはお留守番。家にいても所在がないので、歩いて20分ほどの梅ヶ丘の羽根木公園に梅見に行くことにした。
風はやや強いが、春めいた温かい一日。柔らかな日差しを浴びて、北澤川緑道を歩く。ジョギングの人、犬の散歩の人、子供を連れて家族でお出かけの人、やはり春を待ちわびた人々で、街路はにぎわっている。北澤川緑道の途中にある円乗院にちょっと寄り道。この寺は真言宗豊山派。古くから代田の古刹として知られていた。もとは地元の豪農達が自家の菩提寺として建立したものという。また、伝説の巨人「ダイタラボッチ」所縁の寺として、代田餅つき歌を伝承する寺社として、世田谷の郷土史には欠かせない。
円乗院には風雅な日本庭園があって、寺が空いているときには何時でも誰でも入れる。ちょっとした憩いの場だ。

        
 

        

 

円乗院を出て、環七を渡り、梅ヶ丘に向かう。日当たりのいい緑道をそのまま歩く。
梅ヶ丘で小田急線の高架をくぐり、赤堤通りを渡るともう羽根木公園だ。
きつい石段を登っていくと、カメラを提げた人たちが大勢、シャッター・チャンスを狙っている。
梅は樹に依るが大体七分咲きといったところ。花が多く開いている樹を求めて、公園の南側の斜面を彷徨う。

        

        

今は、世田谷区主催の梅ヶ丘梅祭りの最中で、公園の広場には露店が出ていて、焼き鳥やおでんや焼き餅、酒などを売っている。弁当を広げる人、露店の肴で一杯やる人、とにかくいつになくすごい人出だ。
陽が高くなって、ダウンのコートを着ていると背中が汗ばむほどだ。 
ここで、店を広げて昼酒と洒落込みたい気はやまやまだが我慢我慢。
多くの花より団子の家族連れを脇に梅見を楽しむ。 

          

        

            

            

   

園内の遊歩道を一周したのを潮に引き上げる。帰りも北澤川緑道を歩く。なべおさみさんの家や中島みゆきさんの家など有名人の居宅が数ある通りだ。代沢小学校まで来て、暑いのが我慢できなくなってコートを脱ぐ。家までは一投足だ。
帰館するとエルさんが居間で、明日の授業の準備をしていた。この子も良く頑張る。早朝から深夜まで、休日もなく働きづめだ。ちょっと仕事をこなすコツについて相談に乗ってやった。
明日から始動。3月も目の前だ。頑張ろう。

あまたなる木々競えるや魁の     素閑 


浅草に行ってきた。

2014-12-27 23:40:20 | まち歩き

かーたんと浅草に行ってきた。
別に取り立てて浅草に行きたくて行ったわけではない。
しかし、かーたんの母が暮れも迫った12月5日に亡くなった。そしてかーたんの母は浅草が大好きであった。そこで母を偲んで浅草へ、というのがかーたんの希望であった。そしてこれもかーたんの母が好きだった浅草名物のジャンボ煎餅を買ってきて来年1月の49日の法要に供えようというのが第二の目的である。
午後も遅く二時半過ぎに家を出る。バスで渋谷へ。渋谷で寄り道して、渋谷市場で年末の物を買っていく。渋谷から銀座線一本で浅草へ。浅草の駅を降りて地上に出るともうそこは雷門で、なるほど浅草はこうであったか、と数十年ぶりの来訪を懐かしがる。
雷門を入って仲見世を冷やかす。年末もあってか大変な人出だ。海外や遠方からの観光客が八割がたか?
仲見世でジャンボ煎餅を売っている店はすぐに見つかった。そこで品定めをしておいて、人にぶつかって割れたりしないように、帰りに買っていく目星を付ける。
しかし仲見世にはいろいろな店がある。多くは昭和レトロ、大正ロマン、明治の香りのする店すらある。雷門から、浅草観音本堂までの仲見世を何往復かしているうちに、家へのお土産に人形焼を買った。 
浅草寺の本堂はでかい。改修を終えてまだ真新しい建物だ。しかも十分にエキゾシズムを感じさせる雰囲気。これは外国人が喜ぶはずだ。伝法院通りや裏の仲見世をうろうろしているうちに「アンジェラス」という喫茶店が目に入った。ここは浅草の老舗喫茶店で、かつては池波正太郎らの文人が愛用した店である。
再び、本堂に戻って仲見世を下り、ジャンボ煎餅の店で煎餅を買い、雷門に戻った。さて夕食でも食べるか、ということになった。浅草といえば天麩羅か牛鍋である。天麩羅と牛鍋とではかーたんは断然牛鍋を推した。そこでどこにするか。しかしオカブの経済力では『ちんや』とか『今半』といった高級店には入れない。そこで極めてイージーでエコノミーではあるが浅草風情を味わうには程遠いという誹りを覚悟で、事前にインターネットで下調べと予約をしていた『鍋ぞう』に入る。ここの店のシステムは食べ放題が基本である。そして鍋の汁を5種類から選べる。もちろん肉は注文し放題であり、野菜もセルフで取り放題である。しかし、オカブの注文したコースはオージービーフであるが・・・・かーたんはすき焼き。オカブはしゃぶしゃぶにした。飲み放題も付けた。これで準備完了。 あとは90分間ひたすら飲んで食うだけである。
その夜は食った。一昨日のステーキに懲りたのも忘れ再び大藪春彦の轍を踏んでしまった。
とにかく、肉がなくなると、飲み物がなくなると「いかがですか?」と勧めてくるので食わないわけにはいかない。オカブはその夜、また不眠症になった。 
もうこれ以上絶対食えんというところまで食って喉まで食べ物の詰まった身体を引きずって、渋谷経由でご帰館。もう食べ放題は懲り懲りである。

年の瀬や妻ともに浅草の夕景色    素閑

 



等々力渓谷に行ってきました。

2014-11-24 00:36:00 | まち歩き

三連休の最終日、かーたんと等々力渓谷に行ってきた。
晩秋の今は盛りの紅葉を観ようということで、重い腰を上げたのだが、結果は葉は色づき始めたばかり。少々肩すかしではあった。しかし佳き一日を過ごしたので良しとしよう。
休日とて、遅いお目覚め。なんやかんやで出かける準備に時間がかかり、昼前に家を出る。三茶から等々力行のバスに乗る。20分ほどで等々力駅に着く。駅前の案内板で等々力渓谷への道順をチェック。
鉄橋の脇から渓谷に降りる。先に申しあげたように木々の葉はまだ色づき始めたばかり。かーたんと「まだ紅葉してないじゃん」とぶーたれていたのだが、都会の真ん中のわずかばかりの区域とはいえ、自然の趣に触れて、失望の念も次第に薄れ、青々とした木々と、さらさらと流れる(清流とはとても言えないが一昔前のどぶ川然とした水に比べれば澄んでいる)水に、次第に心ほぐれ、秋の気配を満喫することになった。連休ということもあり、この都会のささやかな行楽地は大変な人出。細い渓流沿いの路をすれ違うのにも骨が折れる。カメラを操る人、黄色くなりかけた銀杏を見上げいいなあ、と口にする人、小さな子供と戯れながら歩く家族連れ、お年寄り同士のグループ。それぞれの秋の楽しみ方があってよい。 今日は曇り空とあって、冷え込みもそれほど厳しくなく、コートを着て長く歩いていると汗ばんでくるほどだ。
水の流れは落ち葉を浮かべて優しく移ろいの表情を見せる。滝の修業場の対岸に日本庭園があった。坂道を上がっていくと茶亭などもありなかなかいい雰囲気。茶亭では湯茶の接待もある。
修業場では行者はいなかったが、等々力の名の由来となった滝の流れ落ちる音が、渓谷に谺して名の通り「とどろいて」霊厳な様を顕している。真言密教の行者は本尊の大日如来の脇侍である不動明王と一体となるために修業するという。不動明王との一体感が彼らに法悦を与える。
等々力不動への登り口に茶店があった。入ろうと思ったが汁粉一杯500円也に恐れをなして遠慮しておいた。等々力不動の境内は渓谷から上がってきた人でにぎわっていた。本堂では厄除けのお札を打っている。遅い七五三を祝う親子連れもいた。 等々力不動から九品仏に向かう。目黒通りに出て環八との交差点で環八を右に入り尾山台駅前の商店街に入る。
商店街で、『尾山台更科』という蕎麦屋を見つけ暖簾をくぐる。この蕎麦屋はキッチンを受け持つ女将と思われる老女と、キッチンとホールを受け持つお姐さんと、主にホール・会計担当のおばはんの女三人で切り盛りするという不思議な蕎麦屋であった。ただ、女の蕎麦屋でも蕎麦の味は確かであった。この店のお姐さんはかなりいけている容姿で蕎麦屋のウェイトレスをさせておくにはもったいない風貌であった。
早速、大平山の熱燗大徳利とせいろ大盛りを頼む。かーたんはミニかつ丼とミニざるそばのセット。蕎麦は更科の名の通り色が白く腰が強く実に美味い。汁も程よい味加減。なかなか侮れない女三人なのであった。かーたんがオカブがとった酒を少し飲むというから猪口も二つ出ていることだし少し分けてあげた。かーたんのセットのかつ丼はミニとは思えないボリュームで、かーたんはその量を持て余していた。ここでゆっくり休んでお支払いは2,450円。なかなか結構な蕎麦屋でなのであった。

初冬の仏のかんばせ蕎麦屋酒   素閑




尾山台の商店街を抜け高級住宅街に入る。途中、逸見政孝と表札の出た豪邸が目に入り、かーたんと二人意外なところに意外な人が住んでいたなと目を見合わせる。
東急線の踏切を渡り、こんもりした木立が見えたのであれが九品仏だろうと当たりをつけて向う。その木立は確かに九品仏浄真寺の物であったが東急線側からだと裏の墓地に突き当たってしまい、境内を約一周して山門にたどり着いた。
九品仏浄真寺は浄土宗。もちろん本尊は阿弥陀如来である。
九品仏の由来となった三品三生の阿弥陀堂は遷仏して改修中であった。しかし、かろうじて上品上生の最高位の阿弥陀仏を見ることが出来た。人間はその人の生前の生き様によって九つの往生の仕方がある。上品上生という最高の極楽往生になると阿弥陀如来が娑婆にじきじきに迎えに来るという話をかーたんにしてやった。
その他、昭和天皇お手植えの松、河口慧海の記念碑、観音堂、馬頭観音、地蔵菩薩などがあった。見るべきものが多すぎる。少し疲れてきた。最後に閻魔堂を観た。かーたんがしょうづかのお婆様の像を指して怖そうというから、あの人は閻魔様の裁きの時にとりなしてくれる人だよと解説してやった。
浄真寺を出て自由ヶ丘に向かう。 途中、かーたんとエルさんの母校である玉川聖学院がある。懐かしくてキャンパスを覗いていたら、旧知の前学院長のB先生がいた。思わず嬉しくなって挨拶する。この学校はプロテスタントのミッション・スクールで、B先生が「学校のためにお祈りください」とおっしゃり、もちろん「お祈りします」と応えた。仏閣巡りをしてきてキリスト教の祈りをするというとなにかちぐはぐな気がするがオカブもかーたんもクリスチャンだからしかたがない。
自由ヶ丘に来たのはここからバスで三軒茶屋まで帰るつもりであったからだが、バス停に長い行列が出来ていたので、東急線で二子玉川に出てそこで田園都市線に乗り換え三軒茶屋経由で帰ってきた。
三茶からの帰り道、代沢十字路の『ムッティス・クーヘン』でシュトーレンが出ていたので買ってきた。この店のフラウによれば今年のシュトーレンの初売上であるそうだ。
家に帰ってきてどっと疲れた。お疲れ様。

妻ともにすごせし勤労感謝の日    素閑

 

 


季節外れの梅見

2012-03-14 18:25:31 | まち歩き

確定申告ではないが、北澤税務署まで行く用事ができた。そこで、行く道の途中にある円乗院と羽根木公園で梅見をしてこようという計画を立てて、3時過ぎに家を出た。北澤川の緑道を行く。冷たい冬から暖かい春の陽気が兆したこの日は外に出て日光の恩恵に浴そうという人が大勢いて北澤川の緑道は平日にもかかわらず子供を連れた散歩の家族連れ、ジョギングをする人などで賑わっていた。さて、円乗院は真言宗豊山派の古刹。中世の伝承の巨人、「ダイタラボッチ」の起源の縁や、正月に保存会の人たちによって演じられる「代田餅つき歌」の縁などがある由緒ある寺である。

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円乗院では参道脇にある文殊菩薩、六地蔵などを見た。

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円乗院にはこの近辺では貴重な日本庭園が解放されている。そこには紅梅白梅が植えられ、季節外れではあるが春の陽気に惜しみなく花を咲き誇らせていた。しかし今年の冬は異常に寒く、今の頃でも梅はまだ八分咲きである。

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円乗院の庭園はそれは見事なもので、滝から水が落ち、泉水には錦鯉が放されている。ここにくると、都会の真ん中にいることを忘れさせてくれる。

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しかし、円乗院の梅は華やかではあるが、どこか控えめで、ゆかしい香を放っていた。7

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円乗院から環七を渡って梅ヶ丘へ、そこにある羽根木公園に向かう。羽根木公園も、平日というのに梅見の人たちで賑わっていた。写真を撮る人、句碑を眺める人、梅花を仰ぎ鑑賞する人など、待ちに待った春の陽の中で思い思いに寛ぎのひと時を過ごしていた。

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しかし、羽根木公園の梅もまだ八分咲きであった。羽根木公園では、2月に世田谷区主催の梅祭りが開催され、模擬店が店をだし、茶席などがしつらえれる。しかし2月の時期では梅はまだほとんど咲いていなかったであろう。

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さて、梅を愛でて雅の心に浸った後は、税務署でうんざりするような浮世の雑事に心悩ますのであった。

狂い咲き人少なき様梅林や     素閑


世田谷東北部の名所めぐり

2009-11-18 13:24:00 | まち歩き

朝から天気がよい。午前中、書類を一枚仕上げて、午後、税務署と社会保険事務所に用事があったので出かけることにしたが、あまりうららかな小春日なので、野暮用だけで済ますのはもったいない気がして、近辺の名刹、名所をめぐってこようという算段で家を出た。まず、梅が丘の北沢税務署で用を済ませ、豪徳寺に足を向ける。境内は平日というのに名所めぐりのグループで賑わっていた。豪徳寺の名物は招福の招き猫である。江戸の昔、豪徳寺は江戸の辺境の荒れ寺として赤貧洗うが如し、どうにも立ち行かない窮状が続いていた。住職は、飼っていた愛猫に「なんとかならんもんかのお?」とつい愚痴っていた。そんな時、幕府の重臣、井伊直孝が遠乗りをしてこのあたりまで来ると、寂れた荒れ寺の前で住職の愛猫が「オイデオイデ」の手招きをした。不思議に思った直孝が寺の中に入ると、にわかに大雨になり、門に雷が落ちた。危険を猫のおかげで免れた直孝は、感じるところがあって、当時、弘徳院といっていたこの寺を菩提寺とし、寄進する寺領そのほか財貨はあまた。この荒れ寺はたちまちのうちに曹洞宗の大刹となったという。そこで寺は猫を珍重し、招き猫として寺の名物とした。寺の仏殿、観音堂を見て、墓地に廻る。古い無縁等、また歴代住職の卵塔を並べ囲った一画がある。無縁の卵塔は、厳しい禅の修業の果て、栄養失調で夭逝した修行僧のものであろう。そのほか弥勒仏、准胝観音などのお像があった。私の好きな童子の墓塔である地蔵菩薩には、真新しい灯篭と水のみがしつらえられていた。無縁ではないのであろう。しかし、これでは興が薄い。朽ち果てていこうとする古色蒼然とした姿が石仏には合っているような気がする。それに対して童女の墓塔は観世音菩薩で、こちらは無造作に置かれていた。このほうが好感が持てる。井伊直弼の墓域は区画整理のため閉鎖されていた。墓地を出てふたたび仏殿の前へ戻る。書院を覗こうとして奥に入ったら、仏殿の後ろに、コンクリート作りの真新しい本堂があった。豪徳寺にはすでに数十回と来ているが、この建築には気づかなかった。うかつといえばうかつだが、かえって気づかないほうがよいような気がした。豪徳寺を出て曹洞宗勝光院に向かう。この寺は山門から鐘楼にかけての豊かな竹やぶが好ましい。山門の前に大振りの地蔵が立っている。関東では野の石仏と言えば地蔵である。人々の地蔵にすがる思いは切実だ。釈迦入滅後、弥勒仏がでるまで地上には仏がいない。そこで、本来、仏になる資格がありながら、あえて仏にならず地上で法を説いて人を救ってくれるのが地蔵だという。また、哀しい地蔵和讃の話も忘れられない。親子の縁が薄く、水子でこの世を去ったり、幼くして死出の旅にたった子どもたちが、賽の河原で一つ積んでは母のため、二つ積んでは父のためと、小石を仏塔の形に積んで、もみじのような手を合わせて拝んでいると、鬼がやってきて容赦なく石の塔を打ち壊す。子たちは何もすることもできず泣き寝入っていると、地蔵菩薩がやってきて子達を衣の下に抱きいれ「今日より後は我こそを冥土の親と思うべし」と言ってくださるという。身をちぎられるような思いで子を送った親としては、地蔵菩薩におすがりしないわけには行かないだろう。勝光院で鐘楼を見た。世田谷で二番目に古い梵鐘だそうだ。見るからに優美な形をしている。ボロ市通り目指して大場代官屋敷に向かう。日も傾きかけてきた。屋敷門と再建された屋敷。白州の跡は移されていた。江戸期の世田谷の歴史を示す大山道、登戸道などの石造の道標がおかれている。郷土資料館に入った。素封家の美術コレクションの特別展をやっていた。展示物は、いずれも幕末期の無名の作家のものだが、絵と書の当時の平均的なレベルの高さには驚かされた。大場代官屋敷裏の浄土宗浄光寺を見た。古い本堂と、観音堂が好ましい。世田谷通りを三茶へ、茶沢通りを通りかえってきた。すき家の隣に東京餃子楼ができている。8月のオープンと言うが、毎週通っていて気がつかなかった。今度入ってやろう。家へ着いたときはすっかり暗くなっていた。

 

    小春日の野辺の仏のぽつねんと     素閑

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よき町世田谷

2009-01-12 16:47:52 | まち歩き

先週のデスマッチが効いて、気力も体力もいえてきた。今日は仕事は休み。世間も成人の日で祝日だから、少しばかりサボっても罰は当たるまい。かーたんは日野でちょっとしたリサイタル。気分転換に近所に一人で散歩に出ることにする。折角、缶詰になっていたところを、外出するのだから、少し気の利いたところへ行こうと、豪徳寺と世田谷代官屋敷の史跡を目指して、昼前に家を出る。

午前中は陽も顔を出し、うららかな冬の晴れ間。若林から北沢川緑道を通って豪徳寺へ。緑道は休日のジョギングの人がたくさん走っていた。

豪徳寺は文明十二年(1480年)、世田谷吉良氏五代目の政忠が世田谷城の西側の岡続きに建てたもの。江戸時代に入り、井伊直孝がこの寺を菩提寺にした。元は臨済宗であったが現在は曹洞宗。

境内は休日の参詣客で結構賑わっていた。葬儀が営まれていたが、奥の本堂で一般には目に触れない形で執り行われていた。

仏殿、庫裏、観音堂、墓域に入り、井伊直弼の墓を見る。

墓地の地面には霜柱が立っていた。

墓地の古い地蔵像の墓塔の前は真新しい石材で柵と線香台が作られていた。

豪徳寺を出て上町の大場代官屋敷を目指す。

適当に道順に当たりをつけて歩いたが、偶然に途中で勝光院に出た。曹洞宗の寺で、境内の竹林が趣を添えている。

世田谷区が管轄の代官屋敷は祝日のため閉じられていた。この辺もお役所仕事の弊害か?

帰りは世田谷通りを歩き三軒茶屋から家へ向かう。三軒茶屋のすずらん通りの「駄菓子バー」と銘打った呑み屋ののたたずまいが珍しかったのでデジカメでパチリ。

家へ着いたのは3時前だった。

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   石地蔵成人の日を眠たげに     素閑