昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

ライヴ・コンサート

2012-01-27 10:16:00 | 日記・エッセイ・コラム

オージーの畏友、チャールズ主催のライヴ・コンサートが太子堂であったので行ってきた。これは3グループほどのジャム・セッションで、チャールズの次女、エリザベスの誕生日を祝うのが主旨とされている。8時スタート。10分前ほどに会場に着いて、ドリンク&ライヴ・チャージ合わせて1500円を払い、ビールを飲みながら開演を待つ。定刻より5分ほど遅れて演奏開始。レゲエあり、ケルティックあり、ハワイアンあり、ゴスペルありのなんでもありのアマチュア・コンサートだったが楽しかった。チャールズにどうしてこんなに出演者を集めたの?と聞いたら、「そりゃ、楽しいからさ」だと。まあ同意。9時過ぎ、コンサートの途中だが、風邪で辛いのでお先に失礼させてもらった。

闇の道辿れば月も凛と凍つ     素閑

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ビフテック・フリット

2012-01-25 10:03:00 | グルメ

何回、ビフテキのことを書けばいいのか、と思っている読者も少なからずいるだろう。しかし、身近な話題で日常変わったことといえば、晩飯くらいなもので、まったく都会暮らしは単調なものだ。そこでビフテキのことをまた書く。この単純な料理をフランス人が好んで食うことは以前にも書いた。ただ、オカブが本格的なビフテキを食べたのは、何十年も前、当時勤めていた会社のアメリカの取引先に出張し、ピッツバーグの本社のレセプションで食ったのが最初だ。当時は、それほどまでに日本では牛肉が普及していなかったし、牛肉と言えば、食うのは吉野家の牛丼くらいなもので、ステーキなど食おうという発想もなかった。しかし、このパーティーではメインをフィレ・ステーキかロブスターからチョイスできて大変結構なご馳走になった次第。ステーキを頬張りながら、先方の会社のCFOと日米の株式市況の話などしていた。バブル真っ盛りの時代である。もちろん、ステーキは美味かったが、それは昔の印象だからであって、その後、何年もしてから、和牛のステーキを食う機会に恵まれた際には、あの時のステーキはなんと堅くて大味だったことよ、と嘆息したものである。しかし、アメリカ人はこのように、ご馳走としてステーキを食うが、フランス人の感覚ではステーキは日常食である。ビフテック・フリットと言えば、フランス人が食わない日はないかのごとく、ありふれた食い物で、しかも保守的なフランス人は好んでこの料理を食う。肉を焼いて食うという習慣はフランスでは意外と新しく、18世紀にイギリスから渡って来た芸当だとの事。まあ、日本流の大きな鉄板で、客を前にして料理人が、見事な包丁裁きで焼き、切り分けるステーキも美味いかもしれないが、この何の変哲もない、フライパンで焼いた単純なフランス流のステーキもそれなりに乙なものである。それにフリット(チップスともいう)と呼ぶフレンチ・フライド・ポテトがついて初めてフランス流の『ビフテック・フリット』が成立する。というわけで、今晩も、我が家の夕食はビフテック・フリット。少しは違う料理も作ったらいいではないかとも思うが、無精者には無理な注文だ。

長年に連れ添う泥葱を洗う妻     素閑

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ピースボートに乗って行っちゃった・・・

2012-01-24 09:34:00 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、酒仙部長代理が上京して、拙宅に泊まった。なぜ、福岡から東京へ出てきたかというと、ピースボート世界一周の旅に出発するのというだ。最初に、その計画を聞いたときには、驚くやら、呆れるやら・・・左翼に洗脳されそうで非常に心配である。しかし、本人が人生一回しかないのだから、と決意の程を語ると、まあ納得。そこで、出発を祝って昨晩は飲んだ。今日は、生憎の雪で、出発地の横浜港までの足が心配される。二日酔い気味の酒仙部長代理を無理やり起こして、朝飯を食わせ、8時には家を出る。横浜大桟橋まで送っていくつもりだ。渋谷から東横線で日本大通りまで。桟橋まではすぐだった。駅から大きなスーツケースを抱えたお仲間がたくさん歩いている。桟橋に着くと、もう乗船は始まっているようで、係員が混まないうちに早く乗れとせかすが、所定の集合時間にはまだ早いので構内のカフェでしばしのときを過ごす。さて、時間が来て部長代理は乗船。出航時間前の11:30から出港式というものが行われると言うから、期待していたが、なにやら主催者側の挨拶があって、見送りの言葉を唱和しただけで、とりたてて言うほどのなイベントではなかった。12:30船は予定通り出港。岸壁を離れ、だんだん小さくなっていく。今回のクルーズの焦点は世界遺産を廻ることと、黒海をクルージングすることという。最初の寄港地は2月6日のタヒチだ。

寒潮に一人船出す友送る     素閑

 

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情報の価値を創造することの必要性

2012-01-21 08:41:00 | 日記・エッセイ・コラム

朝から底冷えがする。昨日からの雪も断続的に続いているし、うちのボロのエアコンでは、こんな寒さの中十分に暖まらないし、布団にもぐりこんでいるしかないような日である。さて、こんな極寒の中にも拘らず布団にはもぐりこみはしなかったが、ストーブに身を寄せ、一日丸くなっていた。そういう状態では、頭の中は巡る巡る、様々な思いや、記憶の断片や、観想や、種々ごったなパンセがぐるぐると回転している。中でも思ったのは、近年の情報技術の発達、特にモバイルの情報端末、iPadとかiPhoneの類い、そしてSNSと称するtwitterやfacebookなどのシステムの普及と、異常に高度化された技術及び洗練された使い勝手が目を見張るほどであるということ。まったく日進月歩というかドッグ・イヤーというか、5年前には考えも想像もできなかったことが、いまや大衆レベルで可能になってしまう情報技術なのであった。しかし、ふと思う。自分はこのどれも使ったことがあるが、すぐに飽きてしまう。つまらん。ビジネス用に使うにしても、今一、付加価値に乏しいように思える。情報を運搬する技術と製品は究極レベルで、発達・普及したが、どうも使う側としては不満である。これは、情報の運搬技術が飽和するまで高度化したにも関わらず、「情報」自体の質と価値が、過去から見ても劣化の一歩を辿っている結果だと愚考する。考えても御覧なさい。40年前のテレビは、ブラウン管の白黒のすぐ故障するどうしようもない機械であったが、見たい番組が目白押しであった。チャンネル争いなんてことが、家族の中で頻繁に行われていた。はてさて、昔のコンテンツ・ソフトはその時代状況と進度に比して高度なものだったのである。それに対して、いまどうしても見たいテレビ番組がありますか?デジタルハイビジョンと機械は高度化したが、コンテンツが追いつかず、デバイスを持て余しているというのが現状だろう。書物の世界でもそうである。いま出版不況と言われる中、続々と新刊書が出版されているが、そんなものにどれだけの価値があるのだろう。そんな新刊を読むよりも、古典に慣れ親しんだほうが、よほど為になるし価値ある情報を仕入れられるのではないか?だから、twitterやfacebookに書き込まれる情報も一概に言ってつまらんつまらん。これらが世の中を動かすとはとても思えない。「アラブの春」にこれらの情報システムが大活躍したという話を聞くが、そこでは特殊な政治・社会状況があり、情報のもつ価値も、それを民衆間で共有することの意味も、現代日本とは比べ物にもならないほど切迫した要求と、影響力があったのだろう。日本のはちっとも面白くない。そこで提言したいのは、これから、これらの情報技術に頼ろうが頼るまいが、発信する情報、そして受け手の側のセンシビリティをもっと磨くことに関して社会教育を行う必要があろう。かつての古典の大家がものしたような作品、大革命を引き起こしたようなプロパガンダが、良い悪いは別として、今の日本の世の中に出現する可能性がないのは、いかにも社会が沈滞し、貧困化している証左であると見る。この状況を打ち破るには現代日本人は、情報技術の発達に目を奪われることなく、"savoir"(知)の限界に挑むチャレンジ精神が要求されている。そして100年後、200年後にも必要とされるコンテンツを創造する力を持つことが望まれる。それは、折角、これだけ発信する情報技術が発達したことを思えば、プロの文筆家や制作者のみならず大衆レベルにも求められることであるのだ。

さて、今晩の夕飯はあまりの寒さのため、当初、から揚げにする予定だった鳥腿肉を使って、急遽、水炊きを作ることにした。台所係はかーたん。熱々の水炊きに身体の芯から温まった。

寄せ鍋をつつき大仰に世を憂う     素閑

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                         雑炊です。食べ切れなかった。


昼風呂

2012-01-18 06:43:00 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜からの徹夜明け。新製品のパネルを日本語に翻訳してフランスのサプライヤーに送った。それが終わったのが今朝の10時過ぎ。さすがにこの歳になると身体にこたえる。まあ、作業のデッドラインぎりぎりだったので仕方あるまい。軽く食事をした後、3時過ぎまで仮眠。起きて、久しぶりに銭湯に行くことにした。心も身体もリフレッシュしてこようという思いである。行ったのは拙宅から歩いて5分の「清水湯」。だいぶ年代ものの建物の銭湯だが、またそのレトロ感がなんともいえない。天井が高く、採光が良いので、日の光が豊かに差し込んでくる。湯は江戸の銭湯だから熱い。しかし、この寒い中、熱い湯の中に身体を浸していると、なんともいえない心地よい気分に浸れる。外は極寒の風が吹く巷である。身体の芯から温まって、見も清潔にしてまずは極楽気分。身体が冷えないようにと、上がりがけに冷水をかぶって、急いで帰宅。家ではビールを開けた。これもまた極楽の一要素である。

寒のうち心も緩む湯屋通い     素閑

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税務署に行くついでに円乗院、羽根木公園

2012-01-17 06:18:00 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_3 北澤税務署に行く野暮用があった。いつもならチャリですっ飛ばしていくのだが、今日は冬晴れの素晴らしい天気で、それではもったいない。そこで北澤川緑道沿いに円乗院に寄って、ついでに羽根木公園にも寄って忙中閑あり冬陽の一日を楽しんでこようとスケジュールを組んだ。

右は北澤川緑道。10年ほど前に舗道だったものが、人口疎水が流れるようになった。時々、真鴨などが飛来して、水面を泳いでいる。

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流れのほとりには、様々な植物が植えられている。このプロムナードはまことに好ましい。

 

 


 

 

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円乗院は真言宗豊山派。天正十八年創建の古刹である。伝承では代田の地名の源となった、古代の謎の巨人、ダイタラボッチとも円の深い寺だと言う。また正月には、伝承の代田餅つき歌とともに、餅つきが行われる。

 

 

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円乗院の庭園。まことに風雅なものである。しかし、一寺院でこれだけの施設を維持していくのは、大変なことだろうと思う。寺ってそんなに儲かるの?とあらぬ方向に思いが行ってしまう。しかし泉水も流水もあるし、維持費だけでも大変であろう。

 

 

 

 

柳の枝振りといい、庭はよく手入れされている。

 

 

 

 

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都会の真ん中にこんな空間があるのは、安らぎをもたらす。寺が儲かっていても許せる気分。

 

 

 

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まことにまことに風雅な庭園であった。

 

 

 

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羽根木公園に行く。これは東松原側の正門。どうやら羽根木公園は西側が正面のようだ。オカブが少年の頃は「根津山」と称して、よく悪童らを誘って遊びに行ったものである。

 

 

 

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羽根木公園の梅林。もちろん花の季節にはまだ早い。魁となる花の訪れが、春の訪れの兆しである。

 

 

 

 

 

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猫が気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。あまり気持ちがよさそうなのでカメラに収めた。

 

 

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黒松の叢林が好ましい。子供の頃、よくかくれんぼや鬼ごっこをしたものである。

 

 

 

 

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公園をめぐる道。一周600mほどあり、よいジョギングコースとなっている。

 

 

 

 

 

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「第三の男」のラストシーン?いえ、羽根木公園です。第三の男のは「聖マルクト墓地」の並木道だったかな?

 

並木道維納の冬は鈍色らし

素閑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

枯れ芒陽に照り人なくしじまかな   素閑

 

 

わずらいもなしや猫の日向ぼこ   素閑

 


グリーン・タイカレー(コリアンダーかけ)

2012-01-13 05:04:00 | グルメ

レッドカレーの続きである。いよいよ出ました、タイカレーの定番、グリーンカレー。レトルトカレーの中ではこのグリーンカレーが一番美味いと思う。ほどよいスパイスのブレンド、ココナツミルクの香り。なんとも病み付きになる。そしてこれにコリアンダーの細切れを山ほどかけて食う。オカブとコリアンダーとの出会いは前述したが、フランスはストラスブールのカンボジア難民の家に居候になっていたとき、この香草を添えた料理をしげく出されたという曰く因縁である。この家の主、Bin Yok Rong氏が、ストラスブールのエスニック料理屋に、他にも山ほど香辛料やら香草やらカンボジア料理の食材を仕入れるのに何度かつき合わされたので、今思うと、レシピを教授していただいておけばと、返す返すも残念である。忙しい木曜に、叔母の件もあって、鍋焼き饂飩を作って食べたので、レトルトカレーが今日、金曜日のローテーションに回ってきたという次第。かーたんは普通のレトルトカレーで満足していた。我が家は充足した食生活を送っているのやら、送っていないのやら・・・

侘しくも囲む夕餉や寒夜かな     素閑

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鍋焼き饂飩

2012-01-12 19:53:00 | 日記・エッセイ・コラム

叔母が退院した。なにを、そんな大事を、と言われるかもしれないが、正月新年のめでたき中を同志の家中を騒がせてはならないと思ったので、いままで伏せておいた。事の始まりは昨年の暮れ、朝方に突然胸が痛いと、叔母から我が家に電話があり、しきりに胸痛と背中の痛みを訴える。結局は、救急車を呼んで、幸いなことに近辺の大学病院に入院することが出来た。午前中から夕刻まで、検査や診察にかかったが、医者の診断の結果、病名は「肺血栓塞栓症」というもので、いわゆる「エコノミー症候群」といわれている奴らしい。要は足の血管に出来た血栓が肺の毛細血管に詰まって起きるものと説明された。事と次第によっては命にも関わる急病らしいので、はらはら心配したが、その後の処置により、叔母は元気を回復していった。奔放な叔母も病院の中では大人しくしていたらしく、順調に快復し、今日の退院となった。今冬一番の寒さの中、昼に病院に叔母を迎えに行き、タクシーで帰ってきた。これがあの時の病人かと思えるくらい元気でぴんぴんしておる。そうはいっても、今日退院してきた叔母におさんどんをさせるわけにもいかないので、家族の人数分鍋焼き饂飩を作って夕飯に食った。納豆とブロッコリーといった野菜以外、特に食べてはいけないものもないようなので、卵も海老天も入れた。寒さの中、湯気けぶる熱い饂飩に、なにやらほっとした気分になる。まあ、大事に至らなかったのが不幸中の幸いである。良かった良かった。そうは言っても仕事のほうもおろそかには出来ない。年始にやるべきことが山ほどたまっておる。一難去ってまた一難。さあ頑張らねば。

静やかな病棟に咲く水仙や     素閑

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鮭のマリネを作った(レシピ公開)

2012-01-11 18:50:00 | グルメ

Photo正月用に買っておいた刺身用の鮭でマリネを作った。以下はそのレシピ。

玉葱を細く切り、塩を振って、一晩冷水に晒しておく。 玉葱は4人前で大1個。

 

 

 

 

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漬け汁の用意。マリネ4人前につき、サラダ油大匙3杯、酢大匙2杯半、砂糖大匙4杯、塩・胡椒は適量。レモン汁1個分。よく混ぜ合わせる。

 

 

 

 

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スライスした鮭と、晒した玉葱を交互に並べてタッパーに敷いていく。

 

 

 

 

 

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タッパーに入れ終わった玉葱と鮭に、漬け汁をかける。

 

 

 

 

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ケッパーを散らして、タッパーに蓋をし、冷蔵庫で二晩寝かせておくと出来上がり。

残念なことに、完成品の写真を撮らずに翌々日の夕食に食ってしまった。腹が減っていて慌てていたからであろう。今日のところはこれでご勘弁を。ちなみにマリネは至極美味であった。

 

 

 

 

 

 

 

塩鮭を妻子に振る舞い寒の入り   素閑

 


2012年娘の成人式

2012-01-09 06:10:19 | 日記・エッセイ・コラム

わが娘、エルさんが成人式を迎えた。感無量である。20年前、この子は東邦大学大橋病院で産声を上げた。生まれる前の晩、かーたんと普通に就寝したが、夜半過ぎ、かーたんににわかに陣痛が起きた。その後のかーたんの立ち回り振りは見事であった。自分で病院に電話を入れ入院の手配をし、荷物をまとめて、近くに住む義兄に連絡して車で搬送してもらうように準備した。亭主としては手を出すすべもない。夜から降り出した雨が、そぼ降り、実に心もとない雰囲気であった。病院に着き分娩室にはいっても、なかなか産まれるものではない。どうやら難産らしい。親父としてはなんら手を出す余地もなく、ただおろおろしているばかりである。未明になっても産まれない。この日、朝一で顧客先にミーティングのアポイントが入っていたので、7時には病院から出なければならない。後ろ髪を引かれる思いで客先に向かう。10時半、顧客との面談が終わり、駅の公衆電話に飛びつくようにして病院に電話を入れた。「2810gの女の赤ちゃんです。母子ともに健康です」という看護婦さんの応対を聞いて、へなへなとその場に崩れ落ちそうになった。ただ、「ありがとうございます」としか返答できなかった。この時のありがとうは、いったい誰に向けてのものだったかはいまだに自分のこととはいえはっきりしない。雨は上がり、蒼天に輝く朝日がまぶしかった。会社に帰り、上司に報告して病院に向かった。乳児室に入れられているわが子と初めて対面した。吸引分娩だったと言うことで、頭にガーゼを載せている。後でかーたんに聞くと、産声も実に頼りないものだったということだ。しかし、それから食欲旺盛な乳児時代。ひょうきんで楽しく明るく、怖いもの知らずだった幼児時代。次第に自我に目覚めた小学校時代。周りとの葛藤に悩んだ中学時代。ソフトボールに青春を燃焼した高校時代。たくましく育った。そして大学に入学して、いま勉学に、バイトに非常に密度の濃い毎日を送っている。ここでこの子の二十歳という年輪が刻まれた。親としてはここまで育ってくれて、なにも言うことはない、満足の限りである。後は、今後、悔いのない人生の歩みを踏みしめていって欲しいと願うばかりである。今日は朝の7時から着付け。11時から世田谷区民会館で区の成人式。そして午後から母校の高校で催される成人式。そして夜は中学の同窓会。今日一日、エルさんは目の廻るような忙しさである。思い出の成人式となってもらいたい。エルさんの今後の人生に乾杯!下の写真は1月5日に撮った前撮りの写真。

いくとせの想いを込めたり成人式     素閑

 

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