六月も終わりだ。
紅蓮の暑さの七月がやって来る。
今年の夏は、どこに行くという予定もない。
ただただ、むさ苦しい都会で暑さに耐えることになる。
夜の納涼と心行くまでのビールだけが楽しみである。
瀬の音を清きと思ふ夕蛍 素閑
蛍火の子を失ひし酌婦哉 素閑
蛍追ふ光に惑ふ岩清水 素閑
心澄み蛍の啼くを聴く思ひ 素閑
蛍火や中天霞む星一つ 素閑
蛍追ふ悲しみともに走りけり 素閑
夕蛍心にしじまあと一つ 素閑
大ひなるそらと蛍のひとたりや 素閑
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どうも目の調子が悪い。
ただの老眼とも違う。
ものが霞んでよく見えない。
白内障だろうか?
死んでもいいが、生きて眼が見えないのは困る。
明日にでも医者に行ってこようか?
さくらんぼ申すもためらふ我が暮らし 素閑
川越えてさくらんぼのなす名無し山 素閑
雨さして今日の宿りやさくらんぼ 素閑
桜桃のうさぎも駆ける背戸の山 素閑
桜桃の名高き里や小追分 素閑
さくらんぼ言葉にできぬ大恋愛 素閑
たなごころ桜桃あふるる子の笑顔 素閑
耕夫らに雨雲走るさくらんぼ 素閑
桜桃やさえずり高く雨の鳥 素閑
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六月もそろそろ終わろうとしている。
既にかなり暑い。
七月になると本格的な夏だ。
梅雨ももうすぐ明けるだろう。
ビールに素麺にバーベキューの夏だ!!!
そう思えば暑さの憂いも少しは和らぐ。
木々の濃くどくだみ白し厠道 素閑
十草や帰りの刻限たたみ傘 素閑
いつわりの告白虚しどくだみや 素閑
引く身とて陰ものかなしどくだみや 素閑
耳澄ましどくだみの歌聞きにけり 素閑
湖泣きてどくだみ岸の葬送歌 素閑
恋忍びどくだみの香を喜びぬ 素閑
どくだみをかわらけに摘み野のほとけ 素閑
泉汲む原のどくだみ水したり 素閑
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小人閑居して不善を為す。
これはオカブが自戒を込めて常に心に留めている言葉だ。
しかし今は忙しい。
会社の決算の処理で大童だ。
オカブ商会の期末は5月だが税金を払い終えて一息となる。
遠ざかる田植ゑの笠と紅だすき 素閑
田植え唄聴きてながむる昼の酒 素閑
泥田にて苗を植ゑたり小百姓 素閑
礼拝の傍ら泥田植ゑる苗 素閑
狂詩曲奏でる田植ゑジーゼル車 素閑
しづやかに田植ゑの笠に受ける雨 素閑
言の葉をうつろ唱ゆる田植ゑかな 素閑
朝の霧通し田の端植うる影 素閑
御田祭道を聞き聞き義父の家 素閑
Twitterというのをやってみた。
興味のある分野を選択せよ、と来たから「政治」を入れたら、色々なアカウントが最初からフォローする形で付いてきた。
まぁ、昨今の時事の政治の話題の議論で喧しい。
しかし、政治の分野で、今や「右」だ「左」だ、あるいは「保守」だ「革新」だ、といういう言葉の色分けはなんの意味も持たなくなっていると思う。
情報過多の世の中、既存の組織や勢力、考え方に依らず、個々人がそれぞれの政治の課題についてそれぞれの判断をする時代になっていると考える。
だから、オカブは保守とか革新とか右とか左とかリベラルとかいう皮相な言葉は大嫌いである。
蹲まずき祠の馬頭北枝の忌 素閑
夜半過ぎてささめとなりぬ北枝の忌 素閑
唐渡と申す絵なり北枝の忌 素閑
山椒のかほり満ちたり北枝の会 素閑
寿老人われとあわせて北枝の忌 素閑
北枝会や発句の頭浮かばざり 素閑
いずれまた会わむと別る北枝の忌 素閑
干し鰯冷や飯に汗北枝の忌 素閑
夏袷襟を掻き抱く北枝の忌 素閑
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かーたんの音楽教室の発表会が『中町ふれあいホール』であった。
今年は出演者の人数も少なく小規模な発表会だった。
オカブはフルートでバッハのソナタを吹いた。
朝方は雨が降り、昼からは晴れて暑さが募るが、こじんまりとした音楽発表会とはいえ、華やかな雰囲気に包まれた。
巴旦杏通りすがりの郵便屋 素閑
通り雨巴旦杏の実借りた傘 素閑
日もかぶき佳人のかんばせ巴旦杏 素閑
童謡の老人あまた巴旦杏 素閑
今日限り逢瀬もなしや巴旦杏 素閑
巴旦杏言わせてもらう大苦言 素閑
海荒れて浜の洋館巴旦杏 素閑
巴旦杏木綿のドレス白サンダル 素閑
巴旦杏洋琴聴ける曇り空 素閑
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大学四年の時、学生時代の唯一の海外旅行にヨーロッパに行った。
本来、山に登りに行くはずだったが、とある事情で予定を変更し、一人でヒッチハイク(オート・ストッピング)をしてあちこちを廻った。
スイスから南仏を経て、ストラスブールのカンボジア人のお宅に居候になり、そこからナンシーに旅立った。
ナンシーはアールヌーヴォー(ユーゲント・シュティール)のガラス器作家のエミール・ギャレの生誕の地で、調べてみると作品の博物館などがあるのだが、その当時はそんな知識もなく、ただロココ調の街を見て回っただけである。
エミール・ギャレは単に工芸家という範疇に留まらず、象徴的なシュールレアリズムに繋がる作品を多く生み出した。
彼の作品の、女性器をシンボライズしたという花瓶などを写真で見ていると、ルドンやキリコなどに通ずる神秘的で超越的な感性を感じ取ることができる。
ギャレの作品は一度だけ上野の近代博物館の特別展で直に観たことがある。
さすがに実物の迫力は写真で見るものとは雲泥の差がある。
フュッスリ、フリードリッヒらから続く象徴主義美術の作家の中でもギャレは最も高く評価されてよい作家だと思う。
その作風の影響は現代美術、工芸にも大きな影響を与えている。
黒砂の山の奥より五月闇 素閑
染み入りぬ座敷に独り五月闇 素閑
夕にまたくしけずりたり五月闇 素閑
五月闇なかなか開かぬ古障子 素閑
月待てど木戸をさぐりて五月闇 素閑
赤坂の五月の闇の客迎え 素閑
新内の五月の闇の稽古かな 素閑
五月闇薄手の磁器の珈琲椀 素閑
五月闇瞑目窓辺ジンライム 素閑
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暑い。
そうとは言っても貴重なたまの梅雨の晴れ間である。
空がキラキラと心地よい。
この季節に「五月晴れ」は異様だが、俳句の季語では梅雨の季節、旧暦の五月の晴れ間を指すらしい。そこは「五月雨」と共通している。
あと一か月もすると暑い本格的な夏がやって来ることを思い憂鬱だが、そんな夏もあっと言う間に過ぎ去り秋がやって来る。
そして我が身は老いていく。
虚しいものである。
路地裏の端唄の流し五月晴れ 素閑
今日晴れて松の雫も五月かな 素閑
苦学徒の新聞配達五月晴れ 素閑
どろ池の鯰をさらい五月晴れ 素閑
草繁り五月の晴れの露集め 素閑
なめくじの陰にもさすや五月晴れ 素閑
幽霊も気遣うひかり五月晴れ 素閑
紅珊瑚客間に目立ち五月晴れ 素閑
五月晴れ言い訳聞きて長話 素閑
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昨日、かーたんと笹塚に行った。
なんで、そんなローカルなところにと?と思われるかもしれないが、かーたんの友達のお宅にお邪魔したのである。
なぜ友達の家を訪れたかというと、その方が『アレクサンダー・テクニーク』のお師匠さんで、是非にと伝授を請いに行ったのである。
アレクサンダー・テクニークとは全身の緊張やリラックス、バランスを調整して日常生活やらスポーツや音楽演奏に理想的な体の状態を保つ術である。
一種のヨガのようなものと思ってよい。
オカブはフルート、かーたんは声楽の演奏のために教えを請うた。
一時間ほどの講習で効果覿面。
これは素晴らしいと相成った。
お宅を辞し空は雨模様。
笹塚の駅まで行って、夕飯にと居酒屋へ入った。
生ビールに始まり、鱈腹、飲み食いして、お値段も相当。
まあよろしい。
下北沢から歩いて帰宅した。
行きそびれ夏至の露天の村芝居 素閑
夏至来たり心づきたり替え布巾 素閑
西のかた夏至に沈めりやみ夕べ 素閑
辿り着き畳灼けるたる夏至の宿 素閑
大島や空も涙か夏至の磯 素閑
早々と帰り来たりて夏至の子ら 素閑
吸い飲みの茶もなまぬるき夏至に病む 素閑
明々と夏至の炎や奥の宮 素閑
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庭に紫陽花が咲いている。
幕末に来日したドイツ人の医師シーボルトは日本での愛人を「マクロフィラ」と呼んだ。
紫陽花のことである。
なにか哀しい。
紫陽花に袖を気遣ひ通りけり 素閑
小娘のあじさゐかざし愁ひけり 素閑
紫陽花の葎に隠くる古き寺 素閑
あじさゐをたとへて言へば恋やまひ 素閑
泣きもせずあじさゐの群れ雨に濡れ 素閑
あじさゐの心の裡は親なき児 素閑
あじさゐの便りを受けし雅かな 素閑
病室の紫あじさゐ終ひの床 素閑
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