今日は日曜日。教会へ行く日である。月末でもあり、仕事がたまっており、前日もほとんど徹夜の状態で、足は重いのだが、今日は教会学校で説教の奉仕の当番に当たっているため、休むわけにはいかない。眠い目をこすって、8時過ぎに家を出て、教会へ向かう。昨日台風が通過したのだが、冷え込みの厳しい寒い朝方は雨のぱらつく、曇天の空であった。うちの教会学校は午前9時から。だいたいどこの教会でも同様であろう。生徒は幼稚園生から高校生まで。この年齢層の幅の広さが、教会学校の教師の心を重くする。対象を絞った説教の話をまとめるのが非常に難しいからである。しかし、ここで愚痴をこぼしても始まらない。できるだけ本質をわかりやすく話すほかはない。今回の聖書箇所は”ローマの信徒への手紙・第5章:1節から11節”。11節と8節を中心に、罪の赦しと神の愛、そして神への応答としての賛美について語った。ほとんどぶっつけ本番で、まとまりのない内容になってしまったが、なんとか最後まで話しつくすことができた。しかしいつものことだが、後で話した説教の中身を振り返ってみると、当初話そうとした内容の半分も話せていない。そのくせ時間ばかりはだらだらと長くなる。いかんとはおもうのだが頭の出来がそうよくはないので、そうはうまくはいかない。教会学校が終わり礼拝に出て、午後からは伝道・礼拝委員会。自分ではそうするつもりは毛頭なかったのだが、なんという拍子にか教会にどっぷり深入りする結果となってしまった。こういうのを無償の奉仕を重ねた結果、天に宝を積むと、キリスト教徒間では言い習わすそうではあるが、まあ日曜が終わろうとするとどっと疲れる。
子供らと神を称えて時雨かな 素閑