昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

エルさんの誕生日

2009-11-29 10:33:00 | 日記・エッセイ・コラム

今日は、アドヴェントの第一聖日。そして我が愛する娘、エルさんの18歳の誕生日だ。ばーたんも隣家の叔母も集まって、一族郎党こぞってエルさんの成長を祝うことにする。朝から暗くなるまで両親は、教会でのクリスマスの準備に忙殺された。そこで、今年の誕生祝は手の込んだことをせず、美登利寿司の出前をとることにする。娘十八番茶も出花。エルさんももうそんな歳になってしまった。親の手を離れるのももうすぐだろう。喜びうれしい反面、さびしい気持ちはそれに増して大きい。エルさんの幼いころの思い出。大切に胸にしまっておきたい。そして、かーたんと機会あるごとに語り合おう。エルさんは18ということは来年大学受験。いまねじり鉢巻で受験勉強の真っ最中だ。高校三年間ソフトボールに青春を燃焼尽くし、たくさんの友達もでき、エルさんも満足だろう。大学生活もより充実したものを送ってもらいたい。

  うれしかり待降節のわが娘     素閑

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世田谷東北部の名所めぐり

2009-11-18 13:24:00 | まち歩き

朝から天気がよい。午前中、書類を一枚仕上げて、午後、税務署と社会保険事務所に用事があったので出かけることにしたが、あまりうららかな小春日なので、野暮用だけで済ますのはもったいない気がして、近辺の名刹、名所をめぐってこようという算段で家を出た。まず、梅が丘の北沢税務署で用を済ませ、豪徳寺に足を向ける。境内は平日というのに名所めぐりのグループで賑わっていた。豪徳寺の名物は招福の招き猫である。江戸の昔、豪徳寺は江戸の辺境の荒れ寺として赤貧洗うが如し、どうにも立ち行かない窮状が続いていた。住職は、飼っていた愛猫に「なんとかならんもんかのお?」とつい愚痴っていた。そんな時、幕府の重臣、井伊直孝が遠乗りをしてこのあたりまで来ると、寂れた荒れ寺の前で住職の愛猫が「オイデオイデ」の手招きをした。不思議に思った直孝が寺の中に入ると、にわかに大雨になり、門に雷が落ちた。危険を猫のおかげで免れた直孝は、感じるところがあって、当時、弘徳院といっていたこの寺を菩提寺とし、寄進する寺領そのほか財貨はあまた。この荒れ寺はたちまちのうちに曹洞宗の大刹となったという。そこで寺は猫を珍重し、招き猫として寺の名物とした。寺の仏殿、観音堂を見て、墓地に廻る。古い無縁等、また歴代住職の卵塔を並べ囲った一画がある。無縁の卵塔は、厳しい禅の修業の果て、栄養失調で夭逝した修行僧のものであろう。そのほか弥勒仏、准胝観音などのお像があった。私の好きな童子の墓塔である地蔵菩薩には、真新しい灯篭と水のみがしつらえられていた。無縁ではないのであろう。しかし、これでは興が薄い。朽ち果てていこうとする古色蒼然とした姿が石仏には合っているような気がする。それに対して童女の墓塔は観世音菩薩で、こちらは無造作に置かれていた。このほうが好感が持てる。井伊直弼の墓域は区画整理のため閉鎖されていた。墓地を出てふたたび仏殿の前へ戻る。書院を覗こうとして奥に入ったら、仏殿の後ろに、コンクリート作りの真新しい本堂があった。豪徳寺にはすでに数十回と来ているが、この建築には気づかなかった。うかつといえばうかつだが、かえって気づかないほうがよいような気がした。豪徳寺を出て曹洞宗勝光院に向かう。この寺は山門から鐘楼にかけての豊かな竹やぶが好ましい。山門の前に大振りの地蔵が立っている。関東では野の石仏と言えば地蔵である。人々の地蔵にすがる思いは切実だ。釈迦入滅後、弥勒仏がでるまで地上には仏がいない。そこで、本来、仏になる資格がありながら、あえて仏にならず地上で法を説いて人を救ってくれるのが地蔵だという。また、哀しい地蔵和讃の話も忘れられない。親子の縁が薄く、水子でこの世を去ったり、幼くして死出の旅にたった子どもたちが、賽の河原で一つ積んでは母のため、二つ積んでは父のためと、小石を仏塔の形に積んで、もみじのような手を合わせて拝んでいると、鬼がやってきて容赦なく石の塔を打ち壊す。子たちは何もすることもできず泣き寝入っていると、地蔵菩薩がやってきて子達を衣の下に抱きいれ「今日より後は我こそを冥土の親と思うべし」と言ってくださるという。身をちぎられるような思いで子を送った親としては、地蔵菩薩におすがりしないわけには行かないだろう。勝光院で鐘楼を見た。世田谷で二番目に古い梵鐘だそうだ。見るからに優美な形をしている。ボロ市通り目指して大場代官屋敷に向かう。日も傾きかけてきた。屋敷門と再建された屋敷。白州の跡は移されていた。江戸期の世田谷の歴史を示す大山道、登戸道などの石造の道標がおかれている。郷土資料館に入った。素封家の美術コレクションの特別展をやっていた。展示物は、いずれも幕末期の無名の作家のものだが、絵と書の当時の平均的なレベルの高さには驚かされた。大場代官屋敷裏の浄土宗浄光寺を見た。古い本堂と、観音堂が好ましい。世田谷通りを三茶へ、茶沢通りを通りかえってきた。すき家の隣に東京餃子楼ができている。8月のオープンと言うが、毎週通っていて気がつかなかった。今度入ってやろう。家へ着いたときはすっかり暗くなっていた。

 

    小春日の野辺の仏のぽつねんと     素閑

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ノヴェッロを楽しむ会に行ってきました

2009-11-14 11:18:00 | 日記・エッセイ・コラム

「ノヴェッロ(イタリアワインの新酒)を楽しむ会」なるものへ行ってきた。会場は有楽町、電気ビル20階の外国人特派員倶楽部。そもそもイタリアの新酒を楽しむなどと言うのは、言い訳の付け足しで、みんなで集まって飲んで食ってわいわい騒ごうというのが本来の趣旨。開会は18:00だが、銀座には15:00頃着いて、三越、山野楽器、教文館などを廻って時間を潰す。教文館にはクリスマスカードが売られていた。はがき式の一番安いのを一葉買う。そのほか御木本パールの前には大きな色とりどりの電飾で飾られた巨大なクリスマスツリーがもう立っていた。外国人特派員倶楽部というのははじめて足を踏み入れたところだが、なかなかいい会場だ。特に夜景を見下ろすバーはジャズの生演奏もあり魅力的であるが、メンバーシップがないと立ち入れないとのこと。残念!会は40人ほど集まっただろうか?ウェルカムドリンクで三々五々のどを潤して、幹事の挨拶も一通り済んだかと思っていると、人数もそろってノヴェッロで乾杯。今日のスーパースター、石塚君によるご発声だ。この会の本来の趣旨は飲みかつ騒ごうというものだが、表向きの看板は異業種交流会というものを掲げているので、一通り会場を廻って名刺交換してこなければならない。対談した中で、ヴェレンチノ社長は都下に3店舗理容室を構える事業家だが、話題はIT、世界経済、産業構造の将来、今後の労働形態などきわめて多岐にわたり、その勉強家のほどは職人時代に顧客から聞いた耳学問の範囲では済まされないことは明らかだ。そのほかも多士済々で実に楽しく、かつ有意義な時が流れていく。余興にプロの慶さんのマジックなどもあり否が応でも会場は盛り上がる。そもそもなんでこんな会が発足したかというとやったー・うーまんとその愉快な仲間たち若干名が飲み屋に集まって、なにか大掛かりなことができないかねえ?と思案をめぐらせた結果。今回の担当幹事はやったー・うーまんのようで、席を暖める暇もなく会場内を飛び回っていた。20:00時にお開きになったが、まだまだ宵の口、こんなものでは済まされない。地下の「TOKYO VIN VIN」へ行って二次会。こちらの会場は2000円で飲み放題ということで、ただで済むわけはない、高歌放吟、フレーフレーのエールの交換、一本締め、三本締めの嵐で、何がなんだか分からなくなったころ、夜半前に解散。同方向に帰る、仲間5人ほどで、沈没したやったー・うーまんを引きずるようにして有楽町線に乗せた。

  高架線人も少なし冬の夜     素閑

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猫と現象学と実存主義と唯我論

2009-11-06 05:40:01 | 日記・エッセイ・コラム

我が家の猫、ムギとジロもすでに満四歳で立派な成猫である。最近は若いときのように活発に運動するようなことは少なくなり、部屋でドテーッとしていることが多くなった。特に、このところ冷え込んでいるので、昼はもっぱら窓辺で日向ぼっこである。活発にオイタをすることはなくなったが近頃、思うことは猫でも人に懐くのだなあということ。特に、もっぱら餌をやっている、かーたんとエルさん(エルさんは、自室に猫の寝場所まで提供している)には甘え通しだ。彼女らが現れるとニャーニャー鳴いて擦り寄ってくる。猫でも情に感ずるところがあるのであろう。下はうちの猫どもの写真である。夜撮ったので、眠そうというか、フラッシュがまぶしいのかあまり可愛く撮れなかったのは残念だ。

ところで、猫が人に懐くということは、かなり高等な認識能力が猫の精神活動に備わっているということだ。すなわち、猫も哲学上の認識の主体に位置づけられてよいという事になる。ただ、猫には「自己」と「他者」の識別がついているかということに疑問は残る。現象学の権威であるフッサールに拠れば、認識主体は「自己」という通俗的概念とは一線を画した「ノエマの核」という観念的概念に集約されることになる。それに基づけば、我々が日常、認識している「自己」という対象も自らによって客体化される。猫においては言語意識に基づいて、「主体」と「客体」の区別はついていないだろう。しかし、時代は下って、ヘーゲルの弁証法的疎外論を展開して、もっとも明確な「実存」の概念を確立したサルトルに拠れば「実存」とは、”pour soi"(対自存在)であり"l'ètre qui n'est pas ce qui l'est, qui est ce qui le n'est pas"(それがあるところのものであらず、あらぬところのものである)ということだ。弁証法的疎外論の言葉を借りて言い換えれば、「実存」とは常に自己を"enteuberung"(外化)させているものということだ。しかし、気になるのはサルトルが「実存的」存在を、人間に限定してしまっており、人間以外のものは"en soi"(即自存在)と決め付けている点である。サルトルは虚無的主観主義の最右翼である。ここに彼の矛盾がある。「自己」に対すると言葉ではいいながら、結局は自己と一体化した自己撞着に帰している。したがって、彼の主観主義の前提を否定する立場に立てば、猫も「実存的」存在であるということは、一概に捨て去るべき言説ではない。趙州狗子の話ではないが「狗にも仏性がある」、ならば「猫も実存存在であろう」である。サルトルは生物学的認識論の検討を最初からすっ飛ばしている。さて、前に戻ってヘーゲルからフッサールへの疎外論から現象学の流れの中で、「自己」に属するあらゆるものを客体化すると述べた。しかし、実はオカブは中学生の当時、独自に唯我論に到達していた。「我」が世界の中心であり認識の主体である。したがって世界を認識する「我」こそが唯一無二の絶対的存在であると。ここまでの考えに至るのにそうは時間はかからなかった。唯我論は決してマイナーな考え方ではない。イエス・キリストも福音書のなかで「たとえ世界すべてを得たとしても、自分を失ったらなんになろう」と述べている。ところがサルトルやフッサールに遭遇して、「自己」とは統合できない主観的実体のない客体であるとの考えに至った。自分とは宇宙の一部に過ぎない。まあ小難しいことはこの辺にしておいて、今晩は猫との「対話」のなかで猫の意識、思惟に思い至った次第。猫のほうが案外、人間よりも悟っているかもしれない。

いずこよりきたりて思う隙間風     素閑

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柚子味噌と蒲鉾

2009-11-04 21:01:10 | 日記・エッセイ・コラム

我が家の庭に柚子が実っている。実は柚子かどうか分からない。たえてこの庭の果実を食味したことがないからである。ただ、柚子ではなくともなにかの柑橘類であろう。まあ、細かいことにはこだわらないでおこう。時が経つのは早い。ついこの間まで暑い暑いと言っていたような気がしていたが、早くも冬がついそこまで迫っている。「柚子」の実のなり具合を夜の庭に出てみて、満足気に眺めてみる。

夜の柚子で思い起こすのは、千利休にまつわる次のような逸話である。ある冬の夜、利休が大阪から堺に下がる折、ある商家の茶人の家の前を通りかかった。雪がしんしんと降っており寒気が厳しい。疲労も感じる。火の気が恋しく、暖かい屋内で茶の一杯も所望したくなった。そこで突然ではあるが、利休はその茶人の家をおとなう気になった。 案内を請うと主人が出てきて、急の訪問でなんの仕度もないが、炉に釜はかけてあるので、茶など召し上がれと招じ入れてくれた。茶室に通され、利休一人、釜の音など聴いていると、なにやら庭に人の気配がする。窓を覗いてみると、雪が降り積もる中、主人が蓑笠姿で竹竿を操って柚子をもいでいる。なるほど、今夜の懐石に柚子味噌を供する心積もりであろうと、急な来訪にもかかわらず、即妙で客を篤くもてなす主人の心根を利休は奥ゆかしく思った。やがて主人が衣服を改め、懐石が出されたが、主人の申し出るには、突然のこととて何の用意もないが、到来の蒲鉾があったのでお召し上がりいただきたいとのこと。蒲鉾など、今の世の中、なんの珍しくもなくいつでも食えるものであるが、当時は特別に誂えなければ、なかなか口にできない珍品であった。そこで、利休がはっと気づくに、この家の主人は、利休が思いがけなく訪れたかのように振舞っているが、蒲鉾などを出すということは、先々から利休がやってくるのを知っており、この大茶人から認めてもらおうとおもねって、かねてより用意を整えていたのであろう。雪の降りしきる中、庭で柚子をもぐのも、小賢しいパフォーマンスに違いない。その振る舞いは卑しい限りと白けきってしまった。そこで、ふと急ぎの用を思い起こしたので、これにて失礼すると挨拶して、袖を払ってさっさとこの家を出てきてしまった。なにごとも下種に策をめぐらすと裏目に出るという教訓であろう。また茶人たるものの心がけの一端を知る上で興味深いエピソードである。冷える今晩の夕飯のおかずはおでんであった。


   活計の帳尻合わず神無月     素閑


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