昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

檸檬

2017-10-09 09:24:15 | 日記・エッセイ・コラム

写真はもちろんレモンである。
晩のおかずのお惣菜のカキフライにかけて食おうという算段である。
一年中売られているのはもちろんだが、俳句ではレモンは晩秋の季語。
日本ではレモンというがフランスではシトロンという。
高校の時の現国の教科書の教材に坂口安吾の『ラムネー氏のこと』というエッセーが載っていたのを覚えている。
普段ろくに勉強もしなかった癖に、この文章のことは鮮明に記憶に残っている。
主題は「ラムネ」の語源は何か?ということである。
このことについて安吾らが鮎を食いながら議論する。
一人が、それは「ラムネー氏」が「ラムネ」を発明したからだ主張する。
更に、このことはプティ・ラルッスに記載されていたと尾鰭をつける。
このプティ・ラルッスに載っていたという「ラムネー氏」とはフェリシテ・ド・ラムネーのことだろう。
しかしフェリシテ君と「ラムネ」はなんの関係もない。
実際のところ「ラムネ」の語源は「レモネード」から訛ったものだろうという説が有力だ。「レモネード」ならレモン水だろう。レモンの果汁が入っていなければおかしい。「ラムネ」にそんなものが入っているか?!と強弁する向きは措いておいてほしい。
フランスでは「レモネード」のことを「リモナーデ」という。
「リモナーデ」は日本でいう普通のサイダー、一番近いものは昔売られていた『三ツ矢レモン』の味がするだけで、レモンの果汁など入っていない。
数十年前の大昔のフランスでは、金属のスプリングとゴムのキャップのついた1ℓくらいのガラス瓶に入れられて売っていた。
飲んだ後の空のガラス瓶は乾物屋がなにがしかで買い取るので、リモナーデのガラス瓶集めは子供たちのいい小遣い稼ぎになっていた。
亡きフルートの巨匠、マルセル・モイーズも子供の頃、最初のフルートの購入資金をこの手で貯めたという。
ところで、オカブの持っているプティ・ラルッスには『裕仁』と『ヒトラー』が同じページに写真付きで、隣同士仲良く並んでいる。いくらアルファベットの偶然のなせる業とはいえ、これは少し外聞が悪いだろう。
まあ、今日、檸檬で思ったことはこんなところだ。
この『昼のガスパール・オカブ日記』では普通のエッセーや日記を書いていこうと思っていたのだが、10年前から1エントリーにつき、俳句を必ず投稿していたところから、『俳句』のブログ・ランキングに登録することになった。そうなると力が入って、最初のうちは、俳句の投稿を中心に1日5エントリー以上もポストしていた。そろそろ力尽きたので頭を冷やして普通のペースに戻そうとも思っているのだが・・・
しかし読者としては駄法螺の蘊蓄を垂れられても迷惑この上ないことは想像に難くない。

 

ラフォルグの檸檬の香はなつ嘆き節   素閑

 





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秋祭り@北澤八幡宮

2017-09-02 19:27:12 | 日記・エッセイ・コラム

今日は昨晩からの雨で、北澤八幡の祭礼が心配されたが、昼から雨が上がり日が差すようになった。
行いの良い人が多かったのだろう。
夕方、かーたんと祭りに行ってきた。
幸い非常に涼しいので過ごしやすい。
この神社は代田の東南から代沢一丁目をも含む広大なテリトリーを持つ氏神様だ。
かーたんもオカブも耶蘇教徒だから、神社に拝礼することはないが、祭り見物は日本の伝統行事の見聞として大いに楽しむべきだと考える。
そういえば、やたら外人のグループが多い。日本も国際化というか、移民国家というか、グローバリズムというか、なんというか知らないが、とにかく異国に対して開けた国になりつつある。
そういえば、この祭りの名物の一つのドネル・ケバブだが、最初のうちは露天の主催者がスブラキとかギリシャ・サンドイッチと称していたが、今はきちんと「ケバブ」と名乗るようになった。そして、このケバブ、日本では全く珍しいものではなくなった。オカブの知っている限りでも下北沢にケバブ屋が二軒ある。
ただ本場ものと違って、羊の肉ではなく牛肉を使っている。まぁ、ケバブはトルコ辺りの遊牧民の料理が起源だろう。パリはユシェット通りのケバブ屋も、だいたいトルコ人がやっている。
かーたんとざっと境内の露店を観て回って帰ってきた。
この祭りも40年ほど前にテキ屋さんを締め出したとはいいが、随分と寂れてしまった。昔の活気が懐かしい。
それでも、夕暮れ時の混み具合と熱気はこれから夜に向かってさらに人出が増し、より高まりを見せるだろう。

 

秋祭り薄雲まとう月の出や   素閑

 


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九月(音楽を添えて)

2017-09-01 18:03:08 | 日記・エッセイ・コラム

九月一日が暮れようとしている。
あんなにも強烈な夏の光を放った八月(今年は雨ばかりだったが)が去り、オークルに染まる秋がやってきた。
「春愁」という言葉があるが「秋愁」という言葉もあってもいいのでは、と思えてくる。いや、秋には「秋思」という言葉があるが・・・
今日は仕事は終わり。
すっかり秋めいた暮時に、虫の音を聴きながらバーボンのハイボールを傾けている。
なかなか、良いものだ。
虫の音が最高のBGMだが、この季節に聞く音楽といったらなんだろう?
「九月」がタイトルに付いた音楽でオカブの頭に浮かんだのは下の四つ。
まず『セプテンバー・ソング』。映画『旅愁』の主題歌となった。主演はキャサリン・ヘップバーンだったかな?いやジョーン・フォンテーンだったかな。もともと歌曲だったが、オカブはサックスでクール・ジャズ風にアレンジしたものが好きだ。リンクの演奏はエラ・フィッツジェラルドの歌唱によるもの。
次に、クール・ジャズの巨匠、ジョージ・シアリングによる『九月の雨』。ちょっと感傷的なこの季節をなんとなくコミカルに聴かせてくれる。日本で猪俣猛トリオが演奏したのをブルー・ノートで聞いた。
そして、ムッシュー100万ボルトのジルベール・ベコーによるシャンソン『故郷の九月』。オカブは数十年前、新作のこの曲を古賀力の歌で『銀巴里』で聞いた。
最後に出ました!左岸の女王。バルバラのシャンソン『セプテンブル』。これは最高です!オカブはこれをバルバラが亡くなる前、来日公演の厚生年金会館で聞いた。バルバラは既に老境に入り全盛期を過ぎた消え入るようなか細い声で歌っていたが、それがかえって凄みを増した。
秋になると聞きたい音楽がたくさん出てくる。
それにつれて酒も進む。
いや、いけない!取って置きの酒が足らなくなりますな。

 九月来て遥かに暮るる多摩の山   素閑


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新涼

2017-09-01 12:59:30 | 日記・エッセイ・コラム

昨日から涼しい日が続いている。
昨日は寒いくらいだった。
今日は、日差しがあるので、多少、暑く感じられるが、それでも涼しいことに変わりはない。
休みが終わり、9月になり、山はもう冬支度だろうか?
涸沢のナナカマドの紅葉は9月の末だっただろうか?
もう、夏を忘れ、秋のことに心が向かうオカブのその移ろいやすさを、わずかに恥じる。
オカブが大学時代は9月は、まだ休暇中だった。長く苦しい夏合宿を終え、さらに、その休みを利用して穂高に岩登りに行った。
3000メートル級の山はもう寒い。セーターを着て岩を攀じ登った。
山行が終わると上高地経由で松本に下山した。
松本では山行きの後の打ち上げが楽しみであった。
駅前に『本陣』という山菜料理屋がかつてあった。ここは学生山岳会を中心として山屋の溜まり場であり、我々も常連だった。
『本陣』の親爺は数々の登山家と知己であり、ここは俺の縄張りだ、と言わんばかりに、いかに学生とはいえ客である我々にも態度がデカかった。我がサークルがヒマラヤ遠征で世話になった山岳写真家の青野恭典氏を呼び捨てにしていた。
しかし、ビールをタタで付けてくれたり、ご飯をお代わり自由にしてくれたり、なにくれとサービスしてくれた。
ただ、後で知ったところによると、このサービスの対価は、個人で松本に寄ったOB連中が後輩をよろしく、と心付けとして既に支払っているものと聞いた。
『本陣』で飯を食った後は『まるも』に珈琲を飲みに行った。松本を代表する珈琲店である。まだ珈琲の味もわからぬひよっ子の学生であったが、いかにも喫茶店通でござい、と気取ってのさばっていた。しかしここで久しぶりに聴くクラシック音楽は心に沁みた。
数十年前に松本も駅前が都市開発され、すっかり様相が変わった。『本陣』も無くなったし、あの態度がデカかった親爺も鬼籍に入ったことであろう。
ところで、信濃と言えば蕎麦である。
かーたんと結婚して翌年に上高地に二泊三日で旅行した。
山らしい山が初めての新婚のかーたんは子供のようにはしゃいでいた。
松本に降りて『こばやし』という蕎麦屋に入った。蕎麦は美味かった。
帰路は高速バスに乗った。車内でかーたんと話すことは無限にあった。未来のことを語った。今では、お互いに、すっかり口数が少なくなっている。
懐かしい思い出である。

新涼やふわと浮く雲ながる風   素閑


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日曜日です。教会です。

2017-08-27 17:02:03 | 日記・エッセイ・コラム

日曜日である。
当然のことながら教会である。
教会であるばかりか、今日は礼拝司会などと言う気の重い順番が回ってきた。
なんとかこなす。
今日も説教はヤコブ書から。うちの牧師は昔からヤコブ書が好きだ。
説教内容はやたら抽象的なのだが、やたら行いを伴う具体的な信仰を求める。
礼拝が終わると、週次の会計だ。
今週は月末と言うことで、普通の会社と同じで、やたら決済が多いうえ、いつもは僅かばかりの献金が集中して天手古舞。
その上、いつもは会計を手伝ってくれるオバハンが今日はお休みで、その分、オカブの負荷も倍増。
会計が終わるまで5時過ぎまでかかった。
かーたんはコンサートのリハ。
頭に来たから西友でたんまり酒を仕入れてきた。払いはもちろん家計から。
明日から8月最後の週だ。

 

残り蚊とともに事務所に籠りけり   素閑

 


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まだまだ暑いですね・ある土曜の午後

2017-08-26 16:38:15 | 日記・エッセイ・コラム

暑い。
こういう時には涼しいところに籠るのに限る。
しかし我が家はクーラーをオンにしていかに涼しいとはいえ、むさ苦しい佇まいが、暑苦しさを増す。
そこで、月末の処理も終わったことだし、かーたんと三茶のすずらん通りの『きゃんどる』にランチに行って、キャロット・タワーのラウンジ『スカイ・キャロット』で涼んで来ようという計画を立てた。
昼過ぎに家を出る。
馴染みのマスターとママに挨拶して、いつものAランチ。
今日は、スズキのポワレとポークの三枚肉の煮込み。いつもながら美味しい。
帰りがけに、ご好意でママの実家のお土産の梨を貰った。
感謝感謝。
『スカイ・キャロット』に行って、またアサヒ黒生。我ながらよく呑む。
かーたんは声楽で応用するアレクサンダー・テクニークの勉強。
じっくり本を読み込んでいる。
話し相手がいないから、オカブはビールが進む進む。お代わりをした。
帰りがけにかつての、『ディスカウントのモリ』が経営する八百屋さんで、桃を買った。
ずっしり重い桃を提げて家路に着いた。

買い込みし桃の重さよ秋暑し   素閑



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帰りの旅路

2017-08-25 13:21:18 | 日記・エッセイ・コラム

エルさんたちが今日帰ってくる。
今日は、長浜周辺を巡って、近江八幡を見、さらに彦根城を観て帰路に就くというもの。
本人たちはわずか2泊3日の旅の終わりに寂しさを感じているだろうが、待つ身としては嬉しい。
今晩の20:30に新宿に着く予定だ。
どんな土産話を運んでくるか期待している。

 

娘らの旅路を想い西瓜食う   素閑

 

 



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三茶・すずらん通りの『きゃんどる』でランチしてラテン・フェスティバルを観る。

2017-08-20 14:28:30 | 日記・エッセイ・コラム

教会に行ってきた。
説教を聞き、週次の会計の処理をして、教会の戸締りをして、三茶・すずらん通りの『きゃんどる』に、かーたんとランチに行った。
今日の説教はヤコブ書による「あなたの信仰を見せなさい」、「行いを見せなさい」というもの。
今になってみると耳が痛い。そう言いながら昼間からビールを呷っている。
今日のAランチはサーモンのポワレとチキンの小悪魔風。
大変美味しい。これで1,000円。お値打ちです。
クーポンでデザートも食べた。
満足満足。
今日は三茶の茶沢通りでラテン・フェスティバルが行われている。
色とりどりの衣装の様々なサンバチームが出場していた。
今日は昼間、御馳走を食べたので、夕飯は素うどん。
自転車を押して帰宅した。

秋の空信仰いかにと問いけるや   素閑


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終戦記念日の随想と句

2017-08-15 09:36:35 | 日記・エッセイ・コラム

たしか、ついこの間、十代の青少年に終戦記念日はいつかとアンケートを取った結果、14%が8月15日と答えられなかったという報道があった。
フォーク・クルセイダーズが『戦争を知らない子供たち』を歌ってヒットしたのは50年近くも昔のことである。その当時は、ああ、自分たちには戦争の直接体験がないんだ、という慨嘆ともとれる感情が同世代に共感を呼んだと思う。だから逆に言うと彼らにとって戦争はまだ身近であった。
しかし、現代の十代の若者にとって「戦争」は、はるか歴史のかなたの出来事である。そんな彼らに戦争終結日を聞くのは、我々の世代に日露戦争はいつ終わったか?と質問するのと同等である。この日になると一斉に終戦のことが報道される現代にあっても、テレビも新聞も見ない若者にとっては、全くのわれ関せずではなかろうか?だから一面から見ると、この14%という数字は驚くほど小さいとも言える。
オカブは戦争を直接、現役の大人として体験した世代からその経験を直接聞くことのできた最後の世代とも言える。
その戦争の聞き語りから察するに、彼らにとって「大東亜戦争」とはそんなに悪いものではなかった、という奇妙な印象を持っている。
一番、身近な例で行くとオカブの祖母。彼女は7人の女の子ばかりの姉妹の母親であった。
彼女はよく空襲の思い出話をオカブの幼いころにしてくれた。それによると祖父が消防団で動員に取られて女ばかりが家に残っているときに空襲があり、祖母は学童疎開をしている娘と、勤労動員で日赤病院に詰めている伯母を除いた5人の娘の手をひいて、近所の神社の床下まで逃れた。焼夷弾がバラバラと降り注ぎ、火が目前まで迫り、床下で、ここで皆で死ぬんだ、と覚悟したという。
また、戦後の食糧難の時代、買い出し列車に乗って一家の糧を調達するのは祖母の役割であったが、その買い出し列車の客車の屋根にまで人があふれる押し合いへし合いの中で、思わず倒れ伏した際、雑踏に踏まれて圧死しそうになり、その時自分の亡き母の名を呼んで、またも死を覚悟したという。
そんな悲惨な体験をした祖母だったが、オカブには戦争のことをまったく悪く言わなかった。逆に、「今の若い者は軍隊がないから弛んでいる」と口癖のように言い、幼いオカブに発破をかけたものだった。
祖母には男の子がいなかったので、兵隊にとられた子がなかったからかもしれない。
オカブの家から歩いて数分のところに、東条英機の遺族の家がかつてあり、その一家と祖母は親しくしていたが、父親としての東条英機は家に帰ると実に子煩悩な家庭人であったそうだ。家庭にあって善良であったことと、公人として正義の人であったかは、なんら関わりのないことではあるが、歴史の叙述の一面性に反省を至らせる事実である。祖母は東条英機のことを「東条閣下、東条閣下」と呼んでいた。
祖母と娘たちが詰めた慰問袋を戦地に贈った縁で、それを受け取った昔の海軍の軍人さんがオカブの家と懇意にしていた。戦争当時は、まだ青年である。彼は戦後、海上自衛隊に入り、佐世保に住んでいたが、上京すると、よく我が家に泊まりに来た。その彼が晩酌に酔うと、自分の身体には3発の弾が入っているんだと自慢していた。
オカブの小中学校の頃は、まだ戦争に行った先生が健在だった。特に印象に残っている先生は中学の海軍崩れの体育の先生で、いつも海軍帽を被って授業をしていた。そして保健の授業の時には、高射砲の射ち方について得々と話すのだった。その先生はオカブも入っていた剣道部の顧問で、寒稽古の際などは、合間に、居合刀を抜いて居合の稽古をするので度肝を抜かれたものだ。
高校の友達は、丈夫の父親が自慢で、父親が嬉々として戦友会に顔を出すことをよく話していた。
ちなみに、かーたんの父親は陸軍少年飛行兵に志願したという。
彼等を軍国主義の亡霊と片付けるのはたやすいが、オカブが幼少を過ごした昭和30年代から40年代頃の世相の現実であったことは紛れもない事実だ。
欧米人であるアンドレ・マルローやかつての敵、米軍の将官などが、特攻隊や、日本軍の戦闘の勇敢さを称賛する発言をしたのを、一部のバイアスのかかった人達が殊更、喜び騒いで取り上げるのには違和感を感じるが、その発言をしたということは厳然たる事実である。
戦争は、還暦を迎えたオカブの中でも、まだ纏まりのつかない知識と知見の断片でしかない。
しかし、太平洋戦争は軍事的・政治的には誠に愚かな行為であり、死傷した人や、苦難を舐めた方々には悲惨な体験そのものであったと思うが、歴史的に見れば、決してネガティブな側面ばかりではないというのが公平な見方なのではないか?戦争の悲惨さ、破壊、死の恐怖や苦痛、市民への罪悪性などに対して、歴史は、戦争が国際社会全体でどのような意味があったか、時系列的に見てどのように世界を動かしたかを冷静・客観的に問い、語り掛けてくる。
この時期になると戦争にまつわるセンチメンタリズムが街を覆う。オカブはそれを「朝日・岩波史観に毒されたセンチメンタリズム」と呼ぶことにしている。平和は感傷では決して保たれない。昨今の滑稽な反戦論を見るにつけ、戦争の回避のためには、まず朝日・岩波史観への異議申し立てから始めなければならないと感じる。冷厳な最近の国際情勢の激動の中で、戦争を回避し平和を維持するための実現可能な方策を、絶えず探っていかなければならないと思う今日この日である。

風已みてけむり一筋敗戦忌   素閑

赤子泣く終戦の日の天花粉   素閑

敗戦日みつ豆食うや女学生   素閑


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徹夜になってしまった。

2017-08-13 06:15:37 | 日記・エッセイ・コラム

あるフランスの企業にプロポーザルを書いていて徹夜になってしまった。
わざわざ土曜から日曜にかけて徹夜することもないだろうとは思うが、翌日休みで(オカブは日曜は教会で実質休みではないが・・・)なんとか体力的にも頑張れるのは土日くらいしかない。
なんとか仕上げて、電子メールで先方に送る。
フランスの会社はバカンス真っ盛りだろうと思うなかれ、オカブのIT業界は世界各国で貧乏暇なし業界として有名で、先方も社員が交代で一週間休むだけで、会社をクローズすることはない。
今度の火曜には返事が返ってくるだろう。
猫国家のフランスでも無理無駄の塊の我が国よりは「生産性」はよい。
朝が明けて庭に水遣りに出た。
この風情はまた日本にこそのものである。

朝顔の花に白々露おけり   素閑