昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

今日の晩御飯

2017-05-10 22:18:44 | お惣菜

人間美味しいものは食いたいものである。
しかし、美味しいものは金がかかる。
でも美味しいものは食いたい。
そうしたせめぎ合いの中で、人間は妥協し、あるいは背伸びし、少しでも美味しいものの食卓にあずかっているのである。
今日のご飯は、刺身ブツ(西友で1パック480円)、がんもどきと厚揚げを煮たの、ほうれん草を茹でたの・・・以上である。
まあ、我が家の普段の晩餐としては、かなりなご馳走の部類に入る。
従って、非常に美味かった。
こういうものを食っていれば、別に高級料亭など行かなくても良い。
足るを知る・・・は人間の経済政策の原点である。

虫干しや見れば弊衣ばかりなり   素閑


かーたんが夕飯のおかずは出来合いのお惣菜をやめて、料理することにしたとさ。

2017-05-01 22:21:55 | お惣菜

今まで、我が家は夫婦で仕事をしていたので、夕飯のおかずはスーパーで出来合いのお惣菜を買ってくることが多かった。
しかし、それでは不経済だと気付いたかーたんは、一挙に手料理をすることに切り替えて、退勢挽回することにした。
そこで、今晩のおかずは、オカブが鶏の胸肉焼き、チーズソース。かーたんがスズキのポワレ。
手料理でも結構、高級なものを食っている。
かーたん手ずからのおかずは大変おいしかった。
連休も中盤だが、世間の休みとは関係のないオカブ商会では、やってもやっても終わらない仕事に追われる。
かーたんのおかず作りは、いつまで続くか分からないが、まあ、ダイエットにも良いようだから、やるところまでやってみればいいと思う。
取り敢えず、ご馳走様でした。

聖五月新聞配達風運び   素閑


行者葫

2017-04-18 23:43:30 | お惣菜

太子堂のO青果店で、行者葫が2月頃から店先に並んでいる。
気にはなっていた。
こんな時期に行者葫もないものだろうと思った。
深田久弥の『瀟洒なる自然』によると、日高の山の尾根で昼飯に行者葫を摘んで食ったと出ている。こんな老登山家が日高の山に登れるのは、雪の消えた夏に決まっている。いくら寒冷地の北海道とはいえ、行者葫の旬はだいたいそんな時期である。
だから2月に行者葫は奇異である。
でも、これが無性に好きなオカブとしてはいたたまれず、ついに今日になって買ってしまった。
1パック350円である。決して安くない。
家に帰って、酒の肴に生で味噌をつけて食うつもりである。
早速開けてみると、日が経って身が崩れ腐りかけている。
ラベルを見ると案の定「促成栽培」と書いてある。
まぁ、いい。元山屋の意地の汚さで、腐った野菜も、あればこそ、ガリガリ食う。
酒もガンガン飲む。
行者葫の原産地は中国奥地、天山山脈の辺りだという。深田の本に書いてあった。玄奘三蔵が、この野菜が天山山脈に生えているのを見て、同山脈を「葱嶺」と名付けた。これも深田の本に書いてある。
食った本人は気付かないが、このニンニクを食った臭いの余塵は凄まじかったらし、かーたんはたまらず夜、寝所を共にすることなく、階下に逃げ出した。
明日は、イタリア出身の女性フルーティスト、リタ・ダルカンジェロと会わねばならない。
いいだろう。ニンニクのにおいにまみれて、破れ布団に潜り込んだ。

忍辱の臭い強きを妻厭う   素閑 


今晩の晩御飯

2017-03-31 20:20:15 | お惣菜

旅行から帰ってきても、まだ旅気分が抜けきらない。
旅の非日常は、心地よいが、過ぎ去ると寂しいものだ。
その心の吹っ切れなさを現して、かーたんが今晩のおかずに、こんなものを作ってくれた。
ちょっと洒落た容器に、もやしの明太子和え、 塩辛、もやしのお舐め和え、納豆とお舐め、ゆで卵、チーズ、スモークサーモン、そしてホウレン草を品よく盛り、酒の肴にも乙なように、作ってくれた。
まるで旅館か小料理屋の料理のようだ。
なんと言っても大切な、かーたんである。
こういう時に、なんという程もない料理だが、こういう憎いおかずのの演出をしてくれるのは、何十年も連れ添った、心の通い合う仲である。 

弥生尽なにやら妻も老いゆくか   素閑


蕗の薹を食す。

2017-03-04 19:12:30 | お惣菜

今日、下北沢に出かけて、オオゼキで青森産の蕗の薹が売っていた。
この早春の味覚は、いささか、食い遅れたが、食うにしかずである。
1パック買い入れた。
しかし、このオオゼキの1パックというとかなりな量である。
しかも鮮度が落ちないうちに食わなければならない。
夕飯に、味噌和えにし、味噌汁にも、香味として散らすどころか、椀に溢れんばかりの具として入れた。
美味美味である。
酒の肴に、蕗の薹の味噌和えは絶好のものである。
前のエントリーで、オカブは夜は酒を飲まないと言ったが、今日の酒宴は日の高いうちから始めた。
佳きかな佳きかなである。
蕗の薹というと、5月の上高地を思い出す。
学生時代、オカブは5月の連休に必ず穂高に岩登りに行った。
入山の時は、ひっそりと鳴りを潜めていた蕗の草が、1週間ほど経った下山の時には、徳沢の辺りでは薹が開ききって、もう食うわけにはいかないほど伸びきっていた。 ああ、勿体ないと言いながら、帰りの足を速めたものである。
だから、山屋を長く続けていたが、山でこの春の味覚の恩恵に与ったことはない。
今晩、酒の相手のかーたんにこんなことを語って、管を巻いた。

蕗の薹若き日思いつ酒を酌む   素閑 


今日の晩御飯のおかず・・・・ごちゃまぜサラダ

2017-02-27 22:46:42 | お惣菜

3月が迫ってきた。
世間では年度末である。
オカブ商会の決算期は5月末だが、世間が年度末だと、なにかと忙しい。
飯もゆっくり食ってもいられない。
そこで、今日の晩飯はサラダ。かーたんが作ってくれた。
昨日の晩のおかずの鶏の笹身をサラダにしたものである。
ところで、フランス人は確かに「美食家」である。
しかし年中、ご馳走を食っているわけではない。
家計の懐具合をにらみながら倹約に努め、世知辛い世の中と闘いつつ、その範囲で食える限りの美味いものを食べることには、やぶさかではない、という意味での「美食家」である。
フランス人は「美食家」である以上に「シブチン」である。
それでも、日曜日の晩は、 彼らも結構なご馳走を家で作って食う。
すると月曜日の晩には、日曜の晩のメインの残りものが適当なサラダかスープになって出てくる。
こういう涙ぐましいやりくりをしながら、フランスの庶民は暮らしているのである。
オカブ家でも、フランス人に倣ったわけではないが、昨日の晩の残り物をサラダにして片づけた。
まあ、節約しながらも美味い夕飯だった。

年改むと思えば明日は弥生なり   素閑 


 

 


 


またまた京菜鍋を食べてしまった。

2017-02-12 23:49:38 | お惣菜

今日は教会である。
礼拝司会の日である。
カルトの問題も片付いていない。
気が重い。
なんとか、礼拝の司会を済ませた。
しかし、カルトの問題は思いがけないところから糸口が見えてきた。天の配剤であろう。
下北沢のオオゼキに行ったら、まだ京菜が出ていた。
この京菜にはオカブは目がない。
この前も書いたが、春の生気を食いつくすように貪り食うのが好きだ。
もちろん鍋にする。
まだ、生煮えの青々とした葉をバリバリ食う。
美味かった。
カルト問題は、まだ微妙なプロセスの整理や、戦術の見直し等の必要はあるが、解決の見通しが立ちかけている。
神に感謝して、新しい週を始める。

京菜食う春の野良より恵みかな   素閑 


寒いので「鶏スキ」にしました。

2017-02-10 23:17:48 | お惣菜

今日は、寒かった。
もちろん、日が暮れても寒い。
そこで、夕飯は、思いっきり暖まるべく、鍋物に。
我が家の、お得意の「鶏スキ」である。
こんな料理が一般にあるのかは分からない。
要は寄せ鍋の野菜に、メインの具は魚やつくねではなく、鶏のもも肉を入れたもの。
寄せ鍋と同じく、出汁と塩と味醂と少量の醤油の割り下で煮る。
酒はもちろん燗酒。
熱い具をつついてかーたんとふーふー言いながら食べる。
締めは雑炊。
汁の中に残りのご飯を入れ、溶き卵を加えて煮る。
腹一杯!満足・満足。
寒い夜は鍋に限る。

春寒やしじまに娘帰りくる   素閑 


京菜鍋を食う。

2017-02-07 22:10:52 | お惣菜

下北沢に所用で出かけた。
帰りがけにオオゼキで夕飯のおかずの買い物を、かーたんから頼まれた。
予定では、残り物の鶏の胸肉を蒸して、サラダにして食ってしまおうという算段である。
しかし、オオゼキでは京菜が売っていた。
この早春の季節の野菜は、瞬間的にしか店先に並ぶことはなく、買い逃すことが多い。
これは買わずにはおれまい。
さて、夕飯。
オカブ家では、京菜は鍋にしてしか食わない。
かつお出しに塩、味醂、少量の醬油を加えた割り下で、豚肉とともに煮るのである。ただ、それだけの料理である。至って、簡単。
この場合、豚肉は、汁の出汁を取る程度に考えていたほうが良い。主役はあくまで京菜である。
一煮立ちして、京菜がまだ青々として半煮えのところを、貪り食う。
まさに春の生気を食いつくすような、意気込みである。
実に美味い。正月の七草は、なんとなく春の象徴的な姿を追っているように見えるが、この京菜鍋は、まさに春の実体である。
青菜を一人一把も食い果たす。これほどの春の美味求真があろうか?
ふーふー言いながら、かーたんとバリバリ食う。

花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春をみせばや   藤原家隆

この京菜鍋は、もう30年ほども前にサントリーローヤルの広告に「すき焼き」として載っていたものである。
それをオカブ家風にアレンジした。
春はもう来た。

日脚伸ぶ爛れた午後の書斎にて   素閑 


ケンタッキーとビール

2016-12-03 23:59:20 | お惣菜

かーたんが今日はご馳走が食べたいという。
どんなご馳走を作ってくれるのか、ハラハラドキドキで期待していたら、ケンタッキーが食べたいという。
ズコッときた。
まあ、ケンタッキーでも、銭のないオカブ家にとってはご馳走には違いない。
夕方、いそいそと三茶のケンタッキーに買い物に行く、かーたんを見送る。
帰ってきた。6ピース入りの箱に、ボックスポテト、コールスローに、フリスビー。
うちは夫婦そろって大食いである。
ケンタッキーでいい代わりにビールを飲むぞ、と宣言したら、かーたんは頬っぺたを膨らませていた。
ビールもケンタッキーも美味かった。
ビールの分、得したことになる。
ビールはリンデマンスのグラスで飲んだ。本来、ランビックのフランボワーズの甘い甘いベルギービールを注ぐグラスなのだが、今日はキリン一番搾りを注いだ。
夕食を食い終わったら、眠くなった。
8時から午前0時まで眠って、起き出して、このブログを書いている次第。
この日曜は、教会の礼拝の司会である。
牧会祈祷の原稿を書いて、司会の準備をしよう。

いつになく十二月の妻なまめかし   素閑