7/3(日)は、「羽地ダムと真喜屋の滝」「天仁屋のヒラタチへリバートレッキング」
の二つのコースに分かれて、ヤンバルの森に入りました。
羽地ダムと真喜屋の滝 ―川が見てきた歴史を辿る の報告をします。
ガイドは、名護市史の編纂に携わっていらっしゃる
フリーライターの浦島悦子さんにお願いしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c0/4a55d228eee1454452f43fee9d64214c.png)
羽地大川は、名護岳・多野岳を源流とし羽地内海に注ぐ川で、
上流域には19世紀後半~戦前、開墾集落があり、250世帯、1200人が
住んでいたそうです。
ダムの湖底に沈んだ大川分教場記念碑の前で。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/3b/e4b15bbba0f1bc8bbe56ab04dfdf10b4.png)
灌漑、そして上水道用水を沖縄本島全域に供給する目的で2005年に竣工。
発電施設はありません。オレンジ色の屋根が取水塔。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/cb/2b41075e250a707da7b67930623983b4.png)
ダムのそばにある羽地ダム資料館には、地域の文化・歴史がよくわかる展示がされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/b0/5fb37859b64dc6b4289b2bd8c1179df7.png)
以前は、沖縄島南部の村落には「村ガー」と呼ばれる湧水や井戸があり、
飲料水として使用していましたが、水質の悪化や使用しない事により
涸れてしまったりで、今はあまり使われなくなり、
北部のダムの水が送られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/12/ce07f00c35b793a76ae3fa8b766829ed.png)
ダムの湖面をのぞみながら、浦島さんからダム建設の経緯を聞きました。
復帰直後、沖縄開発庁による農業用ダム(全額国庫負担)の説明会があり、
これには住民が同意。その後多目的ダムへの計画変更があり、
水系7区住民が反対(10年に渡る調査の結果、ダムの弊害、自然破壊の
意見書を県議会に提出)。
その後、色々ないきさつを経て、国の総力をあげた反対運動切り崩しがはじまります。
「羽地大川流域の自然を守る会」が結成されるも、1988年に20年に渡る反対運動に
終止符が打たれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/48/3f2af8fe0281626537c3c2a4712f5837.png)
次は、多野岳の山向こうの真喜屋の滝の散策です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/b3/cb8d19dd74553de8fa9e82b07fe45fb4.png)
ヤンバルの森。
すばらしいお天気です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/38/05b89e319db54ce61d827e7929c2b224.png)
木生シダのヘゴが茂る山道をしばらく降りてゆくと、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/06/3ce2f6971f4e5e5d4d5171d3d6e103de.png)
こんなきれいな川が現れました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/35/2dd0aa680a4a1cd4d24cd072f382cf5f.png)
この川を歩いていきます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/e7/90e3b188595c9c6d675af4f73fccbd03.png)
川のそばに遊歩道があるので、そっちを歩くのも楽しい![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/2f/06216f3319b975484995e0961acc57cb.png)
真喜屋第1の滝に到着![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_s.gif)
第2、第3の滝もありますが、今回はここまで。
ここで滝を見ながらお弁当タイム![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_orange.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/5d/4ac037fa92e6201a9e3c2c817421b920.png)
帰りは遊歩道を歩きながら、浦島さんから「護郷隊(ごきょうたい)」の
お話を聞きました。
1945年米軍が上陸したとき、北部守備軍(国頭支隊)はわずか2500人足らず。
沖縄守備軍は、現地召集の防衛隊・学徒隊を含めて11万人。
米軍は54万人、艦船1500隻。国頭支隊は「捨て石」の「捨て石」。
そんな中、14歳以上の少年たちが、「志願」という形で
戦場に駆り出され、スパイとゲリラ活動をさせられました。
「護郷隊」とは、遊撃隊(ゲリラ隊)をカムフラージュするための
名前だったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/33/ecbdbbb7338019c67c715f99a09a3870.png)
こんな小さな穴に身を隠し、ゲリラ活動をした子どもたち。
隊長の命令で、自宅を含む故郷の家々を焼き打ちにした
真喜屋・稲嶺の少年たちもおり、そのことが、生き残った彼らの
心の傷として後々まで残ったとのことです。
この日、真喜屋の滝には多くの家族連れが訪れ、自然を堪能していました。
豊かな自然に包まれながら、二度と戦争で苦しむ人が現れないように、
平和を守っていかなければと、浦島さんのお話しが心に深く届いてきました。
ZAN
の二つのコースに分かれて、ヤンバルの森に入りました。
羽地ダムと真喜屋の滝 ―川が見てきた歴史を辿る の報告をします。
ガイドは、名護市史の編纂に携わっていらっしゃる
フリーライターの浦島悦子さんにお願いしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c0/4a55d228eee1454452f43fee9d64214c.png)
羽地大川は、名護岳・多野岳を源流とし羽地内海に注ぐ川で、
上流域には19世紀後半~戦前、開墾集落があり、250世帯、1200人が
住んでいたそうです。
ダムの湖底に沈んだ大川分教場記念碑の前で。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/3b/e4b15bbba0f1bc8bbe56ab04dfdf10b4.png)
灌漑、そして上水道用水を沖縄本島全域に供給する目的で2005年に竣工。
発電施設はありません。オレンジ色の屋根が取水塔。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/cb/2b41075e250a707da7b67930623983b4.png)
ダムのそばにある羽地ダム資料館には、地域の文化・歴史がよくわかる展示がされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/b0/5fb37859b64dc6b4289b2bd8c1179df7.png)
以前は、沖縄島南部の村落には「村ガー」と呼ばれる湧水や井戸があり、
飲料水として使用していましたが、水質の悪化や使用しない事により
涸れてしまったりで、今はあまり使われなくなり、
北部のダムの水が送られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/12/ce07f00c35b793a76ae3fa8b766829ed.png)
ダムの湖面をのぞみながら、浦島さんからダム建設の経緯を聞きました。
復帰直後、沖縄開発庁による農業用ダム(全額国庫負担)の説明会があり、
これには住民が同意。その後多目的ダムへの計画変更があり、
水系7区住民が反対(10年に渡る調査の結果、ダムの弊害、自然破壊の
意見書を県議会に提出)。
その後、色々ないきさつを経て、国の総力をあげた反対運動切り崩しがはじまります。
「羽地大川流域の自然を守る会」が結成されるも、1988年に20年に渡る反対運動に
終止符が打たれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/48/3f2af8fe0281626537c3c2a4712f5837.png)
次は、多野岳の山向こうの真喜屋の滝の散策です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/b3/cb8d19dd74553de8fa9e82b07fe45fb4.png)
ヤンバルの森。
すばらしいお天気です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/38/05b89e319db54ce61d827e7929c2b224.png)
木生シダのヘゴが茂る山道をしばらく降りてゆくと、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/06/3ce2f6971f4e5e5d4d5171d3d6e103de.png)
こんなきれいな川が現れました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/35/2dd0aa680a4a1cd4d24cd072f382cf5f.png)
この川を歩いていきます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/e7/90e3b188595c9c6d675af4f73fccbd03.png)
川のそばに遊歩道があるので、そっちを歩くのも楽しい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/2f/06216f3319b975484995e0961acc57cb.png)
真喜屋第1の滝に到着
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_s.gif)
第2、第3の滝もありますが、今回はここまで。
ここで滝を見ながらお弁当タイム
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_orange.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/5d/4ac037fa92e6201a9e3c2c817421b920.png)
帰りは遊歩道を歩きながら、浦島さんから「護郷隊(ごきょうたい)」の
お話を聞きました。
1945年米軍が上陸したとき、北部守備軍(国頭支隊)はわずか2500人足らず。
沖縄守備軍は、現地召集の防衛隊・学徒隊を含めて11万人。
米軍は54万人、艦船1500隻。国頭支隊は「捨て石」の「捨て石」。
そんな中、14歳以上の少年たちが、「志願」という形で
戦場に駆り出され、スパイとゲリラ活動をさせられました。
「護郷隊」とは、遊撃隊(ゲリラ隊)をカムフラージュするための
名前だったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/33/ecbdbbb7338019c67c715f99a09a3870.png)
こんな小さな穴に身を隠し、ゲリラ活動をした子どもたち。
隊長の命令で、自宅を含む故郷の家々を焼き打ちにした
真喜屋・稲嶺の少年たちもおり、そのことが、生き残った彼らの
心の傷として後々まで残ったとのことです。
この日、真喜屋の滝には多くの家族連れが訪れ、自然を堪能していました。
豊かな自然に包まれながら、二度と戦争で苦しむ人が現れないように、
平和を守っていかなければと、浦島さんのお話しが心に深く届いてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_en.gif)