ジュゴン掲示板

ジュゴン保護キャンペーンセンター(SDCC)は日本では沖縄にのみ生息しているジュゴンを守るために活動をしています。

第15回じゅごんの里ツアー 番外編~佐喜眞美術館と対馬丸記念館に行きました

2024年12月07日 | ジュゴンブログ
じゅごんの里ツアーの報告の続きです

じゅごんの里ツアー前後に佐喜眞美術館と対馬丸記念館に行きました
世界中が混乱しているような今、沖縄戦から何度も学び平和を想いたいと


佐喜眞美術館は、宜野湾市の真ん中を広く占領している米軍普天間基地のフェンスに隣接した一角に静かにあります

「沖縄の植物たちは暴風の中で枝葉ををひきちぎられながらも豊かな自然の中で、たくましく根太く成長していきます。
 私は激しい地上戦で傷ついた後も、巨大な米軍基地が居すわったこの地に人々が静かにーもの想う場ーを作りたいと考えました。
『芸術の力』をかりるならばそうした場ができるのではないだろうかと思ったのです。
 私はこの美術館が皆様の「心の緑陰」となることを願っています」パンフにある佐喜眞道夫館長のごあいさつより

ガマを模したという展示室の奥に「沖縄戦の図」(1984年 4×8.5m)が常設展示されています
力強く見る者に迫ってくるような絵です
丸木衣里・俊さんは「原爆の図」を描いた後、沖縄戦の地上戦の体験から学ぶ必要があると考え
沖縄の地で、体験者の証言を聴き、モデルになってもらい「沖縄戦の図」14部の連作を描き上げられました
(パンフより抜粋)


「沖縄戦の図」には、米軍の艦隊、集団強制死、ガマ、戦場を逃げ惑う住民、スパイ容疑の虐殺、、、
沖縄戦の実相が凝縮されています。真ん中の少年はこちらをじっと見つめています
見つめられている私たち、心がざわつき、ぎゅっと締めつけられるようです


屋上から普天間基地を見ていました

騒音を立てて、米軍ヘリが飛び立ちました。民間地の上を飛んで行きます
戦後80年になろうというのに、米軍に占領されたままの状況です
今また、日本は軍事化を進めています
館長さんは言いました「今こそ『命どぅ宝』だよ」と


対馬丸記念館
「対馬丸が撃沈された事件とは 乗船、撃沈…そして
昭和19年(1944年)、戦争の足音が徐々に近づいてくると、老、幼、婦女子は県外へ疎開するよう指示されました
対馬丸は学童集団疎開の子どもたちをたくさん乗せて8月21日に那覇港を出発します
しかし、海はすでに戦場でした。対馬丸は翌22日夜10時過ぎ、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃により
海に沈められてしまいます。乗船者1788名(船員・兵員含む)のうち約8割の人々が海底へと消えてしまいました。」
パンフより

対馬丸事件は多くのことを教えてくれるのではないでしょうか
今、沖縄の島々では軍事化が押し付けられています
自衛隊配備、ミサイル基地、弾薬庫の建設などが強行され、米軍と一体の軍事訓練が行われています

もしも、有事が起こったら住民はいったいどうなるのでしょう
避難計画が作られれようとしていますが、役に立つのでしょうか
対馬丸事件の教訓を知らなければなりません
有事は起こしてはならない
戦争を始めてはならない
沖縄戦は「軍隊は住民を守らなかった」と教えています


海の底から子どもたちの声が聴こえてきませんか
ガザの子どもたちの声が聴こえてくるようです



機会があれば、ぜひ訪れてほしい場所です






最新の画像もっと見る

コメントを投稿