写真家Gregory Crewdsonの展覧会を鑑賞。
オリジナルを見るのは初めての事である。大抵は雑誌やカタログで見るわけだから、かなり縮小されたものを見ているわけだ。
大きければそれなりのインパクトがある。
彼の作品はほぼ全てが映画の一コマのような作りであり、大掛かりな演出がなされている。製作風景を取ったヴィデオも会場で見る事が出来たのだが、まるで映画の撮影現場のようで、一体どれだけの制作費がかかるものかなあ、と入らぬ心配をしてしまうのは小市民の悲しさ。
アメリカの平凡で一見平和そうに見える中流階級市民の生活の中に潜む”ねじれ""ゆがみ”を描く場面が続く。
それぞれの場面は単独に、唐突に始まり終わりは描かれないので、我々見ているものは、話しかけられたまま放り出され、話の結末を求めて画面の隅々まで視線を這わせ、解決の糸口を探すはめに陥るのだ。話の結末は鑑賞者達に委託されている。
こうした演出された場面を撮る写真作家は多いけれども、これだけ大掛かりで、又知名度のある俳優を主人公に使っているので話題性は高いだろうね。
シンディ・シャーマンやジェフ・ウォールなどもそうだけれど、ストーリー性の高いこれらの作品は「ワン・フレーム・ムーヴィー」なのだ。
彼の作品としては古い小品のなかにテーブルの上の"物”を写した写真があって、それは何故か私をホッとさせた。
面白い作品だとは思うし、興味深かったが、大掛かりな演出の大作は私の手もとにおいておきたい作品では無かった。
オリジナルを見るのは初めての事である。大抵は雑誌やカタログで見るわけだから、かなり縮小されたものを見ているわけだ。
大きければそれなりのインパクトがある。
彼の作品はほぼ全てが映画の一コマのような作りであり、大掛かりな演出がなされている。製作風景を取ったヴィデオも会場で見る事が出来たのだが、まるで映画の撮影現場のようで、一体どれだけの制作費がかかるものかなあ、と入らぬ心配をしてしまうのは小市民の悲しさ。
アメリカの平凡で一見平和そうに見える中流階級市民の生活の中に潜む”ねじれ""ゆがみ”を描く場面が続く。
それぞれの場面は単独に、唐突に始まり終わりは描かれないので、我々見ているものは、話しかけられたまま放り出され、話の結末を求めて画面の隅々まで視線を這わせ、解決の糸口を探すはめに陥るのだ。話の結末は鑑賞者達に委託されている。
こうした演出された場面を撮る写真作家は多いけれども、これだけ大掛かりで、又知名度のある俳優を主人公に使っているので話題性は高いだろうね。
シンディ・シャーマンやジェフ・ウォールなどもそうだけれど、ストーリー性の高いこれらの作品は「ワン・フレーム・ムーヴィー」なのだ。
彼の作品としては古い小品のなかにテーブルの上の"物”を写した写真があって、それは何故か私をホッとさせた。
面白い作品だとは思うし、興味深かったが、大掛かりな演出の大作は私の手もとにおいておきたい作品では無かった。