散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

文明の利器

2006-04-20 09:24:19 | 思考錯誤
最近携帯電話を買った。
最も私はモバイルを滅多に活用しない。もっぱらショートメイルと"受け”専門となっている。しかし、たまにとても必要な事態も出て来るのだ。モバイルが普及浸透しつつある今日この頃、電話ボックスは減っているし壊れている事も多くて、田舎を歩いていたら泣きたいくらい電話が見つからない。
実は今まで譲り受けた古いモバイルを持っていたが、大きくて重たいし、バッテリーもイカレテいて、半日で電話の息の根が止まるのだ。こんな所で息を引き取らないで欲しい!と撫でさすって祈っても無駄だ。畑の真ん中では電源もなく、トボトボと公衆電話を求めてさすらう事になってしまう事もあった。
他の日はいつも充電用コードをつなぎっ放しで自宅の電話の脇に転がっている"それ”は携帯電話とは言えない。
。。。という事でこの際新しい電話の購入に踏み切った。
私は前述したとおり殆どモバイルを使わないのでプリペイドを使っている。割高だとは言え、使わない時は本当に使わないのでプリペイドの方が私には具合が良い。
こうして生活の中に不必要なものたちが増えて行く。不必要な物の筈が、段々に生活に組み込まれて無いと困るような"気”にさせられて行く。今私はコンピューター無しの生活は考えられない"気”がするくらいになっている。いや実際無くなったら困る。
良く考えると恐い。
文明の利器を手に入れて色々な事が簡単に快適に出来るようになって、節約された時間が残ってゆく筈なのに、そこから派生してくる様々な事柄にどんどん時間を喰い千切られているんだよね。便利さを求めて時間を失う。
そうかといって私は文明の利器に背を向けるわけでは無い。各分野テクノロジーの進展に対していつも興味深々だ。

新しい物といえば、最近スカイプというものを利用し始めた。
これだとドイツ国内はもとより、気軽に日本の友人たちとも話が出来る。
今回は6月下旬の2人展に向けての準備の為の打ち合わせなどにも役立ってもいるし、声の聞こえもまずまず良好。なんだか新しいおもちゃを貰った子供のように喜んでいる。オペレーターのようにヘッドセットをつけて作業しながら電話が出来るなんて、空想はしていても10年前の私には現実味が無かったことだと思う。
(しかしブルートゥースのヘッドセットにしておけばよかったなあ、今はケーブルに繋がっているので、毎回使うたびに棒に短い紐で繋がれている犬のイメージが離れないんだよね。)
これに関しては又、電話代を気にしながら喋る必要が無いという利点もあるから更にありがたい。

テクノロジーは人間の歩く速度よりも断然早く前進している、ある意味では一人歩きを始めているように見える。

それにしてもこれから数年後にはどんな物が私の身の回りに組込まれているのだろう?

どんな風に私は生きているのだろうね?



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