私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

静寂は皆のものだ

2011年09月24日 21時41分06秒 | Weblog
今の私にとってのキーワード、それは「音」です。

うるさいうるさい、イヤだイヤだ。

そんなことを言いながら生活しています。

静かな暮らしに憧れながら日々を過ごしています。


なんて言っていいのかわかりませんが、「音」は公共物だと思います。

みんなのものです。

音が鳴っているとき、その音はみんなのものです。

みんなが聴いてるその音を阻害するのは罪な行為です。

例えば映画館で鳴る携帯電話の着信音など。

この点は世間的にもそれなりに浸透しています。

ただ、問題はその逆の場合です。

音が存在しないとき、その静寂もやはりみんなのものです。

その静寂を阻害することも、同じだけ(個人的にはそれ以上に)罪深い行為なのです。

しかし世間的には、そちらは如何せん、ないがしろにされがちです。

いったい世間のどれくらいの人が「音を立てる」という行為に気を咎めているのでしょうか。

たとえ音を立てないようにしていたとしても、それは音を立てることで自分に注目を集めたくない、恥ずかしいから、みたいなことだったりしませんか。

そんな理由ではいけません。

そんな「自分のため」の理由ではダメです。

静寂はみんなのものだから、でないといけません。

誰かの大切な静寂を邪魔したかもしれない、しているかもしれない。

そのことに気が回るかどうか。

そのことを申し訳なく思えるかどうか。

そういった人が今の世の中に少なすぎやしませんか。

小学校の授業でそういうことを教えていくべきです。



もし今あなたのいる場所が静寂に包まれているならば、それはあなただけの静寂ではありません。