何度か走ったことのあるK183の地図を見ていて、天皇陵があるのを見過ごしていた。
R24-木津-K47-いつもの岩船寺に立ち寄る。 例によって漬物類を購入。 梅干はおまけに貰ったw
K47を南下、R369をクロス、K47とK80の重複区間から西に分岐するK183。
少し西へ行くと、光仁天皇陵。 奈良時代後期の第49代天皇。 天智天皇の孫・桓武天皇の父。 即位前は白壁王と称する。
県道から、参道が真っ直ぐに伸びている。 周囲は田畑。
小じんまりとした、端整な円丘陵である。
K183を西へ、太安麻侶(おおのやすまろ)の墓。 奈良時代の文官で、「古事記」の編纂者だとか。
看板を見出し画像と同じエリアでトリミング。
墓への道は、K183より茶畑の中を直登する。 画像ではわかり難いが、斜度は30度以上ある。
上からみるとこんな感じ。 YBR号の右にあるのは公衆トイレ。
息を切らせて登った先に、太安麻侶の墓。
墓の後ろには八重桜かな? きれいに咲いていた。
墓所から見る風景。 長閑である。
天智天皇の第7皇子(志貴皇子 しきのみこ)であり、光仁天皇の父。
飛鳥末期から奈良時代初期にかけての皇族。 皇位とは無縁で、歌人であり、万葉集にも6首の和歌を残す。
石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
神なびの 石瀬の杜の ほととぎす 毛無の岡に いつか来鳴かむ
大原の このいち柴の いつしかと 我が思ふ妹に 今夜逢へるかも
むささびは 木末求むと あしひきの 山の猟師に 逢ひにけるかも
采女の 袖ふきかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く
葦辺ゆく 鴨の羽交(はがひ)に 霜降りて 寒き夕へは 大和し思ほゆ
薨去後に息子(第49代光仁天皇)が即位し、春日宮天皇の追尊を受ける。 なので、歴代天皇にはカウントされていない。
かすがのみやてんのう たはらのにしのみささぎ。 K80からの参道は低い石垣の間を行く。
先述の光仁天皇陵の参道にも、短いながら石垣があった。
光仁天皇陵と造りは同じく、端整な陵である。
小規模な陵だが、おっさん的には好印象。
帰途にF5とF62の白栖交差点で見つけた花がきれいだった。
本日の走行約150km。 帰宅後にドライブチェーンの清掃・張り調整と給油を済ませる。