近くにありながら未訪問の天智天皇陵へ。
飛鳥時代の第38代天皇 天智天皇 山科陵(てんぢてんのう やましなのみささぎ)。
今初めて知ったのだが、宮内庁HPによると天智天皇の読みは「てんちてんのう」ではなく「てんぢてんのう」らしい。
言うまでもなく歴史的には中大兄皇子として知られる。 蘇我入鹿暗殺や白村江の戦いでの敗戦で有名。
三条通からの参道は500mくらい続く。
陵内は良く整備されているようだ。 陵形は上円下方墳。
撮影してると、正面に鹿が現れた。
まだ仔鹿のようだ。
天智天皇と言えば、小倉百人一首のトップバッター。
~ 秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ ~
余談になるが、西京区御陵に「天皇の杜古墳」がある。 前方後円墳。
山科の「御陵」は「みささぎ」だが、こちらは「ごりょう」と読む。
平安時代の第55代 文徳天皇の陵との説があるが、宮内庁の管轄ではない。
宮内庁治定の文徳天皇陵は右京区太秦にある田邑陵だが、造りが古墳時代のものなので疑問視されている。
2019年11月6日に記事に書いた弘文天皇陵も、住所は大津市御陵町である。 読み方は「ごりょうちょう」。
昼からは茨木市の継体天皇陵へ。 古墳時代の第26代天皇。
継体天皇 三島藍野陵(けいたいてんのう みしまのあいののみささぎ)。
前方後円墳で、周濠がある。
継体天皇が現在の皇室までつながる天皇系統の始まりとする説があるそうだ。
継体天皇陵から東北東へ約1.3kmのところに今城塚古墳がある。
こちらも宮内庁治定ではないが、真の継体天皇陵である説が有力視されている。 前方後円墳。
外周部のみならず墳丘部まで公園として整備されている。 小学生の団体が墳丘に登っていった。
今城塚古代歴史館が併設されている。 入場無料・写真撮影可。
発掘品が多数展示されている。
今城塚古墳は高槻市にあり、国の史跡に指定されている。