R24-京奈和道の城陽IC。 城陽IC-田辺北IC間は木津川を渡る。 近くに橋が無いので、この区間に限り、過去には原付も自動車専用道路を通行できた。
料金は普通車100円なので、通称「100円橋」と称した。 原付は10円。
新名神の建設で城陽ICの付け替えに伴い、2月から原付の本線通行が不可になったので、側道を設けて通行できるようになったので、走ってみた。
新木津川へのアプローチ。 歩行者・自転車・バイクの通行区分がある。
橋を京田辺側へ渡るが、料金所が無い。 見逃した覚えもないが。
Uターンしてもう一度渡ってみると、料金所?があった。 無人である。
往路は料金を払ってないので、料金箱に20円を投入して往復したw 撮影中に見ていたが、原付も自転車も大人は律儀に10円払っていた。
学生や若者はスルーパスする者が多かった。 10円くらいちゃんと払え!
R307を西進、交野市からR168-R163清滝TN-R170旧道を南下、箱殿交差点からR308を東進、近鉄奈良線を跨ぐといよいよ暗峠へ差し掛かる。
いきなり急勾配が出現。日蓮宗の寺院前。 ここら辺は1速から2速で通過。
民家の前も勾配が続く。
ここからはさらに急勾配。 1速走行でなければ登れない。 YBR号はあえぎつつ登坂。
このあたりが最急勾配なのかな? ネット検索情報によれば、最大31%・角度換算17度の勾配。
四輪車のブレーキング跡が生々しい。 でも、狭い峠道でこれくらいの坂はおっさんは過去に何度も経験してる。 国道ゆえに有名になったようだ。
峠のピークは石畳の道。
江戸時代は暗越奈良街道・参勤交代や伊勢参りの要衝路だったそうだ。 なんでこんな峠が、という感がするが。
反対側から。
峠の茶屋があるが、商魂逞しく、入る気にはならない。 峠の石碑。
安政六年の干支は己未(つちのとひつじ)なので合ってる。 江戸時代末期の安政年間と言えば、1858-59年の安政の大獄。
井伊直弼が開国を強固に推し進め、反対者を弾圧。 首領格の吉田松陰は断罪。 翌1860年、桜田門外の変で井伊直弼は暗殺された。
右側は従是北 鬼取山元薬師十二丁。 左は大阪 伏見屋 以下判読不能。 もう一面は見るのを忘れた。w
峠のピークの頭上には信貴生駒スカイラインがあるが、ここからはアクセスできない。 そもそも二輪車は通行禁止である。 過去に二輪の事故が多発したのであろう。
スカイラインをくぐって、しばらく急勾配を下る。 1速でもエンジンブレーキが利きづらく、加速してしまう。 フロントブレーキがフェード・ベーパーロックしそうなくらいだった。
奈良県側の下りもかなりの急勾配だが、先程の登りと比較したら緩く感じるほど。 大阪府側への下り方面へは走りたくない。
生駒の街を見下ろす。
牧歌的な景色を眺めつつ走る。
生駒市内を横断、今月12日に走ったR308の東側を再度走ってR24で奈良市内に出る。
走行距離約160km、6時間ほど費やし、酷道308号・暗峠の走破ツーリングであった。
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