社会空間研究所 建築・まちづくり通信

社会空間研究所の所員が建築・まちづくりに関する情報等を気ままに綴ったブログです。
2007年6月からスタートしました。

久しぶりのまち歩き(大塚・西ヶ原・上野~京橋):その1

2017-01-15 10:45:19 | まち歩き(東京)

■1/14(土) 数年に一度の強い寒気の中、久しぶりのまち歩き

山手線大塚駅に下車。

ところで、知ってました?

山手線って池袋から大塚間はほぼ90度方向が変わるって。

地図もスマホを持っていないので行き当たりばったりのまち歩き。

北口を出て、都立文京高校の先まで歩く。

この通り(商店街)は、駅から500m前後であるが、建替えられず古い建物が並んでいる。

改めて地図をみると、この沿道の裏側の市街地は未接道の宅地や狭幅員道路が多い。

▽ここでお昼を食べました。味噌ラーメン。この手の大衆食堂はそそられます。

歩いていたら、近所で働いている風の人たちがグループで入っていったので、吸い込まれました。

味噌ラーメンで冷えた体があったまりました。

▽ここはうなぎ屋さん(やはりこんな感じの建物が多い)

▽うなぎ屋さんの向かいにある古い建物をリノベーションしたカフェ?『都電テーブル』ネーミングもいいですね。

都電に乗って西ヶ原4丁目へ。

このあたりも木造密集市街地である。

以前、東京外語大学があったところで、跡地が防災公園、老人ホーム、集合住宅等になっている。

かつて海軍の下瀬火薬製造所があった。

火薬工場は明治32年に建設され、所長に就任した下瀬雅允(しもせまさちか)に因んで下瀬火薬製造所と称されたらしい。

大正3年に同所は廃止され、跡地は海軍爆薬部の火薬庫として暫く使用されたが、これも昭和初期に移転し、

昭和15年に東京外国語学校が移転して、以後平成12年に府中に移転するまで学校用地として使われた。

周辺の環境を考えると、なんでこの地に外大が移ったかは?ちょっと興味ありますね。

都電の開通は明治44年。これを契機に周辺の市街化が進んだようです。

特に、関東大震災後の都心部からの人口流入で宅地化が急速に進展。

昭和20年の大空襲で壊滅的な被害を受けたが戦後も計画的な基盤整備がおこなわれないまま市街化が進行。

▽跡地にできた防災公園と集合住宅

 

▽周辺の住宅地と商店街

 

この商店街を抜けて、都電「滝野川1丁目」駅に出た。なかなか電車が来ず、寒くて震えました。

このあと、京浜東北線王子駅に出て上野へ。

三ノ輪まで行こうと一瞬思ったが電車があまりにも込んでたのでこの日は断念。

コメント
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