青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

愚かさの美学  (番外編 4)

2008年10月01日 | 人生設計

国会で、新首相の所信表明演説が行われた。
この中継やニュースは、孫などにテレビを取られてしまったりしていたので見なかったけれど、翌日の新聞記事でゆっくり見たが、それにしてもこの演説の内容の「愚かさの美学」的なのには、これからこういう首相に国の進路を任せる事になったのかと思うと、やりきれなくなる思いがしてしまう。
それは言ってみれば、二つある。

一つは「教養の無い幼稚さ」にある。
「所信表明」は、政策の提示であるはずである。その政策の提示を示した上で、更によりよき政策となるように検討して欲しいとすべき事が、本来の所信表明であったはずである。
しかしこの「所信表明」では、具体的内容には言及していないし、むしろ避けている感がある。
そしてその一方では、相手に対して「対案を示せ」といっている。相手に対して「所信表明せよ」というに等しいし、喧嘩腰になっている。これでは、どちらが首相なのか、判らなくなる。
政とは、「治め、平定」する事なのに、これでは社会を乱し、混乱させるだけである。
そういう「教養の無い幼稚」さがある。

二つ目は、哲学性の無さにある。
相手に「対案を示せ」と言ったりするように、近頃の政治は押し付けるような政策が多くなっている。それで「不平や不服」があったなら、「対案を示せ」と、こうなる。
社会を構成するのは、自分と似通っているとか、自分に都合がいいとか、そういう人達ばかりではない。種種雑多な、老若男女に賢いものもものも劣るものも、富める者も貧しい者も、一緒になって生活している。
それは例えてみれば、皆でピクニックするようなものだ。
しかし若く健康で賢いものに合わせて行こうとすると、この集団はまとまって移動する事はできない。弱者は、必ず置いてきぼりにされてしまうからである。
この集団がまとまって移動するには、弱者に歩調を合わせなどして移動する事が望ましい。
それと同様に、政を行うにも、何事も「優位、評価、数値」からではなく、底辺からの判断や施策をして弱者の立場に立ち、視点に立ち、目線に立たないことには、必ず社会は乱れ混乱を招く事になる。非正規雇用や後期高齢医療や教育、医療制度のように。
それは「愚かさの美学」ばかり目指していたからだ、と言える。

新首相の「所信表明演説」は、全くといっていい程の「愚かさの美学」である。

今日現在、米国を発信源に「サムプライスローン」に関わる金融危機が、恐慌状態になってきたといわれる。
だがそれは、金持ちの話で、我々貧乏人の、その日暮のものには関係ないし、「痛くもかゆく」も無い。
何せ「愚かさの美学」どころではなく、その日暮に一生懸命なんだから・・・・。

コメント
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