今日私達は、物価高騰や食糧危機、環境破壊に金融、経済危機と、種種雑多な問題に直面している。経済や金融は、恐慌状態にも、陥ろうとしている。
この原因については、その道の専門家などが色々分析して述べていて、私のような素人があれこれ言っても始まらないだろうが、次のような事は、誰も一言も言っていないのが気にかかる。
私達が、私達として生きていくということは、それは「受身」の姿勢になっている。「受動性」である。相対するものに「依存」していかなければ、生きてはいけない、そういえる存在である。
しかしこうした「受身であり、受動性であり、依存的な」身ではあるけれども、出来る限りの「自存的」に、「自立的、自主的」になっていかなければならない。それは「能動的」になっても、行かなければならず、即ち「生産的、成育的」にならなければならない。
ところが、今日の私達は、手を汚すような「生産的、成育的」な事は避けて、楽をして金さへ出せば手に入る「受身であり、受動性であり、依存的な」生活習慣が身に着いてしまっている。
生産したものでも買い手が無ければならないと依存し、消費者としても、生産者がいない事にはと依存し、生産者も消費者も無い訳で、そうして依存すると、依存しすぎる態度に対して逆襲を喰らってしまう事になる。
それが今日、私達が迎えている、難問題だといえる。
断っておくが、「手を汚すような「生産的、成育的」」というのは技術系の事ではなく、農林漁業の事で、他のものでは「受動性と能動性」を均衛化させることは出来ない。
今は「人や物や金」に依存したり頼れば逆襲にあうと知り、そういうことは止めて「自給自足」を心がける事が、この難局を乗り越える心になるかもしれない。
この原因については、その道の専門家などが色々分析して述べていて、私のような素人があれこれ言っても始まらないだろうが、次のような事は、誰も一言も言っていないのが気にかかる。
私達が、私達として生きていくということは、それは「受身」の姿勢になっている。「受動性」である。相対するものに「依存」していかなければ、生きてはいけない、そういえる存在である。
しかしこうした「受身であり、受動性であり、依存的な」身ではあるけれども、出来る限りの「自存的」に、「自立的、自主的」になっていかなければならない。それは「能動的」になっても、行かなければならず、即ち「生産的、成育的」にならなければならない。
ところが、今日の私達は、手を汚すような「生産的、成育的」な事は避けて、楽をして金さへ出せば手に入る「受身であり、受動性であり、依存的な」生活習慣が身に着いてしまっている。
生産したものでも買い手が無ければならないと依存し、消費者としても、生産者がいない事にはと依存し、生産者も消費者も無い訳で、そうして依存すると、依存しすぎる態度に対して逆襲を喰らってしまう事になる。
それが今日、私達が迎えている、難問題だといえる。
断っておくが、「手を汚すような「生産的、成育的」」というのは技術系の事ではなく、農林漁業の事で、他のものでは「受動性と能動性」を均衛化させることは出来ない。
今は「人や物や金」に依存したり頼れば逆襲にあうと知り、そういうことは止めて「自給自足」を心がける事が、この難局を乗り越える心になるかもしれない。