青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

愚かさの美学 (番外編 6)

2008年10月05日 | 人生設計
私達は、誰しもが「幸せになりたい」と思い、願う。
その事は健康とも密接に関連を持っていて、「健康でありたい」という願いでも、思いでもある。
しかし、この世はままならない。

私はもう一月ちょっとで満四歳になろうとする時、地震に見舞われて倒壊した家屋の下敷きになって助け出されたが、背骨が曲がりくねってしまった。そのため色んな障害があったが、鈍いためか気にしていなかった。
老人と呼ばれるようになった今日、この半生を振り返ってみて、「健康であるという事」とはどういうことであるかというと、こういうことだと思う。

全てにおいて、人は「健康である」ということは無い。生まれながらに何らかの障害や病気をもっいるとか、途中で病気や事故で障害者になるものである。
そうした中で「健康である」という事は、こうした「病気や障害」と共に「健康に生きる」ということが、健康な事といえると思う。

人には「長所と短所」、「優れた面と欠点」がある。誰しも、この二つの面を併せ持っている。
だからといって、他人と自分とを比べるのは、惨めである。寂しい。そしてそれが元で「いじめや中傷」などになっていったりもする。
だが「自分の欠点、短所」をそのままま認めて受け入れ、そのままに人として生きていこうとするなら、それは健康な生き方になってくる。
先日の報道では、何とかのタレントが六百万円かけて全身美容整形したとして、テレビで誇らしげに出演していたが、この人は整形前の自分と今の自分とを、比べているからなのだろう。それで「健康」だと思っているようだ。これは「愚かさの美学」みたいなものである。

「短所や欠点」を見据える事も無く、「長所や優れた面」を誇示したり、「短所や欠点」ばかりに目を向けるのは、「愚かさの美学」である。
「短所や欠点」をよく見詰め、それをそのままに素直に受け入れ、そのままにそれを生かしていくことが、かえって「短所や欠点」は長所にもなり武器にもなる。
人と比べれば、「惨めにも寂しく」もなるだろう。しかし病気や障害を持って生きるという事が、自分にとって何よりも「尊い生き方」と知るならば、この病気や障害を持った事が誇りにもなる。
それが「愚かさの美学」から脱して、「健康に生きる」という秘訣になるだろう。
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