青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

見捨てられる地上

2009年02月27日 | 人生設計
先日のニュースに、


日本人飛行士候補、新たに2人=10年ぶり、ISS長期滞在へ-宇宙機構


という記事が出ていた。
ところが一方では、私の家で取っている地方紙の新聞のコラムには、次のような記事が掲載されている。

 親を亡くした子どもたちを支援する「あしなが育英会」から毎月広報紙が届く。生活は苦しくとも希望を持って頑張る家族が紹介され、逆に元気をもらうこともある▼ところが今月号には、母親と子の苦悩や不安の言葉があふれている。「病院行かず働きづめ」「食費は4人で1日300円」「進学の夢あきらめた」「暖房なし、厚着で寝ます」

こうした「親を亡くした子供達」ばかりでなく、今日現在は、派遣きりされたりして解雇されて、住居も追い出されている人々、老老介護など「介護疲れ」にあっている人々、救急搬送受付拒否にあっている人々などがいる。
こういう悲惨な目にあっている人々を尻目に、なぜ多額の費用を使って宇宙に目を向けなければならないのだろう。
たった二人の宇宙飛行士を、宇宙へ行かせる費用が地上で使われるなら、どんなにか潤う。
こうした地上の現実を見捨てて、「宇宙へ、宇宙へ」というのだろうか。

そして又、今回話題になっているアカデミー賞に選ばれた「おくりびと」という作品。
私は映画とかドラマは、好きではない。何故かというとそれらは全て「捏造、偽装、演技」されたもので、自分自身の人生の現実性を持たないからである。
だからこうした「映画やドラマ」などを見ようとすると、その登場人物に、自分を当てはめがちになりそうで、そうした事に「自分を偽る」思いがしてしまうからである。
誰も自分と変わってはくれないし、どんなに可愛く愛しい人が苦しんでいても、変わってやれないのだから・・・・。

「おくりびと」という作品も、納棺師という職業の人生観を描いたものではあるにしても、又それは「死生観」と向き合うということであり、そこから今の私達の「生」を見詰めるものであるにしても、「現世観」というものに立った上での「人生観や死生観」に立ってはいない。

この「現世観に立っての・・・」というのは、例えば「障害者」や「障害者を介護する」家族などの立場に立っていないことをいう。
あるいは先にも述べたような、「親を亡くした子供達」とか、「職を失った人たち」などの立場にないから、こうした作品を制作したり鑑賞していられる。

これは丁度、現実の「地上を見捨てた」と同様なものである。
今の私達は、宇宙や文化ということよりも、「足元」という基礎を何とかする事に、心を砕かなければならないだろう。
政治でも、国債などの借金を、次代に先送りする事ばかりしている。
「宇宙、宇宙」といっても、昨年末だったか、米ロの衛星が宇宙空間で衝突して宇宙ゴミを撒き散らした。「宇宙競争時代」とは、宇宙空間をゴミだらけにするということなのだが、「宇宙」までも「見捨てる」ということになりかねない。

コメント
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