青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

短歌 155.

2010年10月03日 | 短歌に政治や社会
供述対立、「隠避」立証に高い壁…最高検は自信(読売新聞) - goo ニュース


★ 俺様と 譲り合えない 哀しさよ
     常に角立つ 人の世の中     2010/10/3

              業深き、人間というものの哀れさ・・・・・・・
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青い鳥の「平和論」

2010年10月03日 | 人生設計
ここでは、「平和論」を語ることにしよう。
「平和論」とは、別には「平安論」とも言えるし、また「安定論」とも「和平、和睦論」などとも言えるだろう。

我々は、誰もが「幸福、幸せになりたい」という思い、願いを持つ。
この「幸福、幸せになりたい」とい思いと願いとは、「気持ちよく過ごされるかどうか」と言う事に極められると言っていいだろう。そしてこの「気持ちよく過ごせるかどうか」と言う事は自分だけでなく他の人たちも同じなのだから、当然なこととして背せくり合う事になる。
この背せくり合うという事は、他のものを押しのけて「俺が、私が、自分が…」ということとなって競い合ってしまう。その結果として、争い事がおこることになる。

「平和論」においては、この「幸福、幸せになりたい」という思いをお互いが持っていることを認めた上で、「人の幸福、幸せを先」にしてやり、自分を後回しにするという事により成り立たせようとするものである。
一般的に「親が子を思い」という形になるが、しかしこの形は「甘やかし、親ばか」といった自分の見栄のような勝手な方向に向かったものになってしまいがちになる。これは却って「親や人を頼る」ようにさせることになる。
だが本当に「親として子を思う」というものなら、「親や人を頼らない」ようにさせていくことが、本人にとって「幸福、幸せ」になるための針路になり、それが親にとっても「幸福、幸せ」を招くものとなってくる。

こうした事は「夫婦、世間、国家」関係においても云え、我々が真に「幸福、幸せになりたい」という思いと願いを持つならば、「自分が先に幸福、幸せ」になろうとする前に、「他のものを先に幸福に、幸せに」して上げようとすることから、平和も平安も訪れることとなる。
この時に、自分自身も「幸福、幸せ」になる。


コメント (1)
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