小沢前民主党幹事長の政治資金管理団体には、出所不明の4億円がある。
これを引き出して、除雪費用の不足分に充てなさい。
小沢前民主党幹事長の口癖である「国民のため」に使うのだから、文句は言わないだろう。
親鸞聖人は、
「地獄は一生の住処ぞかし」
徳川家康は、
「人の一生は、重き荷を背負いて、遠き道のりを行くがごとし」
と述べている。
我々は普通、人間として生まれたからには「楽しまなくては」とか、「楽をして過ごすようにならなければ」とかを目標にする。
しかし我々は、「衣食住」の糧を得なければなせらない。
「衣食住」の糧だけでなく、家族の存在があり、この家族に対しての役割も担う。
我々人間は、こうした事を「金銭」によって賄おうとしている。
しかしながら、単なる流通価値しかない「金銭貨幣」にすがる時、それによって人生そのものに背負わされている命題が成し得るかというと、成し得る事は無い。
できるのは、「逃れる、逃げる」というやり方でしかなくなる。
親鸞聖人や徳川家康は、人間は本質的に「苦」や「悲」から逃れられないものと受け止めることから、そこに人間としての始まりがある事を証している。
即ち、「苦しみや悲しみが当たり前」と、自身自らをその世界に生かすことに専念させる。
「苦しさに耐え、悲しさに耐え」入る事が当然のこととなし、「楽しむ事、楽をする事」を仮法の事となしている。仮法のものは、必ず崩壊する事を、知る。
極楽への道は、この「苦しさに耐え、悲しさに耐え」て行く中で、実りを実らせる恵みである。
この恵みは、しっかりと「苦しさに耐え、悲しさに耐え」てこない者には判らない。
この恵みは、「賞やメダル」などとは比べ物にはならない程の、「力と器量」を育てていく。
こうして得られた「力と器量」が、極楽への道へと導いて行ってくれる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現代の人間世界は、こうした「極楽への導き」となる「力と器量」が廃れている。
それ故に悲惨な事件や争いが絶えない。
社会構造も「無縁社会」と言われるような、テンデンばらばらな結び付きが希薄な社会となってしまった。
次回当たり、この「無縁社会」の成り立ちについて述べたい。