この世の構成要素は、利己的個性が集まっただけのものではない。
個性は、相対する個性と、それは無限ともいえる複数のものとの対象と必須の縁を結び、互いが「劣るものを補い合い、力を合わせ、且つ助け合い」して、この世の森羅万象を描き出している。
我々の一般的普通の観念や概念としては、この世の形は「三次元」のものとしてとらえている。
しかしそれは、この世が「物質」として捉えたものであることからにより、哲学的に「物と心」との二つのものが存在している以上、それを見据えた上でとらえるとどうなるだろうか。
哲学では、「物心一体」とする「一元論」と、「物と心は別物」とする「二元論」がある事は、よく御承知だろう。
こうした考えは、この世が「物質」として捉える「三次元世界」とする、即ち「縦、横、高さ」による世界観からきている。しかし「心、精神」の存在がある以上、この「三次元論」は意味をなさなくなる。
「物質」と「心、精神」の存在を絡めて見据えるならば、「縦、横、高さ」といった「三次元論」は否定される。
そしてどうなるかというと、「流動性(時間)、広がり(空間)、物質」が「三次元になる。
そしてもう一つ、これら「流動性(時間)、広がり(空間)、物質」の世界で行われさせる「力(エネルギー)」があり、これを以ってして「物質」に必須の「縁」の働きを持たせている。
言わば、我々が産まれ生きているこの世は、「四次元世界」なのである。
ところで、この「四次元世界」に於いて必須の「縁」の結び様はどういう有り様かというと、それはちょうど「織物」が織られるように、「縦糸と横糸」が織りなすような「縁」の模様を織りなしていく。
「縦糸」の「縁」の張り様は、時間的張りようとも言え、「過去、現在、未来」を表す。即ち、「先祖、親子、縁故、師弟関係」ともいえる「縁」である。
一方の「横糸」の張り様は、横の繋がりとも言え、「夫婦、近所、友人、同僚関係」などとの繋がりの「縁」を言うだろう。
だが今日現在は、こうした「縁」が薄れていくだけでなく破壊されていっている。