青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

この人の母親も

2014年05月04日 | 短歌に政治や社会

出生前診断…障害判明、中絶を「安易」は「当事者でない人の他人事」(産経新聞) - goo ニュース

この人「安倍晋三」の母親も、妊娠時にこういう新型出生前診断を受けていれば、今日の安倍政権の身勝手な行動をする胎児かどうか、診断できただろうに。

いくら新型出生前診断の能力が発達しても、心の状態までは把握できそうにない。

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/snk20140504509.html

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信仰への道  ②

2014年05月04日 | 宗教観


我々人間が、こうした「六道輪廻」するようになっているのは、「眼、耳、鼻、口、皮膚」を持っていることにある。これらによって「眼で見る対象、耳で音を聞くという対象、鼻でかぐ匂いという対象、口の舌で味わう味の対象、皮膚で感ずる感触という対象」に、これらから受ける対象に対する感触を受け取る「心」とがある。これらを含めて「六感」という。
そしてこれらの六感で感じた事象に対して、この「心」が反応していく。その反応の仕方は、「快ち良い」ものを求めている。
そこから「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」が発生することになる。

この世の中で生命を持ち、更に「心、精神」といったものを授けられた人間は、そうした稀とも言える人間として生まれきた役割、産まれさせた者の願いと、望みを叶えられるように生きて行くことが、人間として産まれて生きる「義務と責任」と言えるだろう。
この「義務と責任」を果たしていくためには、だらだらと「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」にふけって「六道輪廻」して行ってはならず、そこから離れ脱却していかなければならない。それを「信仰に入る、宗教心を持つ」という。
しかしながら、この「信仰や宗教」には中々入れない。何故そうなのかというと、この「信仰や宗教」の前には強固な門があり、この門には閂が掛けられているだけでなく、ちょっとやそっとでは抜き取られない楔が打ち込まれていることにある。この楔を抜き取り、閂を外して門を開けばいいのだが、これが我々人間には中々できない。
では、どうしたらこの楔を抜き、閂を取り、門を開け取ることができるのだろう。
実は、この門や閂と楔を取れないように打ち込んであるのは、他ならない我々自分自身の手で行っている。
先にも述べた「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」のもとに「六道輪廻」して行くのは、それは「自分が可愛い」思いから出ている。「自分が可愛いから慾深くなり、自分が可愛いから腹を立て、自分が可愛いから愚痴や不満を言う」というように、「自分が可愛い」という「自我」からきている。この「自我」のために、世の中も家庭なども乱雑になったりする。
それ故に強固な「楔」などを抜くには、この「自分可愛さという自我」を、無くしてしまえばよい事になる。そうして「無我」になれば良い.

早く言えば「死んでしまえばよい」という事になる。しかしそれは「生きていながら死ぬ」ということであり、肉体的な死ではなく、生きて居ながらの死である。
しかしこういうように「無我になれ」と言っても、それは簡単なことではない。問屋が下ろしてはくれない。
我々が生きて行くという事は、多くの他の物や他の人々との関連と関わりの中であるからこそ営むことができる。言って見れば、「世のしがらみ」に縛り付けられ「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」に縛りつけられている。
そしてまた、それらの物や人々と自分とは、同一ではない。
同一ではないという事は、他の物は他の物であって、自分ではないという事で、自分に代わってもらえないことであり、他の物ができたとしてもそれは他の人一人なのであって、自分には当てはまらない。
そうなると強固な楔などを抜き取る方法は、自分で突き留めなければならない。人は当てには出来ないのだ。それも今言ったように、「無我」になる道を探した上でのこととなり、真に人間として生きて行くべき信仰の道を求めて行くためには、明けても暮れても「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」して「六道輪廻」にふけってはいられなくなる。
ちなみに「六道輪廻」する中の「苦しみ、辛さ、悲しみ」というものも、「信仰の道の門」の扉を閉ざしてしまっている、「閂の楔」というものもまた、自分で自分がはめ込んで抜けないようにしてしまっていると見なされる.


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憲法の政府監視力

2014年05月04日 | 短歌に政治や社会


憲法には、政府を監視する監視力がある。

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5月3日(土)のつぶやき

2014年05月04日 | 宗教観
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