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青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

死ぬ覚悟で行くものに

2014年05月15日 | 短歌に政治や社会

富士宮市長 遭難者も救助費負担を(中日新聞プラス) - goo ニュース

冬山登山とか、海が荒れる中でのサーファンとかなどは、死ぬ覚悟でしているのだろう。
そういう者が遭難して救助されたなら、救助費用は負担するのが当たり前。
遭難したら「救助隊に助けられるさ」というような、軽い気持ちでいる者には、救助に当たる者の苦労を知らせてやらなければならない。

http://news.goo.ne.jp/article/chuplus/region/chuplus-CK2014051502000091.html

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頭の悪い人ばかり

2014年05月15日 | 短歌に政治や社会

集団的自衛権の行使容認求める 安保法制懇が報告書提出(産経新聞) - goo ニュース

憲法解釈変更と言っているが、こんな変な報告書を出し、そういう報告書を出すように指示している安倍晋三首相などは、とてつもなく頭の悪い人たちばかりだ。
憲法解釈変更するにしても、集団的自衛権行使容認のためにしか、選択肢が無いものではない。
絶対的に現憲法を護憲しようとするための選択肢もある。
安倍首相や安保法制懇が掲げている、「安全保障環境の大きな変化にかかわらず、憲法論で安全保障政策が硬直化するようでは国民の安全が害されかねない」と訴えているけれども、今日の国際環境が環境であるからこそ、現憲法の平和理念を貫いていく必要がある。
安倍首相は積極的平和主義を上げているが、その理念の中心になっているのは集団的自衛権行使というものでしかなく、言わば自衛に名を借りた戦争主義という積極的平和主義になっている。
政治に関わるものが、また有識者といわれる法制婚メンバーなどは、憲法解釈の選択肢が、他にもあるということを念頭においては、少しも議論していない。ただ自衛権の拡大解釈にばかりを、念頭にして議論しており、その結果だけを出している。
更にそうした結果の報告をしたがために、国民がどのような道を歩かなければなるかという事には、一言も触れていない。

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/snk20140515534.html

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信仰への道  ⑤

2014年05月15日 | 宗教観

 


しかしこれで安心していてはならない。
我々人間という生身の生物は、いつも六感を働かせ、それに「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」を結びつけたがっている。それ故に心怠りなく、心に「ちりやほこり」が付着していかないように、また「四苦八苦」にまみれても耐え続けてくじけない様に命掛けで精進していかなければならない。これだけしたから、「もういいだろう」であってはならないのである。
お釈迦様は「八万四千の法門」と言われるように、多くの説教を成されている。キリスト教でも「新約聖書、旧約聖書」と、これも膨大な数である。
お釈迦様の説教の主体は「四諦八正道」とされる。
「四諦」とは、
「苦諦」   苦は異常な状態なのではなく、普通の状態
「集諦」   苦の原因。欲を求めて止まない心。

「滅諦」    苦を解消する道。欲を滅する。
「道諦」    苦を滅する八つの正しい道。
「八正道」は、この内の「道諦」に充当する。
「八正道」とは、
 (しょうけん)
    自己中心の見方を離れて、真理を見る方や、一方に片寄った見方をせず、正しく見なさいということ。
 正思(しょうし)
     自分本位の考え方をせず、大きい立場から、真理に照らし合わせて考えなさい
    ということ。
 正語(しょうご)
     真理・法則に合い、目的に合った表現で言いなさい、そして、社会全体に調和
    する言論を用いなさいということ。
 正行(しょうぎょう)
     日常の行為は正しいものでなければならないということ。真理・法則に合い、
    目的から逸れず、周囲や社会の調和を乱す行動をするなということ。
 正命(しょうみょう)
    衣食住その他の生活財は正しく求めなさいということ。ひとの迷惑になるような
    仕事や、世の中のためにならぬ職業などによって生活の糧を得るのでなく、
    正しい職業、正しい収入で暮らしを立てよということ。
 正精進(しょうしょうじん)
    正しい使命・目的に対し正しく励み、努力し、怠ったり、わき道へそれたり
    するなということ。
 正念(しょうねん)
    仏のような正しい心を持ち、その心を常に、強く、正しい方向に向けよということ。
    仏のような正しい心とは、わがままな分別をなくし、ものごとの実相を見ること
    であり、つまり、常に真理・法則を見、強く思うことである。
 正定(しょうじょう)
    心を常に正しく置き、周囲の影響や環境の変化によって動揺することがないように
    せよということ。

「信仰と宗教の道」は、事ほど左様に厳しい。殊に深く大きな煩悩に置かされている我々凡人は、例えどんなに教本を読破しても、このたった一つの「信仰と宗教の道」には、たどり着けない.どんなに一生懸命になり、教本通りになろうとしても、頭で理解したようには「言動や行動」が運ばない。それが凡夫の悲しさである。
だがお釈迦様の弟弟子の精神障害しゃで白痴な人が悟れたように、「言動や行為にちりや埃」が着かないように、又その「ちりや埃」を払い拭うという行いは、し易い。このし易い行いを、余所見や脇見をしないで続けていかなければならない。
この余所見や脇見をしないようにと、キリスト教では「アーメン」という祈り、仏教では「南無阿弥陀仏」という称名念仏を唱えながら、正しく真っすぐな道を歩ませようとしている。

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5月14日(水)のつぶやき

2014年05月15日 | 宗教観
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