青い鳥の世界へ

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親の心、子知らず

2014年05月19日 | 短歌に政治や社会

先の章は天皇は、戦後靖国神社を参拝されていた。
しかし8回参拝されただけで、その後は参拝されず、千鳥ケ淵戦没者墓苑の参拝に変えられていられる。この昭和天皇の意思は、現平成天皇にも受け継がれている。

昭和天皇が何故靖国神社参拝を取りやめられたかというと、戦前の天皇は、陸海軍の統帥者だった。自らの名の下に、多くの兵士を戦場に送った。亡くなった兵士の天皇に対する気持ちは様々だろうが、昭和天皇が靖国神社に赴き、戦没者の魂をなぐさめたいと思うのは自然な気持ちだろう。しかし、戦争計画、指導した軍幹部や政治家らを一緒に弔うとなると話は別だ。
こうした戦争を計画し指導した軍幹部や政治家らを合祀したことに対して、昭和天皇は時の宮内庁長官に「親の心、子知らず」と語って嘆かれていられる。
それもこの戦争を計画し指導したもので国際軍事裁判で有罪にされ、投獄されていた「岸信介」が米国におもねって釈放され、政界に返り咲き、再軍備や日米安保条約などを妥決したりしているものだから、陸海軍の統帥者だった。自らの名の下に、多くの兵士を戦場に送った。亡くなった兵士の天皇に対する気持ちは様々だろうが、昭和天皇が靖国神社に赴き、戦没者の魂をなぐさめたいと思うのは自然な気持ちだろう。しかし、戦争を計画、指導した軍幹部や政治家らを一緒に弔うとなると話は別だ。

昭和天皇は、戦争を許してしまってこのような悲惨な敗戦に導いたのは自分の責任ととらえられて、戦後全国各地を行幸されて謝罪の旅をなされていられた。だが政治家たちは、こうした陛下の思いを踏みにじるように、戦禍に倒れた人々を、ただ単に玉串をささげ、「哀悼の意を表する」というだけで終わらせている。
戦禍で倒れていかれた人々の胸の思いを、少しも判ってやらない。
戦禍で倒れた人たちは、「こんな犠牲は自分たちだけでたくさん」という思いでいられただろう。
ところが岸信介の孫の安倍晋三は、憲法解釈変更して集団的自衛権行使容認ばかりか、憲法改正して9条を骨抜きにまでしようとしている。
まったく「親の心、子知らず」だ。
いや、親の心は知らないけれども、「鬼の心」だけは知っている。

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5月18日(日)のつぶやき

2014年05月19日 | 宗教観