青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

武士道

2018年04月04日 | 短歌に政治や社会

陸自 日報問題 去年3月に存在確認も大臣らに報告せず

西洋には「騎士道」というのがある。
同じ性格と思えるが、我が国には「武士道」がある。
「騎士道」についてはよく分からないので述べないが、ここでは「武士道について述べてみる。

「武士道」の心について、よく「武士道とは死ぬことと見つけたり」と言われる。
この「死ぬことと」とはどういうことかというと、「浄く責任を取る」と言っていい。
責任を人のせいにしたりして転嫁したりせず、また自分だけの責任とせずに、人の責任や罪も自分の責任として受け止めることにある。

買って太平洋戦争末期、南方諸島の前線では、米軍の熾烈な攻撃を受けて次々に玉砕していった。指揮官であった人は、「王軍の兵士を失い天皇陛下に申し訳ない」と言って自決している。
だが昭和天皇の終戦超勤に対して戦争を指揮した内閣には、誰一人として責任を取らずに占領軍の捕虜となり処刑されている。
だがその中で「岸信介」は米国の言いなりになって釈放され、その後選挙に打って出て首相までになり、「日米安保」を推進させていった。
その孫が、今の首相の安倍晋三である。
安倍晋三も祖父の岸信介よろしく、責任も罪も取ろうとはしていない。
ただ「全ての責任は自分にある。その責任を果たすべく、内閣のうみを出し尽くすのが自分の務めだ」というだけ。
しかし一番「うみ」を内層しているのは、誰あろう安倍晋三自身にある。
自分自身の「うみ」を出そうとはしないでいて、何が責任を取ることとなる。
日本人でありながら、日本の美徳ともいえる「武士道」もできずに、「道徳教育の必須化」もあったものではない。

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