新型出生前診断、9割中絶=2年間で1万8千人検査
こうした事態になっているのには、医学の進歩にあり、その診断装置を開発した科学技術の進歩にもある。
子の進歩によって、胎児の内に生命は、好き嫌いされるように分別されていく。それは生命の優勢ばかり取り入れようとして、ブランド化されている。
古来子供は、神様からの授かりもの、仏さまからの賜りものと受け止められ、どのような体であって生まれようと、親としての喜びの内に受け止め育てていた。
それが今では親の都合で、楽に育てられればいいということを優先させて出産するもしないも選択している。
しかしこうした楽に育てられる子ほど、後で苦しい思いをさせられる。
自分勝手な我儘な身勝手な人間になり、ショットした事でも挫折してしまうといったこらえ性がない。何かというと親任せになる。
そうして親は子供に振り回され、子供が犯したことの責任まで背負わされていく。
ブランド化されたものには、大きな棘がある。
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-150626X237.html
「脱原発議案」提案を全て否決 電力大手9社 株主総会
電力会社の株主総会で、このように原子力発電再稼働を議決するならば、株主たちには放射能汚染ドヤ核のゴミを自宅に引き受ける義務がある。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/business/sankei-lif1506250048.html
今日のディサービスでは、後10日で七夕を迎えるとあって、七夕作りに精を出しています。
この七夕に吊るす短冊を書いて欲しいと、職員さんに頼まれました。
それでその要望に応えて、こんなものでいいかしらと思いながら書いたのが、次のような短歌です。
★ 年一度 巡り会いにし 七夕に
我も会いたい み仏さまに 2015/6/26
み仏さまに合うということは、難しいものと思いがちですが、しかし簡単なものです。
人間が持っている飽くなき欲望を消してしまえはいいのですし、また怒り、恨み、妬みや嫉みという嫉妬心、それに愚痴や文句、不平不満に不足の思いを消し去ればいいのです。
しかしこれが中々できないのが、人間です。たとえ高学歴を治めて教養も知識も積んでもできません。
それどころか、その教養や知識によって、更に欲望を募らせてしまいます。
気を付けなければならないものです。
妓のものは、図書館で借りてきた本に書かれていたものである。
仏教説話な次のようなものがある。
昔あるところで 晩餐会が開かれた。招待された人たちは、長いテーブルに向かい合って座っている。テーブルには山海の珍味が並べられている。どれもこれも、いままで食べたことのないようなご馳走ばかりである。 ところが、箸がテーブルの向こう側に届くほどの長いものであった。そして、ご馳走はその筈でなければ食べることができない。手づかみで食べようとすると消えてしまうのだ。 みんなは必死になって長い箸を使おうとするが、食べ物をつかむことはできても、それを口まで運ぶことができない。 そのとき、ある人が「自分では食べられないが、向かい側の人には食べさせることができるのではないか」と考えた。やってみると、箸はちょうど相手の口に届く長さだった。ご馳走を食べることができた人は喜んだ。そして、今度は自分がその人に食べさせたのである。こうして、みんなは心ゆくまでご馳走を堪能することができた。
という話である。
この説話から、人間はお互いを思いやり、労わり、感謝の心を持って感謝し合っていくことの大切さが述べられている。
昔と違って今日の人間は、食事を戴くときに「いただきます、ご馳走さま」も言わない。
それだけでなく姿勢も悪いし、行儀も悪い。
子供たちは学校では姿勢よくし行儀よくして食事のあいさつをしているようだが、家ではまるっきりしない。
それというのも親たち大人たちがちゃんとしていないから、それを見習っておかのいなしになっている。
こうした事はテレビなどの場面でもみられ、これが大人にも子供にも悪影響を与えている。
テレビやマスコミには、社会を良くしたいという気概が無くなっている。
何事も金になれば、どんなことをしてもいいという風習が蔓延しているから、いくら教育改革とか道徳教育といっても手に負えない。
この説話のお互いさまという所に宗教の心があり、信仰の心がある。
宗教や信仰は、学問ではなく、心の教育というべきものである。この心の教育が出来上がらないと、人間は身勝手になり我儘になって争いを起こしていく。
知事に拍手、首相に罵声 すれ違う2人、沖縄戦没者追悼式
今日本国民は、生存権が抹殺されつつあり、抹殺されようとしている。
何者によって抹殺され抹殺されつつあるかというと、安倍晋三を首班とする安倍政権と政権与党に、彼らを支持する一部の国民によって、国民の生存権は抹殺されつつあり抹殺されようとしている。
安倍晋三など政府は、集団的自衛権行使容認を含む安保法制整備は、憲法第25条による生存権を認めた条項を盾に自衛権が認められるとして正当化している。
だが稲田朋美自民党調会長は、こんな事を言っている。
「国民の安全と安心を決めるのは憲法学者ではなく、私たち政治家だ」
この言葉は、いうなれば国民の生存権を否定するなど生殺与奪権は政治家が握っていると言わんばかりである。
即ち「お前たちは俺たちの言うがままになって、死ぬ時は死ね」ということなのである。
今の安倍晋三と彼の政権や取り巻きたちは、自分の言うことやすることは正しいと言って、他の者が犠牲になるのも厭わない。
こう言う彼等は、今の立場に立てたのが国民のお陰という感謝の気持ちを持っていない。
ただいいように振舞って、国民の生存権まで抹殺していく。
http://news.goo.ne.jp/article/nishinippon/politics/nishinippon-20150624110452936.html
翁長知事、安倍首相と短時間会談 意見交換の必要性指摘
安倍種衆がなぜ沖縄全戦没者追悼式に参列したかというと、それにはこんな理由があるようだ。
安倍首相は、集団的自衛権を容認するなどの安保法制法案の成立を急いでいる。そのために大幅な、会期延長まで議決させた。
そして法案が成立した暁には、有事となると米軍が戦闘行動に出ることも容認することになる。
となると、相手は黙っていない。必ず反撃してくる。報復復讐攻撃を行ってくる。
その反撃が、普天間基地などの米軍基地にピンポイント攻撃されるかというと、そうはいかない。当然のこととして沖縄全体が攻撃標準にされることになる。
すると沖縄全島は、先の沖縄戦以上の悲惨な戦場と化していき、被害も相当数に上がることになる。
安倍首相がこの式に参列したのは、こうなった時には沖縄県県民に覚悟させるためだろう。
その証拠は何としてでも安保法制を成立させようということや、民意を無視して辺野古地域の埋め立て強行していることに表れている。
そんなに自分の思い通りにしたいなら、昭恵夫人を生き煮えに差し出して、「どうか成立させてください」と頼むといいな。
それくらいの覚悟をして、やることだ。
馬鹿みたいだ・・・・・・・・・・
http://news.goo.ne.jp/article/okinawa/politics/okinawa-32248176.html