人権 blog.goo.ne.jp/shimamasa05/e/…
— えちぜん (@itibanmasasan25) 2018年4月17日 - 21:27
財務省調査に疑問・批判=閣僚からも―セクハラ疑惑
国会は、こういう風にいつまでもごたついている。
それというのも、国の指導者である安倍首相が、「行政の長として、自衛隊の最高司令官として」などと言いながら、少しも決着を図ろうとしていないことにある。ただ「うみを出さなければならない」などと言って指示したというだけで済ませている。
この財務次官のセクハラ問題に対して、次官の人権にかかわるといって真相解明に熱意が、それはまるで被害者の女性覇者には人権などないという論理になっている。
そればかりか先月成立した本年度予算には、まるで公務員には人権があるかのようなお手盛りになっているが、か弱い弱者たちには遠慮会釈もなく人権を無視したようになって、社会保障費を減額していっている。
中には政治家には、国民から選出されたものという気になっている者もいるが、そういった者たちは孤独にならなければならない。
悪戯に人や仲間内と会食などするのは、以ての外のこと。そういうことをしているから、すぐに疑いり目で見られていく。
「女性記者と会食した覚えもない」 次官のコメント全文
生物は、もともと純真さを持っている。
清らな生命をもって生まれてきた。
しかし人間においては、成長するとともに汚れを身に着けていく。
人間だけがなぜ汚れを身に着けていくかというと、知恵を持ったことにある。
知恵は、欲を持つことを覚えた。その欲、欲望を満たすにはどうすればいいかを、学習していく。
それが教育となっている。
この財務次官のセクハラ問題にしても、自分が何をコメントしているかわかっていない。それは森友、加計、防衛日報らについても同様なことで、彼らが言っていることは保身のためといっていい。だから認めない。
そして任命責任者からして、保身のために辞任を宣告したりせず、自らが辞職するようにさせようとしている。
それというのも、強く辞職させて辞めさせると、どうも退職金が支給されないからではあるまいか。
安倍首相なども関わりを認めないのは、そんなところに理由があるのかもしれない。
こうした大人社会の、殊に政界の汚れたものが、素直なままに成長しようとしている子供たちの胸も汚れさせている。
それにしても、この次官は週刊誌記者を提訴するといっているが、反対に被害にあった女性記者の提訴を受けたらどうなるか。その覚悟はできているのだろうか。
【加計学園問題】「首相案件」独り歩きに「ばかばかしい漫画」加戸守行・前愛媛県知事が痛烈批判
前知事だった加計氏が、こんな批判を述べるのは当たらない。
そもそもが、彼が四国に獣医学部の新説を唱えたことに、端を発している。
「総理案件」とはどういうものの言葉かというと、自分はこうなるのが望ましいということを、ちょいと口に出したものが広まったといえる。
そういう点で、一番証人喚問の場に立たなければならないのは、安倍晋三という首相がこそである。
国会や国民やマスコミがなぜこういうことで騒ぐかというと、政治の在り方や議員に求めていることが、権力や大企業や富裕層に偏らずに、弱者に寄り添い、思いやりと労りを持つ人情政権の誕生を期待していることにある。
農相 省内に残されていた加計文書を公開
安倍政権からは、安倍内閣からは、秘匿されていた真実の宝の山が、出てくるわ出てくるわ。
どんなに否定し、知らぬ存ぜぬといっていても、真実という宝の山は顔を出してくる。それが否定すればするほど出てくるのが、真っ正直に勤めようとする人たちがいることによる。その人たちは、権力などにはひるまない。
強く正しく、国民や市民のために働いてくれている。
— えちぜん (@itibanmasasan25) 2018年4月12日 - 20:51
年金支給年齢の引き上げ提案 財務省、65歳から68歳に(共同通信) - goo ニュース 文書改ざんしておいて、よく言うわ。閣僚や首相経験者の、年金支給停止でもしろ。
— えちぜん (@itibanmasasan25) 2018年4月12日 - 21:31
news.goo.ne.jp/article/kyodo_…
「首相案件、柳瀬氏が発言」面会の1人が証言
「縁起」とは、お釈迦様が悟られたお悟りの根幹をなすものである。
「今の事象には、その事象となる原因がある」というのが、縁起館であり、その原因に縁が加わり事象という結果を生じさせている。
このことを「因縁果とも、因果律」ともいわれる。
今安倍首相は、「森友、加計、防衛日報」らのことで、毎日のように追及されている。だが次々と出てくる新事実にもかかわらず、固くなままにしらを切り通している。しかし外堀も内堀も攻められていき、本丸も危ないというのに、何のかんのと言って弁解で凌ぐつもりらしい。
第一その原因を作ったのが、自分なのだとすらわからないでいる。
今に第一次安倍政権の時に発症した病が再発し、心身を蝕んでいくだろうに。
しかし信仰を嫌い、宗教も嫌う彼には、道徳教育の必須化といっても、それは所詮は我が身かわいさを教えるものにしかすぎず、一国の指導者の取る道とはならない。
とはいっても、信仰心や宗教審に目覚めるのは、至難な技ともいえ。
何故かというと「我」を持つからだ。「我」は「欲」を持ち、それが信仰心や宗教心を持つことを妨げている。そのために「縁起」についてもわかりもしない。