住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

男のバカと女の利口

2010年09月06日 | 日記

 私は、人種偏見主義者でも、男女差別主義者でもない。
ウーマンリブと言う時代から、男女共同参画事業へと世の中は進み、女性の社会進出が当たり前になり、男の乳幼児の子育ても普通に見られるようになった。

 男にも、確か乳首の痕が有るので遥か昔は、子供に乳を与えた時代があったのかもしれないが、其れは進化するに従って、男女の役割ははっきりと別れたに違いない。
男は、いくら頑張っても子供を『孕む』わけには行かない。 


 私は、ある時期ワンマンオーナーの経営する会社で働いたことがある。 従業員は30人位であっただろうか。 一般的に、社長は喜怒哀楽をオーバーに顔に出さないと、従業員のベクトルを合わせる事が難しく、私が思うには社長の一つの条件が、大きな声を出して怒る事だろうと思う。
その社長の口癖が、 『女の利口と、男のバカが、丁度』 と言うことであった。

 現在は、行政の男女共同参画事業の旗振りによって、女性の社会参加が当たり前になり、世間知らずの女性も少なくなってきたように思われる。
其れと同時に、男の馬鹿さ加減も手に取るように、女に見られてしまった。
男が、女から女へ浮気を繰り返す様を見て、女も男から男へと浮気を繰り返す人が表に出るようになった。

 支配者、権力者から言えば、人間同士の信頼性が崩れ、個人個人の繋がりが弱くなれば、まさに思う壺であろう。  夫婦の繋がりが薄れ、家族同士の繋がりが薄れ、一族のまとまりがなければ、ひいては国としての確固たる形も崩れてしまう。 はたして、それで良いのだろうか。


 人間が、男女の役割を違えて進化してきたのは、お互い持たざる物に尊敬の念を持ちながら、その結び付きを強める為に進化したのではなかったか。 あるいは、子育てで大変な所は親や親族の協力を得ながら、育てたのではなかったか・・・ 。

 夫婦の絆、親子の絆、家族の絆、一族の絆、民族の絆、一旦事が起これば、こう言う事が頭をもたげて、まとまらざるを得ないのではないか… 。 現在、ヨーロッパやアメリカで問題になりつつある不法移民、この去就を日本国民は、一つの教訓とすべきことになるだろうと思います。

 親には親の役割、年配者には年配者の役割、女には女の役割、あるいは子供には子供の役割、これらは入れ替わることの出来ない、生まれつき身に纏った役割といえよう。 後天的に身に付けた、職業としての役割はいつでも、移り変わり、入れ替わりは拒まれるものではない。
だが本来、生まれつき持ってきた役割はもっと大切に、淡々とこなす必要があるのではないだろうか。


 子や孫に、出て行かれた『田舎の家』では、年老いて孫の顔を見る喜びも無く、爺と婆が遊びに行けるほどの金も無く、国民年金で子供に世話にならずに生きることも出来ず、毎日毎日早く死ぬことばかりが、頭によぎる。 
そんな、生きていく先に何の光も見えず、閉塞感と毎日相対して、生きたくもない命を只世に晒すだけで、『情けなくて・・・・ 』と思っているご年配の方が多すぎる。

『政治が悪い』と、一口で云うことは出来ないか・・・ 。  いや、政治の貧困だろう。