
今回ご紹介するのは「天国はまだ遠く」(著:瀬尾まいこ)です。
-----内容-----
仕事も人間関係もうまくいかず、毎日辛くて息が詰りそう。
23歳の千鶴は、会社を辞めて死ぬつもりだった。
辿り着いた山奥の民宿で、睡眠薬を飲むのだが、死に切れなかった。
自殺を諦めた彼女は、民宿の田村さんの大雑把な優しさに癒されていく。
大らかな村人や大自然に囲まれた充足した日々。
だが、千鶴は気づいてしまう、自分の居場所がここにないことに。
心にしみる清爽な旅立ちの物語。
-----感想-----
語り手は山田千鶴という23歳の女性。
短大を卒業して3年とあるのでその年24歳になるようです。
季節は11月の初めの秋で、冒頭の文章には千鶴の決心が漂っていました。
千鶴は日本海側の地で死のうとしています。
社会人になってから三年の間、仕事のことで思い悩んでいました。
なんとかなる。適当に流しておけばいい。きっと大丈夫。物事は私が心配するほど、悪化しないものなんだって。このくらいのこと、ちっともたいしたことはない。笑っておけばいいんだ。
いつからだろうか。私は自分にそう言い聞かせるようになっていた。朝、布団の中で。出勤前の玄関で。仕事の合間にトイレで。食欲のない時、寝付けない時。そうやって自分に暗示をかけないと、動けなくなっていた。
これは私も「何とかなる」と言い聞かせることがあるので胸中がよく分かります。
千鶴のようなことを言い聞かせずに済めば、日々を楽しく過ごすことができればそれが一番良いのだと思います。
しかし千鶴の置かれた職場環境では楽しく過ごすのは無理で、まずそこが重要です。
会社に行かなくてはいけないと考えるだけで、毎朝、頭が痛かった。明日は上司に何を言われるんだろう。そう思うと、不安で眠れなかった。
会社へ向かう電車の中で何度、引き返そうかと試みたことか。休み明けの朝に会社に行くのが怖くて、玄関から出るのにどれだけ時間がかかったことか。
これは例えば中高年世代だと「そんなに嫌なら会社を辞めれば良いじゃないか」「何を思い悩んでいるんだ」と主張しそうな気がします。
ところがこの中高年世代というのは、いざ会社を辞めると今度は「これだから最近の若い奴は根性がない」「俺(私)が若い頃はもっと大変で~」などと言い出すのではないでしょうか。
つまり会社を辞めても辞めなくても、千鶴のように順調な社会人生活を送れなくなっている人には偉そうに批判をするということです。
おそらく千鶴はそういった周りからの批判の目に恐怖していて、精神が限界になる前に会社を辞めることができなかったのだと思います。
身体も心もすっきりしない。いつもどんより重い。そんな毎日が延々と続いていた。早く解放されたいって、心身共に訴えていた。
こうして千鶴は自ら死ぬことを選びました。
これも反射的に「何も死ぬことはないじゃないか」と思う人がいるかも知れませんが、この時点での千鶴にとって、苦痛でしかない毎日から解放されるには死ぬしかないという考えになったのだと思います。
たとえ会社を辞めたとしても周りからは「社会の落第者」のように批判の目で見られると感じ、このまま苦痛の日々が続くよりは死んで終わりにしたいと思ったのだと思います。
北に向かう特急電車を降りた千鶴はタクシーに乗り、京都府の丹後半島にある木屋谷という集落に辿り着きます。
そしてこの集落にある「民宿たむら」に泊めてもらうことになります。
山奥にあるため千鶴のほかに泊まっている人は一人もいないです。
田村という30歳の男が出てきて、何も設備がないし建物も古いからと千円の安値で泊めてくれました。
田村が民宿の説明を終えて去っていった時の描写は印象的でした。
その場から何かがいなくなると、明確に静かになる。田舎の夜は深い。
都会と違って周りから聞こえてくる音が少ないので、これは凄くしんとするのだろうと思います。
私はほんのささいなことで、ダメージを受けるようになっていた。でも、もういいのだ。もうそんなことに悩むこともなくなる。
精神的に追い詰められてくると、そんなに気にしなくても良いようなことでも深刻なダメージを受けるようになるのだと思います。
この民宿での夜、千鶴はついに自殺を決行します。
睡眠薬をたくさん飲み、そのまま二度と目覚めなくなろうとしました。
ところが千鶴は自殺を失敗してしまいます。
眠りの後に目が覚め、自身が生きていることに気づきます。
ただしとても深い眠りについていて、千鶴は次の日の朝に目が覚めたと思ったのですが、実は丸一日以上寝ていたことを田村に教えてもらいます。
死に切れなかった千鶴はもう死ぬ気はなくなりましたが何かを始める気も起きずに何日か過ごします。
ある日田村が「丹後米」の新米を夕飯に出していました。
米に甘味があり味が濃厚でおかずなしで食べられるほどの美味しさとあり、私も食べてみたいと思いました。
千鶴は営業職で保険の勧誘をしているとありました。
これはとても気持ちがうんざりする仕事だと思います。
「保険を勧めると、当然客は、そんなものいらないと言う。」とあり、そのとおりだと思います。
私もこの手の勧誘の人が来ても相手にせずに断ります。
「形のない保険を売るには、愛想の良さではなく強引さが必要なのだ。」とあり、千鶴には愛想の良さや物腰の柔らかさはあるのですが強引さはないため、なかなか契約が取れないです。
民宿たむらに恋人の久秋が訪ねてきます。
久秋は26歳で、かなり冷静な人です。
千鶴は自殺を決行する前に久秋に遺書のつもりでメールを出していたのですが、そのメールは久秋にとっては「別れよう」というメールにしか見えていませんでした。
私も千鶴が書いていた時には遺書に見えた文面が、改めて読んでみると別れを告げるメールに見えました。
はっきりとした言葉で書かないと、相手には真意が伝わらない場合があるということだと思います。
田村が次の日の朝海に出て釣りをすると言うので、千鶴も調子を合わせて「私も行ってみたい」と言います。
そうしたら田村に早朝に起こされ本当に千鶴も行くことになってしまい戸惑います。
「行きたくないなら、そう言えばよかったのに。俺、あんたに断られたって、ちっとも傷つかへんし、気も悪くせえへんのに。あんたが海を嫌いでも、釣りに興味がなくてもなんもなんちゃない。そんなん適当に合わせる必要はないのになあ」
「そんなん適当に合わせる必要はないのになあ」が印象的で、この言葉は良いと思いました。
ちなみに千鶴は舟の上で
いつだって私は相手を優先してしまう。自分が後で後悔することを知っているのに、言われたとおりにしてしまう。
と胸中を語っていました。
田村の言葉は千鶴が周りの目や機嫌を気にしすぎることへの答えとなっていました。
この舟の上で千鶴は海の向こうから上る朝日の綺麗さに驚きます。
また別の日には民宿の外で見た星空の美しさに驚きます。
さらに集落の中を千鶴が散歩して通りがかるといつも閉まっていたパン屋がある日ついに開き、そこで食べさせてもらったハムの美味しさにも驚きます。
驚くことがいくつもあり、千鶴の気持ちも明るくなります。
ある日千鶴は田村に地域の人達が集まる飲み会に誘われます。
田村の軽トラに乗って飲み会に行く時、千鶴の心境の変化を感じる文章がありました。
「町へ下る道を降りるのに私は心が弾んだ。それは、飲み会に行けるからでも、ごちそうが食べられるからでもない。軽トラが細い道を降り、大きな舗装された道路に向かうのをなんとなく嬉しく感じるのだ。」
気持ちが山奥の集落よりも街に行きたくなっているということで、限界になっていた精神が徐々に回復しているのだと思いました。
飲み会で千鶴は美味しいものをたくさん食べお酒もたくさん飲み楽しい時間を過ごします。
やがて千鶴は自身の今の気持ちに気づきます。
すてきなものがいくらたくさんあっても、ここには自分の居場所がない。するべきことがここにはない。だから悲しかった。
「するべきことがここにはない」という言葉が印象的でした。
まずもう一度何かをする気になれたのがとても良かったと思います。
そして千鶴にとってそれは山奥の集落で静かに暮らすことではなく、街に出て何かを始めることのようです。
何十年かけても変わらないこともあるけど、きっかけさえあれば、気持ちも身体もいとも簡単に変化する。それにもっと敏感に対応していかないといけない。そう思った。
この「きっかけ」はとても重要だと思います。
千鶴のように一度は精神が限界になってしまった場合、例えば周りが「さあ、早く変われ」などと押しつけのように言ったのではまずきっかけにはならないです。
きっかけになるような言葉や場面を前にし、それが本人の心の中にすとんと入ってきた場合に気持ちがハッとなり、初めてきっかけになるのだと思います。
その時に「今がもう一度気力を復活させる時」と直感して動き出すことが、千鶴の言葉にある「きっかけがあれば気持ちも身体も簡単に変化することに敏感に対応していく」ということかなと思います。
自殺を扱っているので読む前は恐ろしいことが書かれているのではと思い怖かったです。
しかし読んでみるととても穏やかな物語でした。
もう一度何かをする気力を取り戻した千鶴が今度は順調な社会人生活を送れることを願います。
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