今回ご紹介するのは「You can keep it.」(著:綿矢りさ)です。
-----内容&感想-----
※以前書いた「You can keep it.」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。
この作品は文庫版の「インストール」に収録されている短編です。
そして第130回芥川賞受賞作の「蹴りたい背中」の後に初めて執筆した作品です。
主人公は城島という大学一年生の男子です。
冒頭、保志という大学のクラスメイトの男子が城島から腕時計をもらいます。
さらに三芳というクラスメイトの女子は香水をもらいます。
二人とも城島の腕時計と香水を褒めただけでもらえていました。
大学に入学して一ヶ月後に早々に開かれた高校の同窓会で、酒を飲んで酔った城島は当時クラスメイトにたくさん物をあげていたことを振り返ります。
城島は高校時代も今も、いじめられないために周りの人に物をあげています。
ただしそうは言えないため、同窓会では周りの人に次のように言っていました。
「あれさ、今言うけどさ。ただ親切心であげていたわけじゃないんだ。そこまで俺はお人よしじゃない」
「物を撒くと人の心には芽が出るんだーー喜びと警戒で頭を重くした双葉がね、それでその双葉の鉢を抱えて人は俺としゃべるわけだけど、両手のふさがった奴なんかに俺が負けるわけないのさ」
この強がった物言いには周りもドン引きし、「チッ胸くそ悪い奴」と誰かが言っていて、この言葉から高校当時も気味悪がられていたのだなと思いました。
私は城島の言葉を見て、この強がりを言ってしまうところが城島の弱さだと思いました。
「いやー、当時は周りに色々なものをあげてたよね。懐かしいねー」と言うくらいにして泰然としていれば良いのですが、その度量がないです。
また城島は自分からこの話をしていました。
これは「俺はこういう計算をして周りに物をあげていたんだ。何も考えずにあげていたわけではないんだ」というのを知ってもらいたい気持ちの現れだと思います。
さらに「凄いだろう」という勝ち誇った気持ちも感じられ、それが一番最後の「両手のふさがった奴なんかに俺が負けるわけないのさ」という言葉に現れています。
これは「俺は優位に立つために物をあげていた。そんなことも分からなかったとは馬鹿な奴等よ」と言っているのと同じようなもので、同窓会の空気を台無しにしてしまっていると思います。
酒を飲んだ時にこの言葉が出たのも印象的でした。
以前どこかで聞いた「酒を飲んだ時に現れるのがその人の真の姿」という言葉を思い出しました。
「気前よく色々な物を周りにあげていた」という仮りそめの姿がお酒を飲んだことで剥がれ落ち、「優位に立つために物をあげていた」という真の姿が現れました。
しかもこの真の姿もまだ半分は仮りそめで、「優位に立つためとは、いじめられないため」という部分が隠れています。
本当の真の姿が知られるのなら「なんだ、それでだったのか」となり救いがありますが、半分は仮りそめの真の姿が知られるのだと「本当に気味の悪い奴だな」となり救いがないです。
この点は、自業自得ではあるものの可哀想だと思いました。
より酔っ払った状態になると本当の真の姿が出るのかも知れないです。
城島は三芳に、クラスメイトの沢綾香という子との間を取り持ってくれと頼みます。
三芳は香水のお礼にと引き受けてくれます。
この何気ない会話で物をもらった相手がもらって当然という態度ではなくお礼を考えていることが分かり、そういう人なら物などあげなくても仲良くしていけると思います。
後半では保志もお礼に「今度焼肉でもおごるわ」と言う場面がありました。
城島が小学生の時の回想で、オーストラリアからの転校生に話しかけた場面がありました。
城島が転校生の持っていた鉛筆を褒めると、転校生は「You can keep it(それあげるよ).」と言います。
ここで小説のタイトル「You can keep it.」が登場しました。
転校生はまたすぐに転校していってしまい、城島は転校生から「物をあげること」と、「すぐ去ること」を学びます。
「すぐ去ること」とあり、城島は気前よく物をあげる割りに友達はあまりいないのが意識されました。
夏の近いある日城島は大学の食堂で保志に話しかけられ、着ていたレモン色の麻のボタンシャツを褒められます。
すると城島はその場でシャツを脱いであげてしまっていて、これは異常だと思いました。
ただ、「城島は久しぶりに大学の友達に話しかけられたせいで声が上ずって…」という描写があり、一応城島は保志のことを友達だと思っているのだなと思いました。
褒められたらすぐにその物をあげてしまわないと維持できないと思っている友達関係は、歪んでいると思います。
食堂を出て大学内を歩いていた城島は自身の好きな女子である沢綾香に遭遇します。
城島は好きな女性のタイプについて胸中で語るのですが、その最後の言葉が印象的でした。
でも彼女の何気ない笑顔一つで理想の輪郭は融かされて綾香自体が理想になる。
これは綾香自体が理想になるという表現の仕方が良いなと思いました。
綾香が話しかけてくれ二人は話をします。
話の中で城島が「日陰で休めば?」と言うと綾香が「いいの。私は太陽の下にいた方が元気が出るから」と言う場面があります。
「太陽の下にいた方が元気が出るから」は、前回感想記事を書いた2007年は特に気にならなかったのですが、11年経った今読むとこの言葉が凄くよく分かりました。
日の光を浴びたほうが気持ちが明るくなります。
城島は綾香に贈り物をしようと思い立ちます。
綾香には褒められたからあげるのではなく、こちらからあげようとしているのが印象的でした。
好きな人ができたことで、自身が張っていたバリアーの一部を壊そうとしていました。
城島はインドのポストカードが気に入ったので買います。
そして自身がインドに行ってきたことにして綾香にポストカードを渡します。
すると綾香はインドが大好きで今までに三回行ったことがあると言い、凄く盛り上がってインドの話をしてきます。
ところが城島はインドには言っていないので話がしどろもどろになってしまい、ついに嘘がばれてしまいます。
嘘がばれて綾香との仲が破滅かと思いましたが、この物語は終わり方が良かったです。
城島が物をあげないでも人と友達になっていけることが予感され、明るい気持ちで読み終えられました。
綿矢りささんはこの作品で初めて三人称を使っていて、これが次に執筆した「夢を与える」での三人称につながります。
文章も前二作の「インストール」、「蹴りたい背中」でのリズミカルさが影を潜め、暗くはない淡々とした語りになっています。
まさに試行錯誤している時の作品で、「蹴りたい背中」の後から「夢を与える」を執筆した後にまで及ぶ数年の間、綿矢りささんはスランプに苦しむことになりました。
しかし2016年秋の「手のひらの京」での見事な三人称を見ると、やはり「蹴りたい背中」の後に文体と三人称の試行錯誤をしたのは間違いではなかったのだと思います。
いつか三人称の作品で大きな賞を取り、この作品がその序章として注目されるようになってくれたら嬉しいです
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