読書日和

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「意識のリボン」綿矢りさ

2018-01-01 22:56:15 | 小説


今年最初の小説の感想記事は一番好きな作家さんの新作です。
今回ご紹介するのは「意識のリボン」(著:綿矢りさ)です。

-----内容-----
少女も、妻も、母親も。
女たちは、このままならない世界で、手をつなぎ、ひたむきに生きている。
恋をして、結婚し、命を授かったーー。
人生の扉をひらく、綿矢りさの最新短編集。

-----感想-----
この作品は8つの短編で作られていて、そのうち7つが女性が語り手でした。

「岩盤浴にて」
語り手の「私」は岩盤浴の店に来ています。
他のお客さんもいて、完全にのびのびとはくつろげていないのを次のように書いていました。

同じ空間にいる以上、完全な個人行動は難しく、夜の海の夜光虫のようにお互い微かに影響し合いながら明滅をくり返している。

これは良い比喩だと思いました。
たしかに影響され明滅をくり返すと思います。

「私」がウォーターサーバーから紙コップに水を注ぐ時の描写も印象的でした。
置いてあった紙コップに水素水を注ぐと、かぼそい一筋の流水が紙の底を打つ音が聞こえた。
これは描写の仕方が良く、すぐに音が思い浮かびました。

「私」は岩盤浴で他人の話を聞いています。
そして中年の女性二人組の話を聞いているうちに、「私」は年をとってからの友達関係について興味深いことを語っていました。

身体の老いはあきらめがつく分それほど恐れてはいないが、関係性の老いはできるだけ避けたい。いま私が仲良くしている女友達、そして未来に出会う女友達とは、年を取れば取るほど、何てことの無い、ささやかな無邪気な会話で盛り上がりたい。

中年の女性二人組の会話が一方が無理して次々と喋っているように見えたことから、「関係性の老い」について考えていました。
そして「私」は友達とは年を取れば取るほど何てことの無い、ささやかな無邪気な会話で盛り上がりたいと語っていて、とても良い考えだと思いました。

「デトックス」についての考えも興味深かったです。

デトックスは難しい、本当に難しい。心と身体を鍛えて、些末なことを気にしすぎず、ストレスに立ち向かう強さを身につけるのが先だ。

「私」が言うようにこれはかなり難しいと思います。
些末なことを気にしすぎずとありますが、気になってしまう人にとってはどうにもならないです。
なので気になってしまった後にいかにして気持ちを立て直すかに焦点を当てたほうが良いと思います。


「こたつのUFO」
語り手は京都に住む小説家の女性の「私」です。
「私」が小説家をしていて思ったことが独白のような形で書かれています。
「三十歳になったばかりの私が、三十歳になったばかりの女性の話を書けば、間違いなく経験談だと思われると、これまでの経験から分かっている。」とあったのが印象的でした。
たしかに小説を読んでいると「これは作者自身の経験談かな」と思うことがあります。
実際には経験談が混じることもあれば、経験とは全く関係ないこともあると思います。

ただ一つ切ないのが、自分にとって非常に身近な人たちが、私の書いた本を参考にして、私の性格や過去を分析するときだ。目の前の現実の私より、書いてきた小説を「正直に心情を吐露した告白小説」として信用されると、仕事に喰われるような恐怖を感じる。
これは以前綿矢りささんがデビュー作の「インストール(風俗チャットを扱った物語)」について、同級生の友達から「日頃から風俗チャットばっかり見てたんちゃうん」とからかわれたというエピソードを思い出しました。
やはり作品をその作者の経験談と捉える傾向はあるなと思います。

うつ病は心が疲れきっているサインなんていうけど、うつ病までいかなくても生きてきたなかで色々悲しいことや自分の罪、他人や近しい人の罪を通して、無垢だった心が段々汚れていき、いまでは、良心?義務?は、なんのこっちゃですわ、と開き直るような哀しい事態になっていないか。
「良心?義務?は、なんのこっちゃですわ」の文体が面白かったです。
まるで初期の綿矢りささんを見ているようでした。

真冬の冷たい風の表現も面白かったです。
外は本気で殺しにきてるなと感じさせる寒さで、マスクと眼鏡で防護したつもりの顔に、とがった風が忍者のまきびしみたいに突き刺さる。
忍者のまきびしという表現がいかにもたくさんプスプスと突き刺さる感じがして面白かったです。

二十代の宿題、三十代に持ち越した……。
思っていたほど大人になれてない。それが思ったより辛いの。

これは私も似たことを感じることがあります。
心の中のある部分が高校三年生のまま時間が止まっていると感じることがあり、それを意識すると悲しい気持ちになります。


「 ベッドの上の手紙」
語り手の「おれ」は小説家です。
「おれ」は半年前に彼女と別れました。
その元彼女から郵便物が届き、「私はやっぱり最後は自分で死ぬ作家が好きです。」と意味不明なことが書かれていて、怒った「おれ」は元彼女に手紙を書こうとしています。
この物語自体が別れの手紙という形になっていて、さらにショートショートになっていました。
わずか4ページの物語でしたが「おれ」の元彼女への鬼気迫る雰囲気に見応えがありました。

おれが、お前の人生の茫漠たるさびしさの砂漠を埋める存在ではなく、さびしさ自体を作り出す存在になれたらいいのに。
これは「おれ」の狂気じみた胸中がよく分かる面白い表現でした。
「さびしさ自体を作り出す存在」は、最初は元彼女を敵視しての言葉かと思いましたが、もしかしたら「おれ」のことをさびしがってほしいという思いが入っているのかも知れないと思いました。


「履歴のない女」
語り手の「私」は、根本の部分で履歴がないとありました。
「私」は結婚して最近苗字が変わったとありました。
「私」は10年前にもペンネームとして名前を変えたことがあり、本を出したこともあるとのことです。
名前を変えるごとに履歴を棄てるから「私」には履歴がないとありました。

「私」の結婚生活はまだ始まったばかりで、結婚した「私」の引っ越しの手伝いで妹が家に来ています。
妹も結婚していて、この話は語り手は「私」ですが妹の語る内容のほうが興味深かったです。
「履歴は消したと思っても消すことはできない」ということを妹が言っていて、姉の「私」も自身の過ごしてきた日々を受け止めて大事にしてほしいなと思います。


「履歴のない妹」
語り手の「私」は近々結婚を控えて引っ越しをすることになった27歳の妹の手伝いにきています。
「キッチュ」という言葉が出てきてどんな意味なのか調べてみたら「芸術気取りのまがいもの。俗悪なもの。」とありました。

この話では写真を捨てたがる妹と取っておきたがる姉が印象的でした。
妹は次のように言っていました。

「”本物の” ”生の”写真なんて、私はいらない。嘘っぱちでもいいから、笑顔でピースしてる写真さえあればいい。人生で残しておく思い出は、安心で、たいくつな方がいい」

たしかにふとした瞬間を捉えたり、飾っていない写真は魅力はありますが、思い出として取っておく写真は笑顔でピースなどのほうが良いと思います。


「怒りの漂白剤」
結局は自分のことしか考えていないのに、人の顔色を気にしすぎて気を揉んで早数十年、あちこち考えすぎて暗い思いを溜め込んできた。
冒頭のこの言葉が印象的でした。
今作はこういった思い悩む内面の描写がたくさんあるなと思います。
私も周りを気にしやすいので胸に刺さる言葉でした。

頼んでいる方はささやかな願いのつもりで、特に親しい間柄なら聞いてくれて当たり前だと思っているが、何度も何度も相談ごとが続くと、聞く側はストレスの副流煙を常に受動喫煙させられているようなもので、お金をもらってもやりたくないほど憂鬱な作業となるだろう。
何かを相談したり頼んだりが度を過ぎていることについてのこの言葉も印象的でした。
いくら親しい間柄でも一方的に頼み事や相談事をされ続ければうんざりすると思います。

語り手は自身の怒りっぽさに疲れきっています。
そしてこの話では怒りについてのことが延々書かれています。

会話での相手の言動に引っかかると寝床まで持ち帰って何時間も悩む。
これは私も相手の言動に引っ掛かったりすると引きずりやすいのでよく分かります。
本当に今作の綿矢りささんは私の胸に突き刺さるようなことを次々と書いていて驚きました。


「声の無い誰か」
語り手は主婦の安田で、夫と16歳の娘の優花と暮らしています。
安田家族が住む地域では最近通り魔が出て噂になっています。
子どもの女の子ばかりが次々と襲われて酷い目に遭っているという噂で、安田は優花が被害に遭わないか心配します。
中でも高山小学校ではごく近所で通り魔事件が発生したという話があり、恐怖で不登校になってしまった子もいました。

ただ意外なことに警察と高山小学校から事件はデマと発表があります。
実際には噂だけで、噂のような恐ろしい通り魔事件は起きていないことが明らかになりました。
これですんなり解決かと思いきや、その後に少しホラーな展開がありました。
綿矢りささんはたまにホラーな話を書くことがあり、普段の人と人の触れ合いでの繊細な心の動きを描くのとは違うゾッとする怖さがあります。


「意識のリボン」
語り手は20代半ばくらいの真彩(まあや)です。
真彩には生まれる前の記憶があり、母は真彩の成長記録をyoutubeで全世界に発信しています。
その母は病気で亡くなってしまい、社会人になった真彩は現在父と二人で暮らしています。

ある日真彩は交通事故に遇い臨死体験をします。
魂が体から抜け自身の身体を見下ろしていたり、三途の川の向こう岸に母がいて向こう側に行こうとする真彩を「まあやは戻りなー」と止めてくれたりしていました。
全知全能の神のような雰囲気を感じる「光」に寄り添ってもらいながら空を飛び回ったりもしていて、この臨死体験の描写は独創的で面白かったです。
また真彩は臨死体験の中で次のことを悟りました。

人間は浮き沈みがあってこそ、深く学び、深く輝く。

これは良い言葉だと思いました。
長い人生、浮くこともあれば沈むこともあります。
私は現在完全に気持ちが沈んでいます。
しかしこれも長い人生における一つの経験と考えれば、また気力が復活してきた時に深く輝けるようになるかなと思います。


今回の綿矢さんの作品は初期の作品を思わせるような軽妙な文章の話もあれば、重厚感のある話もありました。
その変化が面白くかなり良い短編集だと思います。
また綿矢りささんの作品を読めるのを楽しみにしています。


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新年

2018-01-01 00:47:06 | ウェブ日記
新年明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします

昨年はとても苦しい年になりました。
特に後半は連日気持ちがうんざりし、立て直すのもままなりませんでした。
今年はぜひ昨年より良い年になってほしいです。

2018年は戌年(いぬどし)です
戌年まで来ると十二支も終わりが近づいてきたなと実感します。
十二支の中では一番総人口に占める割合が少ないとのことです。
犬にはかなりの種類がありますが、十二支の犬にはのほほんとして親しみやすいイメージがあります。
のほほんと、穏やかな気持ちで過ごせる日が多い一年であってほしいです。

昨年は後半にブログの更新が大きく減りましたが続けることはできました。
今年も無理せずマイペースに更新していくのでよろしくお願いします