(こんな場所があったのですね)
(今朝の浅野川、流れに春を感じました)
先日、ご法事で東京からこちらに来ていた先輩にバッタリ!
その先輩から先日メールが届きました。
「あの日、ひさしぶりに実家の後ろに続いている常盤川
を登って、不動滝と明王さまのところに行ってきました。
あの川は用水ではなく、れっきとした自然川というのを知ってた?」
私の家からも近いその場所。
そんなこと全然知らずにいました。
今朝のお散歩時に、偶然その言葉を思い出して
いつも歩く浅野川から脇道に入り、その場所に寄り道してみました。
初めて来たような気がします。
(観音様が迎えてくれました)
だあれもいないその場所をゆっくり散策しました。
置いてあった「おりん」を鳴らすとり~んという音が
耳で聞こえる果ての境界線まで響いていきました。
音が聞こえない空(くう)まで耳をこらす・・・
それは昨年参加した音のワークショップの
長屋さんの言葉でしたね。
私たちは聞こえない世界のどこまで聴こうとしているのか?
私たちは見えない世界のどこまで見ようとしているのか?
人に想像力があるならば、きっとほんとうは果てのない
ところまで心は飛んでいけるはずなのだけど・・。
(今朝の浅野川、流れに春を感じました)
先日、ご法事で東京からこちらに来ていた先輩にバッタリ!
その先輩から先日メールが届きました。
「あの日、ひさしぶりに実家の後ろに続いている常盤川
を登って、不動滝と明王さまのところに行ってきました。
あの川は用水ではなく、れっきとした自然川というのを知ってた?」
私の家からも近いその場所。
そんなこと全然知らずにいました。
今朝のお散歩時に、偶然その言葉を思い出して
いつも歩く浅野川から脇道に入り、その場所に寄り道してみました。
初めて来たような気がします。
(観音様が迎えてくれました)
だあれもいないその場所をゆっくり散策しました。
置いてあった「おりん」を鳴らすとり~んという音が
耳で聞こえる果ての境界線まで響いていきました。
音が聞こえない空(くう)まで耳をこらす・・・
それは昨年参加した音のワークショップの
長屋さんの言葉でしたね。
私たちは聞こえない世界のどこまで聴こうとしているのか?
私たちは見えない世界のどこまで見ようとしているのか?
人に想像力があるならば、きっとほんとうは果てのない
ところまで心は飛んでいけるはずなのだけど・・。