このところ、いつも週末は雨だったり用事が入っていたりでなかなか畑に行けずじまい。今日夕方やっと畑に行けた。畑を一周すると、ビオトープの池では4種類くらいのトンボが盛んに産卵をしていた。唐辛子の収穫をしていると唐辛子の茎にいたおんぶバッタと目がばっちり合ってしまった。さすが仮面ライダーのモデルになっただけあってりりしい顔だ。そこをアップでハイぱちり。虫好きの友人によると、おんぶバッタはおんぶが好きな訳ではなく、上に乗っている小さなバッタが♂。下の大きなバッタが♀で交尾のスタイルという訳らしい。ひと月前くらいに友人とキゴ山へ行ったときは壮観で、広い草原におびただしいほどの数のおんぶバッタがいた。この時に友人からそう教えてもらった。それまでは、おんぶするのはただの趣味だと思っていたが、ちゃ~んと訳があったのだ。ふむふむ。それにしてもこの顔、いいと思いませんか?
今日は友人と待ち合わせて、県立大の大学祭へ。雨が降っていたので人手は少なかったけどその分混んでなくて楽しめた。実験室では「雲をつくる」をやっていたので面白そう!と思って入ってみた。小五の娘も興味津々の様子。中では、氷と塩で砂糖水を凍らせる実験(これ、懐かしすぎる!)や水の中に火のついたマッチを入れて水蒸気をつくる実験(これが雲らしい)をしていたが、一番面白かったのはコップの中に入れたお湯に洗濯のりと台所洗剤を入れて泡を膨らませて空気を見る!という実験だった。
写真ではよく見えないかもしれないが、肉眼では細かい粒子がこのシャボンの中に見える。空気中には目に見えない細かいゴミがいつも沢山漂っていて、水の粒子がそれにくっついてここで見える大きさになるらしい。水の粒子は重いので下に落ちていく。残ったのはゴミのない空気。これは、雨が降って空気中のゴミがきれいに洗い流され美しい空気が誕生するのと同じこと。改めて目の前で雨の働きを見た感じがした。その雨を作るのが森の役割。私たちがいつも美しい空気を吸えるのは、そんな自然の大きな働きがあるってことなんだな。あ~、生かされているなぁ。今日は雨をいつもより愛しく感じられた日だった。
写真ではよく見えないかもしれないが、肉眼では細かい粒子がこのシャボンの中に見える。空気中には目に見えない細かいゴミがいつも沢山漂っていて、水の粒子がそれにくっついてここで見える大きさになるらしい。水の粒子は重いので下に落ちていく。残ったのはゴミのない空気。これは、雨が降って空気中のゴミがきれいに洗い流され美しい空気が誕生するのと同じこと。改めて目の前で雨の働きを見た感じがした。その雨を作るのが森の役割。私たちがいつも美しい空気を吸えるのは、そんな自然の大きな働きがあるってことなんだな。あ~、生かされているなぁ。今日は雨をいつもより愛しく感じられた日だった。
小五の娘が同級生の男の子に何かもらったと言って帰ってきた。「え~、見せて見せて!」と見せてくれない娘の前で暴れてみせたが「あとで!」とつれない態度。夜は出かける用事があるからというと「じゃあ、机の上に置いておくから帰ってきてから見てね」といわれた。全くどっちが大人かわからない。帰ってきて机の上を見ると○○さんへ ○○より と書いた小さな箱が置いてあった。中を開くと、富士山のおみやげとお手紙が。手紙を開いてみると正真正銘のラブレター。一生懸命書いたことがつたない字から伝わってくる。素直で純粋な気持ちがストレートに書かれた文面は、大人でもなかなか書けないような気持ちのいい文章だ。子どもの書く手紙でもちゃんとその子を現しているんだなと思った。小学5年生というと男の子は成長段階で女の子より頭一つ分背が低い年頃。この頃にはもう女の子に恋心を抱くものなのかな。(これを読んだ男性は教えてね)この男の子は娘と保育園から一緒でいつもリレーの選手をしていたっけ?最近はクラスも違うのであまり娘の話から出て来なかったけど、柴犬の子犬のような顔をした男の子らしい可愛さのある子だ。
次の日、学校に行く娘を見送りながら「あの手紙は思い出に残る大切なものだから、大事にしなくちゃね!」というと娘は「うん!」と笑いながら学校へ向って走っていった。
次の日、学校に行く娘を見送りながら「あの手紙は思い出に残る大切なものだから、大事にしなくちゃね!」というと娘は「うん!」と笑いながら学校へ向って走っていった。
昨夜は、地球環境と平和の市民NGO金沢「地球村」の集まりの日だった。月に2回、仲間たちと集まってミーティングをしている。今の世界の現状を知り少しでもいい方向に向かうために、まずこの地球村での軸は、ひとりひとりが【非対立の実践・人間関係をよくする・受けとめられる人になる&伝えられる人になる・腹の立たない人になる・幸せの実践&幸せの種をまける人になる】というものだ。頭では理解できても個々としてどこまで行動していけるのか、というところが難しいねとそんな意見もでた。昨日のテーマは、新旧集まった一人からの提案でその軸を通して「自分たちが何をしたいのか?どこに進んでいくのか?」というものだった。確かに何人かの人が言うように、ここの場は他になかなかあるようでない本音で何でも話せる場、年齢・性別・職業を越えて家族のように付き合える数少ない場なのだろう。だからいろんな活動をしながらも、やっぱりここを拠点にしたくなる。でも、やっぱりそれだけじゃ物足りないよね。平和のために地球のために、少しづつでも動いていきたいね。そんな話が参加者同士でできた日だった。人に求めるのではなく、自分が動く!この場に集まってくる顔の見える仲間たちだからこそできること。それを探していこう!そんな、新たな気持ちの入れ替えのできたいい集まりだった。その後の反省会にもほとんど全員で参加、ミーティングの感想を出し合った。さぁ、そんな場に興味のある方はさっそく顔を出してみませんか?
映画を観たら見た映画の点数をつける。もちろん独断と偏見もあるだろうが、これをずっと昔からやっている。先日、映画「モディリアーニ」を観てきた。20年以上前にTVでやっていたモノクロ映画「モンパルナスの灯」も主人公はモディリアーニだった。そんな以前に見た映画だが絵が売れずに若くして亡くなったことや、妻がその後を追って自殺。独特の個性的な絵がとても印象深くて心に残っている。私の中にモディリアーニが刻み込まれたのもこの映画のせいかもしれない。今回の新作映画「モディリアーニ」はピカソとの激しいライバル意識を縦軸に、芸術家の男たちのエネルギーを振り絞る闘争心や退廃していく生活、妻との愛情などに焦点を当てて描かれていた。いまいちなのは、この映画を作る視点があまりにドラマティックに描き出したいための誇張が強すぎて作り物っぽい感じがしたことだ。それでもモディリアーニの絵から漂ってくる“静”の世界は私を惹き込ませる。そして、やっぱり言葉ではうまく表現できないけれどモディリアーニは映画にしたいと思わせる魅力的な男だと思う。妻と出会って3年の生活。身重だった彼女の“若さ”が彼のあとを追わせたのだろう。美しいもののベールを剥いでいくと違うものが見えてくる。
急に秋が深まって気温が下がると、にゃぁ!(乗ってもいい?)といいながらパソコンに向う私のひざに飛び乗ってくるのは、3匹のうちの1匹のメス猫ミュー。ひざに乗ってきたところをハイ・パチリ。少々重さが気になるが、私も猫の純毛であったかいからまっいいか!最初は我慢しているがやっぱり仕事がはかどらないのでひざから降りてもらう。これを1日何回も繰り返しているから笑っちゃう。学びがないと言うか何と言うか。猫は何より自分に正直、快感を選ぶ動物だ。人も猫のように生きれたらもっと寿命がのびるかもしれないね!今日は先日の撮影で出来上がったフィルムをカメラマンの方が届けてくれた。玄関にいた3匹の猫を目を細くしてなでながら「一日、こうしていたいな」と言った。わかるわかるその気持ち。猫は猫好き同士を仲良くさせる力もあるから、あら不思議。
今夜は都合の悪くなった人に頼まれて、電話カウンセリングのお当番。行ってみると相方はNさん。気が合う方なのだが、最近一緒にお当番になることもなかったので久々の再会だった。会えなかった間の、先の選挙の話から地球環境の話、ペットの話に家族の話と次々と会話が弾む。帰り道、車の前でまた立ち話。カウンセリングの講座の話や、ドキュメンタリードラマの話までして軽く40分経過。こうして文にするとおばさんのノリのようで笑ってしまうが、親しくしたい人とはずっとつながっていたい。そうして輪を広げて人間関係を楽しみたい。何の言葉もなく、ただ一緒にいて心地いい人。心がそう感じる人と時を共にしたい。
昨日は、午前中は子ども絵画教室。午後から版画制作をして、夕方からはカメラマンのスタジオでデザインの仕事の商品撮影。終わったのは夜の9時で一日中、忙しかった。そして今日は、朝から版画制作の続き。木版画で作品制作を始めてから、あっという間に2年が経った。2年間の間に、少しずつ自分の版画作品が増えてきた。今日は工房にこもって初期に作り始めた版画の刷り直しを仕上げた。彫りも刷りも奥の深い世界で、上達するにはまだまだ時間がかかりそうだ。それでも、初期の頃の作品をみると彫りもいい加減だし、刷りも甘い。昨日今日と修正を加えながら刷り直しをしてみた。まだまだ、自分が満足できるところにたどり着いていないな。集中して作っているので自分のエネルギーを使い果たしてしまい、一つの作品ができるとクタクタになってしまう。少し休んでエネルギーを蓄えたら、さぁ、また前に進もう。
キスの味と言っても、恋するブチューのkissではない、魚のキスである。いただき物が重なる日がある。昨日という日がそんな日で、朝に珍味のアケビをいただいたと思ったら夕方、今度はお隣さんの若いご主人から釣りたての大きな落ちギスを6匹もいただいた。釣り好きでよくあちこちに出かけるらしいが、いつも獲物を持ってくるところを見ると、なかなかいい釣り師の腕のようだ。ため息の出るような鱗のきらめき、白肌のなまめかしさ。そんなキスの顔を見ながら、どんなふうにお料理しようかと考えて今回は煮付けに。ほんのり甘くて、身のしまった味はとても豪華な夕食の一品になった。山の幸と海の幸が一度に味わえたまさしく恵みの秋、絶好調の日だったな。
今朝、ご近所の方からアケビをいただいた。こんなに大きなアケビは久しぶりに見た。どんなふうに楽しもうか・・・・と考えて、まずは記念に写真撮影。その次は、インターネットでお料理法を探る。こんな時に、インターネットはとても役に立つ優れもの。その中で、私が選んだのは『アケビの果実酒漬け』と『アケビの皮の味噌炒め』。炒める皮の実は子どもたちと食べてみよう!
アケビといえば、我が家では春先につるを摘んできておひたしにする。昔、友人が新潟に別荘を持っていてそこにお招きしてもらって遊びに行った。その地では、木の芽はアケビのつるのことで束にして売っていた。春の山菜の苦みとアケビの芳香が入り混じった独特の味。気に入ったものはすぐに取り入れるこの性格。すっかり我が家で定着したという訳だ。漢方では利尿作用がある、このアケビ酒。熟成までに1ヶ月半。味見したい人はどうぞ我が家へ!
アケビといえば、我が家では春先につるを摘んできておひたしにする。昔、友人が新潟に別荘を持っていてそこにお招きしてもらって遊びに行った。その地では、木の芽はアケビのつるのことで束にして売っていた。春の山菜の苦みとアケビの芳香が入り混じった独特の味。気に入ったものはすぐに取り入れるこの性格。すっかり我が家で定着したという訳だ。漢方では利尿作用がある、このアケビ酒。熟成までに1ヶ月半。味見したい人はどうぞ我が家へ!
小学生の娘が残業で遅いお父さんの赤い貯金箱から、ちゃべちゃべと小銭を出して数え始めた。時々、彼女がしたくなることのようだ。ていねいに小銭を床に並べて隣の部屋に行ったスキを狙ったのが、飼っているメス猫ルー。ちょこんと座って小銭を眺めだした。子どものすることも猫のすることもよく分からないが、きっと何も考えずに行動しているんだと思う。その瞬間を撮ったのがこの一枚。猫も子どもも時間がある時にじっくり遠くから眺めてみたらいい。時々、実に不思議な行動をしている。
そういえば、この猫は友人が連れてきたもの。もうすでに我が家には猫が1匹いたので、大人の猫をまさか飼うことになるとは思わなかった。子猫のときはどこでどうしていたのだろう?今でも時々ルーに聞く。「ねぇ、あんたは何処で生まれて育ってきたの?」。ルーは緑色の瞳でいつも私にこう答える。「そんなこと、忘れちゃったニャ~」。
そういえば、この猫は友人が連れてきたもの。もうすでに我が家には猫が1匹いたので、大人の猫をまさか飼うことになるとは思わなかった。子猫のときはどこでどうしていたのだろう?今でも時々ルーに聞く。「ねぇ、あんたは何処で生まれて育ってきたの?」。ルーは緑色の瞳でいつも私にこう答える。「そんなこと、忘れちゃったニャ~」。
アボガドを初めて食べたのは、確か大学を卒業した頃。デザインプロダクションに就職して東京に住んでた時に、新宿のワインハウスで注文したのが出会いだ。もう20年以上前のこと。好奇心旺盛な性格なので、珍しいものや知らないものはなんでも食べてみたいと、今までいろいろチャレンジしてきた。さすがにその中で定番になるものは数少ないけれどね。(笑)食べたあとの種から苗を育てていたこともあったなぁ!このアボガドを久しぶりに食べたくなって買ってきたが、このアボガドに限っては食べ方はワンパターン。主婦の力を発揮できていない。初めて食べた時と同じように、わさび醤油につけてお刺身風に食べるのが一番美味しいと思っている。アボガド、こんなふうにしても美味しいよというのがあったら、アボガドとの出会い話と共ににぜひ教えてほしいな!
6月の始めに、シネモンドで『タイマグラばあちゃん』というドキュメンタリー映画を観た。山村入植して十軒くらいの家族が山奥での生活を始めたが、山の暮らしの厳しさに一人二人去り、最後に一軒、老夫婦二人だけが残った。そこでの日々の山の生活を追ったものだった。山の中では稲が育たず、広い面積で作るジャガイモが二人の主食であった。大豆も沢山作っていて、天井に吊るして作る味噌づくりは一年の大事な行事だった。冬場にイモを凍らせて粉にして団子を作り、味噌鍋の中に団子を入れて食べる。二人はそんな山の自給自足の生活をとても愛していて、できれば死ぬまでずっとそんな生活をしていたかったようだ。地球環境がこれからもどんどん悪化すれば、輸入に頼る日本の食生活は成り立たない。自分の手で食べ物を得なくてはならなくなれば、手のかかる米づくりよりジャガイモは簡単でいいかもしれないな。先日ブログに書いたフジ子ヘミングもジャガイモのおかげで私は元気なのよ!と書いていた。そして欠かさず毎日食べているそうだ。そんなささやかなことを、今日は書き留めたいと思った日だった。
テーマ投稿したものが今朝の朝刊に載りました。テーマは『こけ狩り』。今秋、美味しいきのこを食べましたか?
「毎年このシーズンはこけ狩りの話題があちこちで聞かれる。それだけ、私たちの住んでいる所は自然に恵まれているということなのだろう。私の趣味はバードウォッチング。秋に森の中に入るといろんなキノコに出会う。それでも、あまりキノコに詳しくはないので絶対大丈夫という安全なものしか採って来ない。去年は、友人と偶然とても派手な色をしたキノコを見つけた。あまりにきれいな色なので記念に写真を写した。帰って来てそのきのこを図鑑で調べるとてっきり毒キノコだと思い込んでいたがタマゴダケという美味しいキノコらしい。今年は友人とそのキノコを、まだかまだかと待ちわびている。」
「毎年このシーズンはこけ狩りの話題があちこちで聞かれる。それだけ、私たちの住んでいる所は自然に恵まれているということなのだろう。私の趣味はバードウォッチング。秋に森の中に入るといろんなキノコに出会う。それでも、あまりキノコに詳しくはないので絶対大丈夫という安全なものしか採って来ない。去年は、友人と偶然とても派手な色をしたキノコを見つけた。あまりにきれいな色なので記念に写真を写した。帰って来てそのきのこを図鑑で調べるとてっきり毒キノコだと思い込んでいたがタマゴダケという美味しいキノコらしい。今年は友人とそのキノコを、まだかまだかと待ちわびている。」
体は空っぽのカラからきていて、みんなは体にものが詰まっていると思っているが、実はそうではなくて“通り道”らしい。自分の体と思っているのは自分の所有物ではなく、大自然の循環の一部であって地球上の物質やエネルギーが通り過ぎているのに過ぎない。この通りがいいことが健康ということらしい。この言葉を読んで「へぇ~、なるほど」と、とても共感できた。これには心がものすごく関わっているという。これは、大好きな映画監督・龍村仁さんのインタビュー記事に出てきたものだが、この大切な心のあり方は素直に受け入れるということ。素直に受け入れることができれば体がいろんなことに順応して通り道が開いていくという。これはくよくよせずに、さっさとあきらめるということにも通じるかもしれない。同じような言葉は、先日TVで見たドキュメンタリードラマの『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ我が子へ』の主人公の青年医師も語っていた。健康な状態の自分を思い出していつまでも現実を受け入れられない人は治療が進まず、どんな状況であれ今の状況を受け入れた人はいろんな困難を克服していくと。
人は、いいことは受け入れやすいが、都合の悪いことはなかなか受け入れられない生き物だと思う。けれど、『素直に受け入れれば通り道は簡単に開く!』この言葉を私は自分の歩く道に忘れずに大事に持っていたいと思う。
人は、いいことは受け入れやすいが、都合の悪いことはなかなか受け入れられない生き物だと思う。けれど、『素直に受け入れれば通り道は簡単に開く!』この言葉を私は自分の歩く道に忘れずに大事に持っていたいと思う。