今日は特別な日となるわけだが 今朝も相変わらずいつものように2時起床
そしていつものように先週の株価 ニュース 銀行のチェックなどで時間が過ぎていく
何が特別な日であるかといえば もちろんアメリカの独立記念日July4th それにコネリンの誕生日
それもオフィシャルなリタイヤーメントの歳 62歳になったわけである 普通なら”感無量”になるべきなのだろうが な~~~んにも感じない
昨日の延長なのである そう 英語で言えば”Just another day!!”なのである
とまぁ~くだらない書き出しですがちょっと自分のために過去を振り返ってみる
28歳の時改めて駐在としてシアトル、WAに入りその数年後にはこのLAに(改めてと書いたのはそれ以前には日本とアメリカを行ったりきたりしていた) すでに34年間アメリカに住んでいる 自分の人生の半分以上がこのアメリカでお世話になっている
34歳のときにはとも子と知り合い今では28年間一緒にいる
このとも子と知り合ったことが人生最大の幸運だと思うし またこのアメリカと言う国で生活できていることにも感謝している
このアメリカには”アメリカンドリーム”という言葉があるが自分ではその”真似事”のようなことも出来たしーーー
これらはそれこそアメリカの”システム"が良かった 最初に買った家が3年後には3倍になったとか家の購入の利子は全額 税金控除になるなど(これは現在では2軒までしか認められていないが当時は何件でも税金控除であった) 税金も自己申告制などが上げられる
一軒目の家が3倍になった”うまみ”にその後 数年後は一年に数件の家を購入して借家にもしていた
しかしもちろん失敗もある 調子に乗って小さいアパートを購入して3年も過ぎたころだったろうか”湾岸戦争”が始まり軍人で埋まっていたそのアパートは一度にすべてが空き家 その後は貸すに貸せず3年間と言う長い間 モーゲージを払い続けたと言う そのローンを払い続けるため
別の借家を一軒づつ手放していった などなど
その後は家という投資から離れ 当時のブームだった”株式投資”に専念
ここでもアメリカの投資システムに感謝 日本だと百万円単位でないと投資できなかったがここアメリカではわずかな金額でもアカウントが持てた
この投資でもとも子と二人で十分な”ぬるま湯ライフスタイル”が持てた
何かいかにも初めからお金持ちのように聞こえるかもしれないが これがまったく違う
とも子と知り合ったときなどコネリンは”文無し” 自分のアパートすら借りることができず知人のアパートに居候をしていた それにとも子をデートに誘うこともできなかったと言うくらい金がなかった とも子を誘ってディナーに言った記憶などまったくない
それに仕事 日本でのデグリーなどこちらではまったく通用しない そう 仕事もまともにはつけずキッチンヘルパー ウエイターなど最低の仕事
アパートのレントを払うまでにはいたらなかった ただ救われたのがコネリンは11歳のころからテニスをしていた 一時はこちらでサーキットを回り賞金稼ぎみたいなことをしていた その経験がテニスを教えると言うことでわずかな収入のヘルプになったのも事実
それらの一つづつ取れば少ない収入でも一日に3つもこなせば人並みの収入になったというわけです
まぁ~ こんな具合で34年間ここに生活している
またライフスタイルと言えば35~6歳の時ブランニューのコルベットを買ったのを皮切りにジャガーも4ドアーセダン 2シータのオープンスポーツカーと2台 それにレンジローバーなどなどイギリス車 いわゆる高価格車なども楽しんだし 39歳の時など4人乗りセスナ172も手にいれそれに飽きると今度は6人乗りのツインセスナ337 スカイマスターでアメリカ大陸を横断したりと まぁ~お金持ちの真似事もした
まだある スクーバーダイビングを始めたときには(50歳にはなっていたと思う) 道具の一部だと言うことで28フィートのキャビンクルーザーまで乗りこなしていた(飛行機や船は中古)
ひゃぁ~~ なんとも今考えると遊びほうけの人生 これが数年前から2007年の株の暴落 アメリカのリセッションで”節約 節約”の人生だもんね
でも 楽し~~~~い このように今62歳になって自分の人生 振り返ってみても文無しの時も調子の良い時も同じように楽しかったと思うし これからまだまだ20年くらいはいきなければならないだろうし たぶんこれからも楽しめるのでないかと思う
改めてとも子とこのアメリカに”感謝”する
そうそう ガレージのリモデル ここまで来た
すでに2週間め スクリュー穴やドライウォールのつなぎ目にコンパウンドとテープで埋め乾いたらサンディング
これを三回繰り返す そして後はプライマーとペイントのみ
けっこうよく出来ている と思うーーーーー
そしていつものように先週の株価 ニュース 銀行のチェックなどで時間が過ぎていく
何が特別な日であるかといえば もちろんアメリカの独立記念日July4th それにコネリンの誕生日
それもオフィシャルなリタイヤーメントの歳 62歳になったわけである 普通なら”感無量”になるべきなのだろうが な~~~んにも感じない
昨日の延長なのである そう 英語で言えば”Just another day!!”なのである
とまぁ~くだらない書き出しですがちょっと自分のために過去を振り返ってみる
28歳の時改めて駐在としてシアトル、WAに入りその数年後にはこのLAに(改めてと書いたのはそれ以前には日本とアメリカを行ったりきたりしていた) すでに34年間アメリカに住んでいる 自分の人生の半分以上がこのアメリカでお世話になっている
34歳のときにはとも子と知り合い今では28年間一緒にいる
このとも子と知り合ったことが人生最大の幸運だと思うし またこのアメリカと言う国で生活できていることにも感謝している
このアメリカには”アメリカンドリーム”という言葉があるが自分ではその”真似事”のようなことも出来たしーーー
これらはそれこそアメリカの”システム"が良かった 最初に買った家が3年後には3倍になったとか家の購入の利子は全額 税金控除になるなど(これは現在では2軒までしか認められていないが当時は何件でも税金控除であった) 税金も自己申告制などが上げられる
一軒目の家が3倍になった”うまみ”にその後 数年後は一年に数件の家を購入して借家にもしていた
しかしもちろん失敗もある 調子に乗って小さいアパートを購入して3年も過ぎたころだったろうか”湾岸戦争”が始まり軍人で埋まっていたそのアパートは一度にすべてが空き家 その後は貸すに貸せず3年間と言う長い間 モーゲージを払い続けたと言う そのローンを払い続けるため
別の借家を一軒づつ手放していった などなど
その後は家という投資から離れ 当時のブームだった”株式投資”に専念
ここでもアメリカの投資システムに感謝 日本だと百万円単位でないと投資できなかったがここアメリカではわずかな金額でもアカウントが持てた
この投資でもとも子と二人で十分な”ぬるま湯ライフスタイル”が持てた
何かいかにも初めからお金持ちのように聞こえるかもしれないが これがまったく違う
とも子と知り合ったときなどコネリンは”文無し” 自分のアパートすら借りることができず知人のアパートに居候をしていた それにとも子をデートに誘うこともできなかったと言うくらい金がなかった とも子を誘ってディナーに言った記憶などまったくない
それに仕事 日本でのデグリーなどこちらではまったく通用しない そう 仕事もまともにはつけずキッチンヘルパー ウエイターなど最低の仕事
アパートのレントを払うまでにはいたらなかった ただ救われたのがコネリンは11歳のころからテニスをしていた 一時はこちらでサーキットを回り賞金稼ぎみたいなことをしていた その経験がテニスを教えると言うことでわずかな収入のヘルプになったのも事実
それらの一つづつ取れば少ない収入でも一日に3つもこなせば人並みの収入になったというわけです
まぁ~ こんな具合で34年間ここに生活している
またライフスタイルと言えば35~6歳の時ブランニューのコルベットを買ったのを皮切りにジャガーも4ドアーセダン 2シータのオープンスポーツカーと2台 それにレンジローバーなどなどイギリス車 いわゆる高価格車なども楽しんだし 39歳の時など4人乗りセスナ172も手にいれそれに飽きると今度は6人乗りのツインセスナ337 スカイマスターでアメリカ大陸を横断したりと まぁ~お金持ちの真似事もした
まだある スクーバーダイビングを始めたときには(50歳にはなっていたと思う) 道具の一部だと言うことで28フィートのキャビンクルーザーまで乗りこなしていた(飛行機や船は中古)
ひゃぁ~~ なんとも今考えると遊びほうけの人生 これが数年前から2007年の株の暴落 アメリカのリセッションで”節約 節約”の人生だもんね
でも 楽し~~~~い このように今62歳になって自分の人生 振り返ってみても文無しの時も調子の良い時も同じように楽しかったと思うし これからまだまだ20年くらいはいきなければならないだろうし たぶんこれからも楽しめるのでないかと思う
改めてとも子とこのアメリカに”感謝”する
そうそう ガレージのリモデル ここまで来た
すでに2週間め スクリュー穴やドライウォールのつなぎ目にコンパウンドとテープで埋め乾いたらサンディング
これを三回繰り返す そして後はプライマーとペイントのみ
けっこうよく出来ている と思うーーーーー
ENDOさんも会社のきりもみ 頑張ってくださいね
大先輩としてこれからも元気で毎日を楽しんでください!またお会いできます事楽しみにしております。
いつでもハッピーアワーにきてくださいね
近いうちに お会いしたいですね。