Catnap Room of にゃんこ

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけてます♪

5 回分をフル活用

2024-09-12 12:03:00 | 旅行
今年も青春 18 きっぷの夏が終わりました (笑)

青春 18 きっぷとは、年に 3 回、春・夏・冬に発売される、 JR 普通車限定の全国乗り放題きっぷの通称で、 1982 年 (昭和 58 年) から 40 年以上にわたって発売され続けている 「ロングランきっぷ」 です。

私がこのきっぷを初めて使ったのは、 2015 年夏のこと。
会社の夏休みが異例の 11 日間だったことから、体力があるうちに一度体験してみたいと挑戦したものだったのですが、これが思いのほか楽しかった。
このときは、ほとんど観光もせず (笑) ただただ列車に乗り続けていた 3 日間。



あまった2回分のきっぷは、オークションで売ったんだったなー。

2 回目は、それから 10 年ちかくも経過した今年、 2024 年の正月。
きっかけはやはり、直前に決まった年末年始休暇が 14 日間だったこと。
今回は、きちんと観光も設定し、初詣 1 日+城巡り 3 日の 4 日間。



今回も、発売期限ぎりぎりで購入したこともあり、きっぷが 1 回分余ったまま終了。
もちろん十分にモトは取れているのだが、 5 日間使用可能のきっぷをコンプリートしたいという新たな目標が示されたわけだ。

そして訪れた 2024 年夏。
使用期間 7/20 ~ 9/10 を最大限利用すべく、第一弾は 7/21 ~ 22 日の飯田線旅行で 2 日。
第二弾は、 8/11 の碓氷峠日帰りで 1 日。
そして、残り 2 回分は、私のたっての希望で、初めての 2 人旅に利用いたしました。
友人へのアプローチは、 「 18 きっぷで、御殿場線の乗りテツしませんか?」

当日は、友人の最寄り駅で待ち合わせ。
18 きっぷのセオリーに従い、いったん改札を出て、友人と共に再度入場。
ここで最後の乗車スタンプが押されて、無事コンプリート (笑)



コンプリートもうれしいけど、やっぱり初めての御殿場線乗車もうれしい。
東海道本線の 「国府津駅」 で乗り換えて、いざ 「御殿場線」 に進入!

ところで、御殿場線は、もともと東海道本線だったんですよ・・・・って、テツじゃなきゃ知らないよね、そんなこと (笑)

東海道本線が開通した当初は、まだ熱海-函南間の 「丹那トンネル」 が開通できておらず、東海道本線は、現在の御殿場線を利用した箱根越えルートでした。
この区間も、 「碓氷峠」 同様の急こう配で、国府津駅と沼津駅で、登坂用の機関車を連結せざるを得ず、東海道の輸送における 「ボトルネック」 だったのですが、 15 年以上の工事期間を経て、丹那トンネルが開通すると、待ってましたとばかりに丹那トンネル経由に変更され、箱根超えルートは、アッという間にローカル風味満載の 「御殿場線」 に・・・・・。

ちなみに、鉄道唱歌 (第一集) の 12 番から 16 番に唄われている歌詞は、御殿場線が東海道本線だったころの話ですが、改めて見ると旅情を掻き立てられますね。
鉄道唱歌って、多分当時のテツが作詞した歌ではないかと (笑)
興味がある方はググってちょ。

しかしながら、現在の御殿場線はなかなかの地方路線。
ホームの長さだけが、当時の栄華を物語っておりますが、酒匂川に沿って進む御殿場線は、私の大好きな山と渓谷風景で、いつまでも眺めていられるわー (笑)



神奈川県と静岡県の県境を越えて、足柄駅で途中下車。



2020 年から供用されたこの駅舎は、国立競技場を設計した 「隅研吾」 さんの作品で、足柄駅の交流センターも兼ねております。



次の列車が到着するまで、ここから富士山を眺めるも、ちょっと微妙・・・・・。



御殿場線完乗後は、沼津駅から、バスで沼津港へ向かう。
沼津港は、駿河湾やその近海で獲れる魚介類の宝庫で、魚市場もありますよ。
目的はもちろん・・・・・かいせんどーん!・・・・・なんですが、がっつきすぎて写真撮るのを忘れました・・・・・ (笑)

お店はこちら → 海鮮丼専門店 五鉄

ランチの後は、散歩がてらに三島下車。
駅前の楽寿園 (旧小松宮別邸) から、水の都・三島を代表する水辺スポット 「源兵衛川」 へ向かう。
この源兵衛川は、木道や飛び石で 1.5 キロにわたって水辺に散策路が設けられているのですが、この日は水量が多く、散策路が水没 (笑) していたので、散策は断念。



こどもたちがプール替わりの水遊びをしていて、気持ちよさそうでした。

またどこかへ行きたいなー。
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碓氷峠を歩こう

2024-08-25 07:17:13 | 旅行
吾妻はやとし大和武
嘆き給いし碓井山
穿つ隧道 (トンネル) 二十六
夢にもこゆる汽車の道 (長野県歌 「信濃の国」 より)

1997 年 10 月に開業された北陸新幹線 (当時は「長野行新幹線」) は、長野、金沢を通って現在は敦賀まで延伸されている。

この blog でも何度か紹介しているが、越後出身の母と、信濃出身の父をもつ私は、それぞれの実家へ行くために、必ずといっていいほど、この北陸新幹線の前身ともいうべき 「信越本線」 を利用していたのだ。

 

私が語る 「信越本線」 とは、上野を起点に高崎~横川~軽井沢~上田を経由して直江津まで特急 1 本でつながっていた路線のことなのだが、この新幹線の開業を機に状況は一変する。

碓氷峠を挟む、横川-軽井沢間の路線は廃止となり、直江津に至るまでの路線も JR から一部が分断され、第三セクターの 「しなの鉄道」 「えちごトキめき鉄道」 への乗り継ぎが必須となった。
私の生まれ故郷である 「直江津」 まで、特急 1 本で行けた時代は、遠い過去のものとなる。

ところで、私が 「遠い過去」 と言っている信越本線は、電化された 1963 年 (昭和 38 年) から、新幹線が開通する 1997 年  (平成 9 年) までの話なのだが、実はこの路線の歴史は、それより遥か昔の 1893 年 (明治 26 年) までさかのぼる。
新橋-横浜間に、初めて鉄道が通ってからさほど時を経ずして、この急こう配の難所に鉄道敷設が計画されるほど、この信濃と越後をむすぶ鉄道路線は重要な道であったのだろう。

当初採用されていたアプト式 ( 2 本のレールの真ん中に敷設されたラックレールを、車両に設置された歯車を噛ませて急こう配を上り下りする) も、徐々に電化の道をたどり、この 「旧線」 のやや北に位置する場所に迂回路として 「新線」 が敷設されたのち、この勾配が 66.7 パーミルもあった 「旧線」 は 「新線」 にその道を譲り、しずかに廃線となっていったのである。
・・・・・・まぁ今となっては、新幹線にその道を譲った 「新線」 も廃線となっているのだが (笑)

さて。
2024 年の 「山の日」 に、この 「廃線」 跡を歩いてきましてね。
もう 「山の日」 イベントにはうってつけ。
そして、うすうすお気づきかとは思いますが、先月使用した 「青春 18 きっぷ」 を再度活用し、横川へ向かって各駅停車で GO! です。



この横川から約 5 キロ離れた 「碓井第三橋梁」 が本日の目的地・・・・・なのですが、 「アプトの道」 として整備はされているものの名だたる急こう配の碓氷峠へ向かう往路は、なるべく歩きたくないのが本音。



旧道を通る JR バスや、その他の方法を探っていく中で、横川駅前にある 「碓氷峠鉄道文化むら」 から 3 キロの地点までトロッコ列車が運転していることを知り、これに乗ることにする。

 

途中駅 「とうげのゆ」 から 2 キロの廃線跡は歩くしかないが、整備されている 「アプトの道」 はそこそこ歩きやすく、トンネルの中は程よく涼しくてありがたい (笑)

 

5 個目のトンネルを抜けると目的地 「碓井第三橋梁」 (通称・めがね橋)

 

遊歩道を下りて、下から眺めるめがね橋に圧倒される。

      

200 万個を超えるレンガで造られた日本最大の 4 連アーチ式鉄道橋。

もしかしたら、私は幼い頃、列車に乗ってこの橋を渡っているのかもしれないが、この橋は下から見上げることに意義があるわね。

帰りはアプトの道 (約 5 キロ) を歩いて横川へ戻ります。

  

復路は下りだから、少しは楽 (笑)

碓氷峠を行き来する列車に電力を供給した、旧丸山変電所は国の重要文化財。

 

たくさん歩いたご褒美は、もちろん 「峠の釜めし」
横川駅構内や駅前、ちょっと離れた国道沿いのドライブインでは、現在も全国的な人気を誇る 「おぎのや」 の 「峠の釜めし」 が健在である。

 

幼いころから、もう何十回も食べている変わらない味。
やっぱり美味しい!
そして・・・・・懐かしい。
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18 きっぷで飯田線 その 2

2024-08-03 07:34:40 | 旅行
翌日、駒ヶ根駅に近いホテルで目を覚ましたのは、まだ夜も明けきらぬ 4 時半頃である。
前日に購入しておいたロールパンとコーヒーを朝食として、 5 時半にはホテルを出発する。
 
 
出発を急ぐ理由は、 1 時間に 1 本しか列車がない飯田線を豊橋まで完乗しつつも、沿線の天竜峡で途中下車したいからに他ならない。
 
駒ヶ根駅から約 2 時間で、天竜峡駅に到着。
 
 
 
駅前の観光案内所でお散歩マップを頂き、天龍川渓谷の遊歩道を歩いていきます!
 
 
 
実はこの遊歩道も、一部土砂崩れで通行止めになっているため、本来できるはずの回遊ができなかったのですが、眼下に天龍川渓谷を臨みつつ、大好きな吊り橋 (つつじ橋) を往復してきましたー。
 
 
 
 
 
天竜ライン下りもこの場所から乗船できるのだが、今回は列車の時間が合わずに諦める。
 
 
駒ヶ根にしても、天龍峡にしても、現在はほとんどの観光客が車の利用だそうで、ローカル線愛好者には、なかなかハードルが高い場所ではある・・・。
 
ここから先は、飯田線名物の (?) 秘境駅と、眼下に流れる天龍川を車窓から堪能しつつ、乗り継ぎ駅の中部天竜駅まで、ひたすら電車に乗り続けていきますよ!
 
 
中部天竜駅で 1 時間弱の待ち合わせ時間を利用し、駅の近くを散策。
天龍川にかかる赤い橋が木々の緑と青空に映えて綺麗! 
 
 
 
年に数回、この飯田線を走る 「飯田線秘境駅号」 なる、テツしか乗らぬであろう特別列車 (急行) が運転される。
飯田線に乗る前は、路線全部が 「秘境」 のようなイメージを抱いていたのだが、実はそんなことはなく、いわゆる秘境路線は、天龍峡から水窪までの 1 時間ぐらいの間だけだ。
秘境駅号以外の列車は各駅の停車時間も短いので、列車から降りることも叶わないが、車窓から見ているだけでも、その雰囲気は十分伝わってくる。
ホント、小さいホームと眼下に流れる天龍川・・・・・のみです (笑)
しかしながら、おそらく最初で最後の飯田線、一度は完乗してみたいと思っていた飯田線、十分に堪能させていただいて感謝感激でございます。 (テツ丸出し)
 
さてここからは、本格的に家路をたどるわけですが・・・・実はこの時の私、ちょっとした覚悟を持って、豊橋駅へ向かっておりました・・・。
その理由は、この日の未明、東海道新幹線の保守用車両 2 台が衝突・脱線、浜松-名古屋間で終日新幹線の運転が中止されていることに起因するわけです・・・・。
新幹線が不通なら、人が在来線に流れるであろうことは、容易に想像がつきますよね。
もともと私が乗るのは在来線なのだが、新幹線から流れてくる乗客たちもおそらく相当数いることだろう。
到着する豊橋駅はどんなことになっているのか、それ以上に、在来線はちゃんと動いているのか・・・・いろいろ不安は尽きない。
 
到着した豊橋駅では、確かにキャスターバッグをひっぱった家族連れが右往左往してはいたのだが、JR の職員さんたちが、一生懸命そして適格に誘導してくれたおかげで、私自身はさほど苦労することなく浜松行きの臨時列車に乗車でき (しかも奇跡的に座れる・・・・)、 浜松駅からは新幹線に勝るとも劣らない、特急並みの座り心地のいい前向き座席の車両で熱海へ向かい、当初の予定より 30 分ほど遅れたものの、無事に帰宅することができました。
 
やっぱり旅行って楽しい!
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18 きっぷで飯田線 その 1

2024-08-02 05:14:28 | 旅行
今は亡き両親も、私同様の旅行好きであったので、そんな旅行写真が、アルバムだったり、ネガフィルムだったりで、大量に残っている。
両親の人生の軌跡のようなこの写真やネガフィルムを、そのまま処分するに忍びず、時間をかけて ちょっとずつデジタル化 してきたのだが、先日この作業がようやく終わりましてね。 (ちなみに私個人のネガは手つかず/笑)
 
最後に手掛けたネガは、両親がまだ 50 代半ばの 1981 年に、母の兄姉たちと行った 「恵那峡・駒ヶ根」 旅行の写真だったのだが、これをデジタル処理していて気が付いた・・・というか思い出したことがある。
 
恵那峡の写真は、風光明媚な渓谷の風景や兄姉たちとのにこやかな集合写真などが、ごく普通に写されていたのだが、駒ヶ根に場所を移したあとは、駒ヶ根駅周辺と、中央アルプスの千畳敷に上る前の 「しらび平」 周辺の写真しかなく、そのあとは、なぜかいきなり 「宴会写真」 になっていたのだ。
 
いちばん撮っておくべき中央アルプスの美しく、壮大な写真がすっぽり抜けているのは何故だろう・・・・と考えていて、ふと思い出したのが、 「山の上に上るのに大きな荷物は邪魔だから、しらび平駅のコインロッカーに荷物と一緒にカメラを入れて、ロープウェイに乗っちゃったんだよ」 と言っていた父の言葉 (爆笑)
・・・・・・・そんなことを思い出していたら、急に行きたくなっちゃいましてね、駒ヶ根。
 
この場所に行こうと決めて、現地の情報を調べていると、しらび平に至る唯一の県道が、土砂崩れによる通行止めで、ロープウェイ共々運休になっていることが判明したりしたため、天気予報とバス・ロープウェイの再開状況と宿の手配を三つ巴で見据えながら日程を決めていく。
アシは、私の旅行でそろそろ定番になりつつある 「青春 18 きっぷ」 でございます。
 
当日は自宅最寄りの JR 駅を 5 時台に出発し、 3 回乗り換えて中央本線の岡谷まで向かい、 4 回目の乗り換えで、待望の飯田線に乗り継ぎ、駒ヶ根駅へ到着。
多少のマイナーチェンジはあるものの、駒ヶ根駅は、父が撮った 1981 年の写真に残る駅舎と変わらぬ姿をとどめていた。
 
 
駒ヶ根駅発の路線バスと、しらび平からのロープウェイチケットはネットで手配済なので、チケット売り場に並ぶ必要もなく、スマホの画面を係員に提示するだけで乗車ができる。
最近の旅行は、このパターンが増えてきているのだが、それはそれで便利なような不安なような (笑)
それに引き換え、青春 18 きっぷのアナログ加減がなんともいい対比ではある。
 
しらび平に向かう道路は、バスが 1 台ようやく通れる程度の山道でスリル満点。
この道路を通行できるのは許可された車両のみで、一般の車両は通れない。
運転手さんは他車と無線で現在地のやりとりをしつつ、すれ違いの場所を確認しながら、約 45 分でしらび平ロープウェイ駅 (只今工事中) に到着する。
ああ、父はここでコインロッカーにカメラを入れてロープウェイに乗っちゃったのね (笑)
 
 
 
標高 1662 メートルのしらび平駅から、標高 2612 メートルの千畳敷駅へ、 7 分間のロープウェイで 950 メートルを一気に上がるのだが、気温は 33 ℃ から一気に下がって 17 ℃ である。
 
 
 
ロープウェイ駅から外に出ると、目の前に広がる広大なる千畳敷カール。
下界のもやもや~っとした空気とは打って変わった冷たい空気に、思わず用意してきたウィンドブレーカーを着用。
 
 
 
ここから 2 時間ほどの登山で、中央アルプスの主峰 「木曽駒ケ岳」 の山頂まで行けちゃいますが、もちろん 3000 メートル級の山なので、きちんとした登山装備をしていない私はここまで。
 
 
    
 
いやいや、ここまでで十分ですよ、この景色! 
初めて訪れた標高 2600 メートルの世界は感動でしかない!
両親はこの景色を見ていながら、写真に残せず、子供である私たちにその感動の半分も伝えられなかったんだろうなー (ぷぷ)
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過去最高!

2024-06-09 22:56:35 | 旅行
例年 5 月~ 6 月に行っている、恒例の軽井沢弾丸買い物ツアーだが、コロナ禍を挟んで 4 年ぶりに行った昨年 は、 9 月に行ったことによる弊害が多かった。
ひとつは、台風直撃。
もうひとつは、時期を逸したことによる 「信州りんごジュース」 の休売。
今年はそれらもろもろのリベンジを図り、 6 月初旬の決行となる。

この軽井沢シリーズ (笑)、とにかく毎回天気が悪く、雨が降らないまでも晴れたことがない。
今年も直前になって出現した天気予報の傘マークに一喜一憂しながらこの日を迎えた。

東京から北陸新幹線に乗り、ほぼ 1 時間で軽井沢到着。
軽井沢プリンスショッピングプラザからは、晴天に映える離山 (はなれやま) がくっきり見える。



この離山後ろの延長線上に浅間山があるのだが、その姿は離山の陰に隠れ、臨めるのは噴煙か、それともただの雲なのか。

アウトレットで買い換えたいと思っているリュックの下調べをした後は、存在を知って以来、すっかりその虜になってしまった、軽井沢町内循環バス (100 円均一) に乗って、ほぼほぼ旅行の目的地である 「スーパーTSURUYA」 へ向かう。

日々の生活の中で購入する食材の買い物は、特売日や特売品を狙ったり、ポイント倍増の日を狙ったりと、とにかくセコイ私なのであるが、ここでの買い物はチト違う。
買いたいものを値札も見ずに買い物カートにどんどこ入れていく。

しかしながら、 TSURUYA オリジナルブランド製品は、そのクオリティは高いわりに、総じて値段が高いわけではない。
毎回気に入って買っているもの、初お目見えの気になる商品、軽井沢に来たらぜひ買いたいものなど、金に糸目をつけず (笑) にカートに入れる、年に一度の爽快感!

とはいえ、昨今の食品の高騰は、おそらくこの地においても例外ではないのだろう。
毎回購入していた、りんごジュースは、値段は変わっていないものの、その瓶は、1000 ml から750 ml に変わっている。
値上がりしているからなのか、それとも単なる買いすぎなのか、とにかく、 6 回目の TSURUYA において、その支払い金額も過去最高!(笑)



帰路は循環バスを途中下車して、雲場池を散策する。

   

2017 年にもこの地へ来ているのだが、その時は小雨だった。

  

当時の新緑も綺麗ではあるが、写真を並べるとその美しさは歴然だ。

   

今回の晴天も、我々の軽井沢における、過去最高!!
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広島旅行③ ~ 平和公園・広島城

2024-05-01 11:51:22 | 旅行
3 日目は、私の希望で、平和記念公園・広島城等の市内散策。

ホテルを出てから、路面電車に乗り、原爆ドーム前で下車すると、目の前には原爆ドームが聳え立つ。

 

この場所のほぼ上空、約 600 mで炸裂した原子爆弾が引き起こした被害は、筆舌に尽くしがたい。
一瞬のうちに非業の死をとげた多くの人々、一瞬のうちに消え去った街並み。
焦土と化したこの場所に植えられた樹木は大きく育ち、世界中から多くの人が訪れていますが、決して「過去」のものだと考えることがないよう、様々なことを思いながら、歩いていきます。

   

平和記念公園を通って、平和記念資料館へと向かう。

 

私が絶対見たい、見なければいけないと思っている場所。



原爆慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しませんから」という言葉が心に刺さる。

海外から来ている観光客も多いが、それぞれに感じ方は違うのかもしれない。
しかしながら、約 80 年前にこの地で起こった出来事と、現在の世界を、決して切り離して考えてはいけないはずだ。

ランチは、本通りにあるベーカリー 「広島アンデルセン」 へ。

 

この場所には以前、帝国銀行広島支店が建っていたのだが、原爆投下の爆風により崩れた外壁を一部保存したうえで、建て替えられた建物だそうです。

ランチの後は、アストラムラインに乗って、広島城へ向かう。

 

昭和に入るまで現存天守として、旧国宝に指定されていた広島城は、原爆投下によって倒壊してしまい、現在の天守閣は 1958 年に再建されたものであるが、釣鐘型の華頭窓や廻縁 (まわりえん) は古い様式が再現されていて美しい。

  

しかしながら、本来であれば、現存天守として残るはずであったろうこの広島城が、原爆投下(核兵器)によって失われたという事実は、あまりにも悲しい歴史である。


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広島旅行② ~ 呉

2024-04-30 12:02:19 | 旅行
2 日目は、友人の希望で、呉へ。
特に海上自衛隊主催の 「艦艇一般公開」 と、日没に合わせて出航する艦船巡りは外せないとのこと。

広島駅から JR 呉線で約 40 分。
まずは呉駅から徒歩 5 ~ 6 分の場所にある 「てつのくじら館」へ。
「てつのくじら館」は自衛隊の資料館なので入館無料。

 

潜水艦の外観が目を引きますが、これ実物なんだそうです。
内部はかなり狭いのですが、潜水艦の構造や、掃海艇の活躍なども紹介されていて、興味深かったです。

お隣にある 「大和ミュージアム」 では、入館してすぐの場所にある 「戦艦大和」 の巨大模型が圧巻。

 

「戦艦大和」 は、1941 年(昭和 16年) 12月、呉海軍工廠で建造されたので、ここ呉は 「大和のふるさと」 とも呼ばれています。
その他にも、実物の零式艦上戦闘機(略称ゼロ戦)や特攻兵器として知られる人間魚雷「回天」なども展示されています。


この大和ミュージアムのチケットは、当日有効・再入場OKなので、ほぼ 1 日雨模様だったこの日は、出たり入ったり雨宿りしたり休憩できたり、とってもありがたかったです (マジ感謝)

予定では、ランチに 「海軍カレー」 を食べる予定だったのですが、昨日の食べ過ぎがたたって食べられませんでしたので (レトルトカレー買って帰るわ) アイスコーヒー飲んで、そのまま 15 時予定の艦艇一般公開へ向かうことに。


今回公開されたのは、訓練支援船の「くろべ」

 

折悪しく、この時間の雨が一番ひどかったのであるが、主要任務である「高速標的機」の発射・管制についての説明は、屋根のある場所で、じっくり聞くことができたのでありがたかったわ。


潜水艦の上も歩かせてもらったのですが、面白かった半面、雨で滑りそうでちょっとコワい。

 

この後、再度 「大和ミュージアム」 へ戻り、小休止ののち、「夕呉クルーズ」へ向かう。

   

日没に合わせてラッパによる君が代が吹奏されるという、スペシャルなクルーズだったんだけど、雨天のため夕日は見られず、雨音でラッパの音もほとんど聞こえず・・・・。
残念ではありましたが、際立つライトアップは、なかなか見ることが出来ない美しい風景でした。

  
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広島旅行① ~ 宮島

2024-04-29 11:31:43 | 旅行
繁忙期の 3 月が過ぎ、桜の 4 月も終わり、気が付けば新緑の 5 月である。

パート勤務である私は、毎月 14 日の出勤で諸々調整をしていたのだが、繁忙期である 3 月だけは特別で、 1 ヶ月間フル勤務。
11 ヶ月間、週に 1 ~ 2 日の休みが入る緩い勤務に慣れている私にしたら、週 5 日の勤務は、正直言って 「激務」 であった。
とはいえ正社員だった頃の激務に比べれば、雲泥の差であることは間違いないのだが。

さて。
そんなやさぐれた気分を一新すべく、先日 「広島」 へ行ってきましてね。
同行の友人が 「行ってみたい」 と挙げた旅行先は、 「会津」 「福島」 「広島」 だったのだが、 「広島なら行く!」 と秒で即答した私である。
はい、広島は通過したことはあるけど、降りたことがないので、行ってみたかったの。

初日は、両名が共に行きたいと考えていた 「安芸の宮島」 へ。
東京 6 : 51 発の新幹線 「のぞみ」 に乗って、広島まではほぼ 4 時間。


朝食は新幹線の中で 「深川めし」 を食し、宿に荷物を置いてから、宮島へ直行。

宮島が日本三景のひとつであることは周知の通りだが、それに加えて、厳島神社は国宝であり、世界文化遺産にも登録されている場所である。

 

宮島フェリー上から見る厳島神社の鳥居は、やはり見事で美しい。
写真では何度もみたことがあるけれど、やはりこの目で見られることが感動を呼ぶ。


我々の上陸を迎えてくれた宮島の鹿たちは、奈良の鹿たちに比べて、なんだか温厚な感じ (笑)

  

宮島は島そのものがご神体とされたため、海の中に社殿と大鳥居が建てられたとのこと。
現在の大鳥居は平安時代から数えて 9 代目、 1875 年に再建されたものだそうです。


この大鳥居、海底に埋められているわけではなく、その場に置かれているだけなんだって。
台風とか、地震とかで、位置が変わることはないのかしらね??

   

本当は満潮の海に浮かぶ鳥居が見たかったんだけど、この時間は干潮。

 

いろいろ希望通りにコトは運ばないけれど、これが旅の醍醐味ってもんです。

ちょっと遅いお昼ご飯は、 「あなご重とカキフライ」

 

そして夕ご飯は、 「スペシャルお好み焼きと牡蠣焼き」
・・・・・・・・いやいや、食べすぎだってば。
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18きっぷで城巡り③ ~ 松本城

2024-01-20 19:08:39 | 旅行
各駅停車で名古屋から松本へ向かうには、 4 時間以上かかるのだが、木曽川に沿うように走る中央西線は、景色もいいので飽きることがない。
まぁ、乗り鉄なんて、こんなもんです (笑)

唯一の途中下車駅・中津川は 「栗きんとん発祥の地」 らしいので、駅前の 「にぎわい特産館」 で、おやつを購入してから列車に乗り込む。
中津川から松本行の普通列車は、発車する時点で、既に満席だった。
発車してすぐに、車掌さんが検札に来たのだが、周囲の人々が提示したきっぷは、老いも若きも、見渡すかぎり 「青春 18 きっぷ」 だった (爆笑)
みんなテツなのだろうか・・・・・??

松本到着後の夕食は 「野菜天ざるそば」
やっぱ、信州はそばだよね。



3 日目の朝食は、宿で 「和定食+ドリンクバー」 を頼んでいたのだが、最近はバイキングのホテルが多いので、なんか新鮮な感じ。
普段はあまり食べないのだが、自家製のだし醤油をかけた TKG (玉子かけご飯) が、超絶おいしかった。



松本城は、 19 歳の短大生の頃に、友人たちと来たきりだ。
記憶はあるのだが、写真などの記録がないのが少々残念。

朝の澄んだ空気の中で、松本城を眺めたかったので、開城 30 分前に到着。



アルプスの山を背景にしたお濠と城はもちろん絶景なのだが、どの方角から見ても、松本城は素晴らしい。

  

お濠のまわりをゆっくり歩いたり、ベンチに座ってその姿を眺めたり。
贅沢で、心の晴れるとても素敵な時間だった。

    

現存天守の階段は、概して急である。
この松本城も例外ではなく、特に 4 階から 5 階に上がる階段は 61 度の傾斜で、しかも、段差がバラバラ。
1 段上がるのも一苦労な場所すらあり、よじ登るようにして最上階へ上がる。
古城に行くなら、足腰がしっかりしているうちにいかなくちゃ・・・・・。



全国に 5 基しかない国宝の現存天守のうち、残るは彦根城ただひとつ!
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18きっぷで城巡り② ~ 犬山城

2024-01-20 18:02:44 | 旅行
2 日目の朝は 「名古屋モーニング」 を頂こうと考えていたのだが、目的の店がまだ開いていなかったため、マクドナルドで朝マックを食べつつ、ブラックコーヒーで目を覚ます。

予定よりちょっと早かったのだが、名鉄名古屋駅から、犬山へ向かうつもりで、なんとなく乗ってしまった電車は、名鉄名古屋本線の岐阜行特急、線路は途中で別れ、犬山へは到達しない列車だった。
目を覚ましたつもりだったのだが、頭の中身は、まだ寝ていたらしい。
最初の停車駅で乗り間違えたことに気が付いたものの、気が動転して (笑) 再度岐阜行の普通列車に乗り換えてしまい、降りた駅は 「島氏永」
・・・・・・・どこだよ、ここ (笑)

路線図と時刻表を駆使し、善後策を考えた末、 20 分ほどの待ち時間で反対方向の電車に乗り、当初の予定から 30 分遅れの 9:00 頃、犬山到着。
犬山城の開城は 9:00 なのでむしろラッキーだったと思うことにしよう・・・・・・。

  

「映える城」 との呼び声が高いここ犬山城は、現存天守 12 城の中でも、最も古い城といわれている。
天守最上階に設えられた廻縁 (まわりえん) は、一般の人でも一周することが出来ますが、高欄は低く、他の城のような安全柵もないので、高いところが嫌いな方は、勇気がいるかも。



装飾化された花頭窓も寺院建築の影響を受けた古い様式が現れていて美しいなぁ。



眼下に見える木曽川から吹き上げる 1 月の風は、冷たいけれども気持ちいい。



冬の気温が下がる早朝には、木曽川から湧き上がる霧に包まれ、幻想的な天守を見ることもできるそう。
天空の城のような風景、見てみたいなぁ。

天守に登った後は、木曽川から見上げた城を見にいく。

  

これぞ、映える城、カッコいい!
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