思えば今年は 「真田丸」 にはまった一年だった。
亡き父の口伝で 「真田幸村」 の名前は聞いていたものの、戦国時代に興味もなかった私は、「ふーん」 と聞き流していたくせに、いざ自分が興味を持つとこのざまだ。
これは、「新選組」 にはまった時と同じ経過をたどっているのが、いかにも私らしいところではあるが。
さて。
夏に信州の真田紀行を敢行した私は、大阪にも行きたくてしょうがない。
大阪の地図を見ながら、思いのほか狭い地域で真田幸村の大阪紀行ができることは分かっているのだ。
そんなこんなで日々を過ごしていた私の前に、その 「きっかけ」 が降ってきたのは、わずか5日ほど前のことである。
ネットでその発表を目にしたのは、たしか 10/6 の夜だったはずだ。
「 “草刈昌幸” と大阪城で 「真田丸」 大型PV開催 … 赤服で集合命令」
うわー、行きてぇ (笑)
っていっても、開催日の 10/9 までは3日しかない。
しかも3連休のど真ん中で、初日は友人とすでに約束があるので動かせない。
無理だよな~、大阪だし・・・ と思いつつも、HPで情報を探っていたら、同日 「ゆかりの地を巡る真田丸ウォーク」 も開催されることを知る。
天王寺公園を出発し、幸村ゆかりの地を巡りながら大阪城を目指す約8キロのコース。
体育の日も近いし、歩くことは大好きな私、心の中では、これはもう行くしかないイベントに代わっていた (笑)
行くと決断すれば、旅程を練るのは楽しい仕事だ。
自宅を6時前に出れば、9時に新大阪到着。
大阪市営地下鉄御堂筋線に乗り換えて、出発地点である天王寺公園を目指す。
フリーウォークなので、9:30 から始まる受付さえ済ませれば、時間構成は自分次第。
帰宅は、パブリックビューイングを見てから新大阪に戻り、21時前の新幹線に乗れば日帰りも可能だ。
当日、最寄りの駅を6時前に出発。
睡眠はもちろん新幹線の中だ。
受付前に 「あべのハルカス」 の展望台へ上って大阪の地を眺め、戦略をたてつつ、コーヒーブレイクも忘れない。
足元には、大阪の陣で徳川・真田がそれぞれ陣を張った茶臼山がみえ、遠くには目指す大阪城が小さく見える。
ここから8キロのコースを、6か所のチェックポイントを通過して大阪城へ向かうわけだ。
天王寺公園内の 「てんしば」 で受付を済ませ、公園内を最初のチェックポイント、茶臼山に向かって歩いていると、こんなイベントが目に入った。
「真田幸村の兜折り紙コーナー」
もちろん、折り紙好きなんで(笑)準備運動替わりに折ってみましたよ。
茶臼山。
大阪冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村が本陣を構えた場所である。
ここが最初のチェックポイント。
安居神社。
幸村が最期を迎えたといわれる場所。
敗色が濃くなる豊臣軍にあって、幸村は赤備えの兵を率いて徳川本陣へ突撃する。
家康が死を覚悟するほど追い詰めるものの、ぎりぎりで取り逃がしてしまい、力尽きた幸村がこの地で徳川方の兵に討ち取られたと伝えられている場所だ。
三光神社、心眼寺、真田丸顕彰碑。
この一帯が、冬の陣の激戦地 「真田丸」 の跡地と伝わる場所である。
三光神社境内には、大阪城につながっていると伝えられる 「真田の抜け穴」 や、幸村の像が建つ。
神社のそばにあるテニスコート脇には、今年真田丸の顕彰碑も立てられ、その向かいにある心眼寺にも、石碑が立っている。
大阪城。
はぁぁぁぁ。やっと着いた~。
8キロを3時間ほどかけて、歩いてまいりました。
西の丸公園でラストのスタンプをいただいたら、真田丸の赤いポンチョをいただきましたよ~。
これ、パブリックビューイング鑑賞時の寒さ避けにいいかも。
歩き切ったご褒美に (笑) ソフトクリームをたべてから、天守閣へ。
そういえば、大阪城は 「新選組」 の史跡でもあるわけですよ。
江戸時代の始まりと、江戸時代の終わり。
豊臣政権の終わりと、徳川政権の終わり。
・・・・・どちらも斜陽の人々に心を動かされるのはなぜだろうか。
17時、大阪城西の丸公園で、スペシャルステージが始まる。
パブリックビューイングに先立ち、草刈正雄さんがトークに臨む。
18時からの「真田丸・第40話・幸村」 は、草刈さんの 「それではおのおの、抜かりなく!」 の掛け声とともに始まった。
5,500人の赤い大観衆が、ライトアップされた大阪城を間近に見ながら、大型モニターに映る 「早丸」 を見るというスペシャル感 (笑)
ちなみに、真田幸村が九度山を出て大阪城に入城したのは、10月9日だったということだ。
なるほどー、やるなーN〇K。
上映後は、高木渉さん、大野泰広さん、迫田孝也さんの真田家老ズ (笑) のトークイベント。
本編の余韻をかき消すような (笑)、お笑いトークに大爆笑。
いやー、疲れたけど面白かったー。