Catnap Room of にゃんこ

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけてます♪

季節を愛でる庭

2019-04-21 16:04:55 | おでかけ

平成の御代も、残りわずかとなりました。

 

平成元年は、まだバブル景気に沸いていたんだよねぇ。

そんな有頂天な経済も、翌年・平成 2 年にあっさり崩壊し、株も不動産も大暴落。

不景気な時代の始まりだったけど、当時はパソコンも一般的ではなく、スマホどころか、携帯電話さえない時代だったんだよ。

当時画期的だと思っていた 「テレホンカード」 や「 オレンジカード」 も、今となっては過去の遺物。

そんな時代は、今の若いコからしたら、我々が考える 「明治・大正時代」 に匹敵しちゃうのかもしれないよねぇ (爆)

 

さて。

先日 ( 4/11 ) 、鎌倉に行ってきましてね。

鎌倉までは、私が住む場所から電車 1 本 で行けるのですが、時間はそこそこかかりますので、着いたとたんに、小町通りの 「和菜八倉」 で、まずは昼ご飯の 「しらす海鮮丼」



もちろんこの時期は、解禁になったばかりの 「生しらす」 狙いですよ!


食事後は、第一の目的地である 「一条恵観山荘」 へ。

この一条恵観山荘は、後陽成天皇の第九皇子・一条恵観が、文化活動の舞台として、正保 3 年 (1646年) 頃、京都西賀茂に別荘として建立したものですが、昭和 34 年に鎌倉に移築され、昭和 39 年には、国の重要文化財にも指定されました。

長い間非公開だったのですが、平成 29 6 月より一部公開が始まったという情報を聞いて、既に何回か訪問している友人に、無理矢理同行を頼み込んだ次第 (汗)


この建物が建立された頃の元号は 「正保」 、徳川家光が将軍を務めており、天皇は 「後光明天皇 (第 110 代天皇)」 の時代です。

先日、最後のご公務として、伊勢神宮を参拝された今上天皇は 125 代天皇となりますが、以来 370 年もの長きに亘って、ひっそりと天皇家の歴史を伝えるこの建物は、武家文化が色濃く残る古都・鎌倉において、ちょっと異質な感覚です。


茅葺屋根、田舎家風なつくりとなっている山荘とともに、庭石や枯山水も建物と共に京都から移され、当時と同じように配置されたそうですが、これが鎌倉の原風景である岩山や、滑川のせせらぎと相まって、雅なる癒しの空間を演出しております。


 


うん、この空間は、紛れもない京都だ (笑)


庭園の中にある 「かふぇ楊梅亭」 でひと休み。



今回は日程が合わなかったのですが、予約制で山荘内部が見学できる日もありますし、四季を通して訪れたい、素敵な庭園でしたので、次回は紅葉の頃に再訪したいと思います!

 

鎌倉駅より、徒歩 30 分。

途中には浄明寺や報国寺もありますが、今回は鎌倉最古ともいわれる、天平 3 年 ( 731 年) 建立の 「杉本寺 (杉本城跡) 」 にも寄り道してきました。


 


苔むし、擦り減った石段が、1300 年近い歴史を物語っております。

 

脈々と続く日本の歴史は、今この瞬間にも歩みを止めることなく、来るべき 「令和」 の時代に受け継がれていく。

次の時代まで、あと 9 日。


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鎌倉といえば、鳩サブレー 



 

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花冷えの春とノスタルジー

2019-04-14 01:24:57 | おでかけ

3 月の末に開花宣言がなされた桜の花ですが、今年は花冷えのおかげで、開花から 2 週間が過ぎてもまだまだ咲き誇っておりましたね。


4 10 日を過ぎて、そろそろ花吹雪になってきましたが、平成最後の桜、本当に長く楽しむことができましたよ。


 


さて。


昨年、皇居乾通りの桜並木を堪能した折に、千鳥ヶ淵の近くにあった母校のことを思い出していたのですが、平成最後のお花見は、ちょっとしたきっかけから、靖国神社&千鳥ヶ淵へ行って参りました。


JR 市ヶ谷駅から、靖国神社方向へ向かって、桜並木の靖国通りをプラプラ歩く。


この日 ( 4 3 日) は少々風が強かったので、桜の花びらが舞い始めておりました。




 


 


靖国神社と言えば、開花宣言の折に毎年登場する 「標本木」 が有名ですが、この桜の木の桜が 5 輪開花すれば 「開花宣言」 となるわけです。




 




学生の頃から幕末好きだった私は、靖国神社にある 「神道無念流道場・練兵館跡」 や 「大村益次郎像」 に興味があって、ことあるごとに眺めたりもしておりましたが、桜の標本木をしげしげと眺めたのは、たぶん初めてだ (笑)




 


 


靖国神社から、千鳥ヶ淵緑道へ向かう。


全長 700 メートルの遊歩道は、お花見客で大盛況。







お堀に浮かぶ手漕ぎボートも人気があるようで、ここにも長蛇の列ができておりました。


ちなみに私、若かりし頃は、ボートを漕ぐのが結構得意でございましたが、今は漕げるかなぁ (笑)




 




千鳥ヶ淵戦没者墓苑の前を通り、内堀通りを経由して、何年ぶりかの母校へ。


今年、この場所に来ようと思ったきっかけは、今まで開放されていなかった母校の学食の一部が、 2014 年から、女性のみに (女子大なんでね/笑) 解放されたことを知ったからです。


私が通っていた頃の建物は、既に建て替えられて、当時の面影はありませんが、もちろん場所は変わっておりません。




 


(右は、卒業アルバムより抜粋した、在学時の旧校舎)




学食は校内にいくつかあるのですが、一般開放されているのは、 F 2 階の 「 kotacafé (コタカフェ)」 のみ。


この不思議な名前は、大学創設者の名前にちなんでつけられたそうですが、ここはまぁ知る人ぞ知るということで。




私が通っていた頃の薄暗い学食からは、比べ物にならないような明るい空間にちょっと感動しつつ、ホテルニューオータニ出身の総料理長が手がけたという、特製ビーフカレーと、サラダを選んで食券を購入。


私の後ろに並んでいたご婦人が、食券の購入方法が分からないようだったので、説明がてら、ちょっと世間話を仕掛けたら、この方はなんと 「 50 年前」 の卒業生でした。 あははは! 大先輩だぁ。




 




デザートにフォンダンショコラとコーヒーも堪能し、満足満喫で学食を後にしましたが、思いのほか居心地がよかったなぁ。


学食のメニューも豊富だし、若いコたちの生気を吸いに (笑) 、機会があったら、また行こうかな。




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母校の創設者の伝記。 ・・・・・・・読んでみようかなぁ。


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移り行く時代

2019-04-04 00:10:16 | おでかけ

4 1 日、新しい時代の元号が 「令和」 と発表されましたね。

「令和」 は、日本の古典文学・万葉集からの出典とのことなので、なぜか 「万葉集」 まで売れているそうな。

まぁこういうことがきっかけにでもならないと、万葉集なんて読まないしね (笑)

何はともあれ、「令和元年」 まであと 1 ヶ月を切り、いよいよ時代は移り変わっていくわけです。



2016 3 月、銀座東芝ビル (MOSAIC) 跡に 「東急プラザ銀座」 誕生

2016 9 月、サッポロ銀座ビル跡に 「GINZA PLACE」 誕生

2017 4 月、銀座松坂屋跡に 「GINZA SIX」 誕生。

そして、2018 8 月、ソニービル跡は、暫定的に 「GINZA SONY PARK」 という名の公園となる。

 

銀座三越のライオン像は、昭和 47 年 (1972年) からこの場所で、変わりゆく銀座の街、昭和・平成時代の再開発を見守ってきた。

「令和」 の時代も、再開発は続き、その変貌をこのライオンは変わらず見守り続けていくのだろう。



さて、東京の桜が満開を迎える直前だった、3 28 日、私は件のライオン像前 (後ろか・・・・笑) で友人と待ち合わせ、ひさしぶりの 「アフタヌーンティ」 を楽しんできた。

場所は、「GINZA SIX13 F の、「ザ・グランラウンジ」



最初にお願いした紅茶 「オーガニックミントメレンゲ」 とともに、前菜のように出てきたのが、 「サーモンマリネ  苺とバジルのサルサ」 「フォワグラテリーヌと苺のプチシュー」 です。



最初の一皿を食べ終わった頃、タイミングよくでてきたのが、丸い枠の三段プレート。

下段左から、「ビーツと苺のディップ」 「苺・生ハム・クリームチーズのカナッペ」 「苺とアボガドと海老のカクテル」 「ポテト with パテ」

中段左から、「ミックスサンド」 「レモンジュレ」 「苺とルビーのロールケーキ」 「苺とバジルのムース」 「チョコチップスコーン」

上段が・・・・・写ってないけど (汗) 「タルトショコラ」 「苺とバルサミコのハートマカロン」 「カカオプディングと苺ソース」 「苺モンブラン」 ・・・・でした。

見た目も楽しい、プチサイズのサンドイッチや、ケーキを頂きながら、あーだこーだとおしゃべりする時間は、毎度のことですが至福の時。



最後にでてきた一皿は 「(マキシムドパリの) 苺ミルフィーユ」 なんですが、これ実は、銀座の歴史を語るうえで、特筆すべきものなんですよ。


かつてソニービルの地下にあった 「銀座マキシムドパリ」 は、パリの 「マキシム」 からライセンスを得て、その名でレストランを営業していたそうですが、2015 6 月に閉店、その後ソニービルも取り壊されてしまいました。

当時 「二度と食べられないかもしれない」 と思われていた 「(マキシムドパリの) 苺ミルフィーユ」 が、その後、銀座マキシムの初代シェフパティシエよりレクチャーを受け、 2 年の時を経て、同じ銀座の、ザ・グランラウンジで復活したと知った時には、来るべき 「令和」 の中で生き続けるであろう 「昭和・平成の歴史」 も感じることができて、本当に嬉しいことでした。


故きを温ねて新しきを知る・・・・時代の節目だからこそ、過去と未来を大事に考えていかなくちゃね!


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ミルフィーユには、シャンパンも合いますよっ!



 

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