平成の御代も、残りわずかとなりました。
平成元年は、まだバブル景気に沸いていたんだよねぇ。
そんな有頂天な経済も、翌年・平成 2 年にあっさり崩壊し、株も不動産も大暴落。
不景気な時代の始まりだったけど、当時はパソコンも一般的ではなく、スマホどころか、携帯電話さえない時代だったんだよ。
当時画期的だと思っていた 「テレホンカード」 や「 オレンジカード」 も、今となっては過去の遺物。
そんな時代は、今の若いコからしたら、我々が考える 「明治・大正時代」 に匹敵しちゃうのかもしれないよねぇ (爆)
さて。
先日 ( 4/11 ) 、鎌倉に行ってきましてね。
鎌倉までは、私が住む場所から電車 1 本 で行けるのですが、時間はそこそこかかりますので、着いたとたんに、小町通りの 「和菜八倉」 で、まずは昼ご飯の 「しらす海鮮丼」
もちろんこの時期は、解禁になったばかりの 「生しらす」 狙いですよ!
食事後は、第一の目的地である 「一条恵観山荘」 へ。
この一条恵観山荘は、後陽成天皇の第九皇子・一条恵観が、文化活動の舞台として、正保 3 年 (1646年) 頃、京都西賀茂に別荘として建立したものですが、昭和 34 年に鎌倉に移築され、昭和 39 年には、国の重要文化財にも指定されました。
長い間非公開だったのですが、平成 29 年 6 月より一部公開が始まったという情報を聞いて、既に何回か訪問している友人に、無理矢理同行を頼み込んだ次第 (汗)
この建物が建立された頃の元号は 「正保」 、徳川家光が将軍を務めており、天皇は 「後光明天皇 (第 110 代天皇)」 の時代です。
先日、最後のご公務として、伊勢神宮を参拝された今上天皇は 125 代天皇となりますが、以来 370 年もの長きに亘って、ひっそりと天皇家の歴史を伝えるこの建物は、武家文化が色濃く残る古都・鎌倉において、ちょっと異質な感覚です。
茅葺屋根、田舎家風なつくりとなっている山荘とともに、庭石や枯山水も建物と共に京都から移され、当時と同じように配置されたそうですが、これが鎌倉の原風景である岩山や、滑川のせせらぎと相まって、雅なる癒しの空間を演出しております。
うん、この空間は、紛れもない京都だ (笑)
庭園の中にある 「かふぇ楊梅亭」 でひと休み。
今回は日程が合わなかったのですが、予約制で山荘内部が見学できる日もありますし、四季を通して訪れたい、素敵な庭園でしたので、次回は紅葉の頃に再訪したいと思います!
鎌倉駅より、徒歩 30 分。
途中には浄明寺や報国寺もありますが、今回は鎌倉最古ともいわれる、天平 3 年 ( 731 年) 建立の 「杉本寺 (杉本城跡) 」 にも寄り道してきました。
苔むし、擦り減った石段が、1300 年近い歴史を物語っております。
脈々と続く日本の歴史は、今この瞬間にも歩みを止めることなく、来るべき 「令和」 の時代に受け継がれていく。
次の時代まで、あと 9 日。
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鎌倉といえば、鳩サブレー
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